一瞬の煌きは、恋に似て。
 
 
 
 花火
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 パチン、と一つキーを叩いて、海馬は小さく溜息をついた。
 先程から前方より発せられる不穏な気配をそろそろ片付けないと、煩わしくてかなわない。

 例えば庭に放した犬がいくらゴロゴロ転げ回っていようと一向に気にはならないが、その犬に一日中見つめられていたとしたら。それは気にするなと言う方が無理だろう。
 じろりと睨むとソファーに寝転がっていた犬は、慌ててその金茶色のふわふわした髪をぱっと翻して顔を逸らした。
(……あれで見てない振りをしているつもりか)
「犬」
 海馬が投げかけた言葉に、びくりとその肩が震えた。
「その五月蝿い視線をいい加減どうにかしろ」
「な、なんだよ。いつもは気にしね―じゃん、人が何してようが」
 動揺を誤魔化すように、もぞもぞと城之内がソファーの上に身を起こした。夏服の白いシャツがぐしゃぐしゃと寝乱れている。
「言いたいことがあるならば言え。ずっと見られているだけでは落ち着かん」
「あー、いや……」
 言いよどむ城之内を、海馬は黙って視線だけで促す。
 城之内はしばらく胡座を組んだ足元を睨んでいたが、やがてちらりと上目遣いに海馬を見て息を吸い込んだ。
 
「あー…のさ、今週の日曜に童実野港で花火大会があんの、知ってっか?」
「ああ」
「その、それ……見に行かね?」
「……なんだ、そんな事か」
 一体何かと思えば。海馬は拍子抜けした様に掛けていた眼鏡をはずすと、軽く足を組み直した。
「確かあれには我が社も協賛していたからな、主催者側の良い席を……」
「あーそういうんじゃなく!」
 慌てたように城之内が両手を振った。
「もっと普通に!ヘリとか、車での迎えとかそういう派手なもんも一切なしでさ!」
 それから。
「できれば…浴衣着て」
「浴衣?何故だ」
「あー…なんでって…」
 お前の浴衣姿が見てみたいからだよ!とは流石に言えず、城之内は言葉を濁した。髪をぐしゃりと掻き回して、視線を逸らす。
「夏で、花火だろ?気分だよ、気分」
 海馬が浴衣を着た姿は、どんなだろうか。
 はじめはそんな単純な発想だった。
 
 
 ふと目に付いたのは学校の帰り道、投げ捨ててあった週刊誌の三面写真。
 インタビュー記事に添えられたそれには、ここしばらく学校に来てなかった大会社の社長様がきっちりとスーツ着て余裕の笑みを浮かべていた。
「っかー、ムカつく顔だぜ」
 踏みつけて通り過ぎようとしたが、ふと思い直してじっとその顔を睨みつけた。
 悔しいが、似合うと思う。
 スーツを着るその姿は、とても同い年とは思えない程様になっている。
 口端に笑いを載せるいつもの笑い方すら、なんだか嫌味を通り越して挑戦的な勝者の笑みに見えた。
 
 海馬の私服姿というものを、城之内ははあまり見たことが無い。
 いや、見てはいるものの大抵が黒のシャツやネックで、それに白いコートが付くか付かないかの違いしかない。
 そんなご飯の上に胡麻が振ってあるかないかぐらいの違いなど、はっきり言ってワンパターンすぎる。
(海馬ならきっと、どんな服でも着こなしちまうんだろうな)
 背格好や顔立ちもそうだが、あの全身を包むオーラというか雰囲気が服に飲まれることがないからだ。
 自分が合わせるのではない、どんな物をも自分に従わせる、そんな姿勢の一端が見える感じがした。
(いや、でもTシャツにGパン姿とかはちょっと想像つかねーな)
 海馬が普通の高校生らしい格好をして、普通に町を歩いている姿など考えもつかない。というよりむしろ怖い。
 スーツとか、外国物のブランドの方が海馬の服装としては自然だ。
「あ、和服とかどうだろ?」
 道端に広げた週刊誌を睨みながら、城之内はうーんと唸った。
 しゃがみ込みぶつぶつ言う高校生を、近所の主婦が不審な目で見ながら通り過ぎて行く。
 着物とか、今じゃ正月や時代劇でしか見ないけれど、案外ああいう渋い格好も似合うかも知れない。
 自分が着たことがないので頭の中の想像はイマイチ貧相だったが、海馬には着物姿も似合う気がした。
(そういえば着物には浴衣ってのも入るよなー。温泉とか、縁日とかで……)
 縁日。その単語で城之内の頭にふと今週末に開かれる花火大会のことが浮かんだ。
 夏祭りを兼ねた花火大会には、前日から沢山の出店が建ち並ぶ。
 次いで祭りに紛れる海馬の浴衣姿を連想してみる。
 人ごみや屋台の間を歩く、またまた絶対にありえないだろう光景を想像して、そのそぐわなさに小さく吹き出した。
 でも。
(……やっぱ似合うんだろうなぁ)
 想像したら、胸の奥が少しむずむずした。
 性格はかなりアレだけど、海馬は顔はまあ、女の子が騒ぐ程には良いらしいし、背も高い。
 なにより同じ年であれだけ富と実力を持っていて、堂々と一人で世を渡っている。
 モクバを守りながら、自分の力で生きているのだ。
 城之内は小さくため息をついて立ち上がった。
 それは秘めた憧れであり、自分が今一番欲しい力だった。
 ……なんだかふと、見てみたくなった。
 海馬の浴衣姿。
 もしかしたらすんごく庶民くさくて似合わなくて、笑っちまうかもしれないけど。
 この本の様な遠い世界の海馬ではなく自分と同じ日常に立つ、けれど日常とは少し違う海馬の姿を。


(終わってる……)
 海馬の格好良い姿が見たい。
 まあ平たく言えばそうなる自分の思考に、城之内は赤くなったり青くなったり何度も頭を抱えた。
 そんなデートに誘うみたいな真似を、自分が海馬相手に言うのか?どこぞの女の子じゃあるまいし!
 どこかに連れられて行く事はあっても、城之内の方から何処かへ行こうと誘った事はなかった。
 いつ来てもこの社長様は忙しそうだったし、自分は安らかな一時の寝床さえもらえればそれで良かったから。
(ガラじゃねぇ〜〜)
 恥かしさに悶々とのたうちながらどう切り出そうかと悩む城之内は、結果始終海馬を見つめていたという訳なのである。


「それで貴様は持っているのか」
「へ」
 出し抜けに言われた言葉に、城之内はきょとんと海馬を見つめた。
「浴衣だ。まさか俺一人に着て歩けというのか」
「あー……そっか。それもそうだよなぁ」
 呆れたような海馬の視線に、まあ細かい事は気にすんなよ、と笑う。
 ヤバイ。そんなこと全然考えていなかった。
 第一自分が浴衣なんて持っているはずもない。
 目の前の人物からため息が漏れた。
「四時だ」
「……は?」
「貴様の分も用意しておいてやる。当日四時に着替えに来い」
 どうせそんな事だろうと思っていた、と呟いた海馬に、途端に城之内が顔を輝かせた。
「……うっそ、マジ?サンキュー海馬ッ!」
 そのはしゃぎように、海馬は椅子の背に凭れるようにフンと笑う。
「色の好みはあるか?」
「へ、色って浴衣の?……大抵青とかじゃねーの、よく知らねぇけど」
 小首をかしげる城之内に、海馬は何やら品定めでもかのように視線を滑らせる。
「青もいいが、貴様には赤や黄色の方が似合うと思うがな」
「赤〜?」
 ピンクでもいいが、との不穏な呟きに、城之内の眉がピクリと上がった。
「……おいちょっと待て。赤とかピンクとかって、それ女の子用の浴衣だろッ」
 答えの代わりに海馬はニヤリと笑った。
「……週末が楽しみだな?城之内」
「……っのバカ社長ッ!」
 城之内の力任せに投げたクッションはひょいとかわされ、社長室の壁にバスンとぶつかった。

 
 
 鍵を開けて玄関に入る。いつもの夕暮れの、いつもの自分の家。
 すぐに昼間の暑さに締め切られていた空気が押し寄せてきて、淀んだ熱を持って肌にまとわりついた。
 靴を脱いで、鞄を放り投げると、城之内は窓を思い切り開け放った。
 流れ込む新鮮な風に大きく息をついて、振り返り。
 
(……あ)
 まただ。
 胸の隅をつつく小さな感覚に、城之内は小さく顔をしかめた。
 誰も居ないがらんとした空間。
 背から差し込む西日だけが、佇む城之内の影を畳に落としている。
 光の届かない部屋の奥、台所や玄関などは淀んだ空気を潜めたままじっと動かない。
 一人。
 茜色に染まって行く部屋の中には小さな虫の羽音すらしない。
 呼吸音、僅かな衣擦れ。自分の立てる気配だけが、小さな部屋の片隅で震えている。
 誰もいない。
 時折通りを家路に急ぐ人の声と、忘れられてしまった様なセミの鳴き声がいやに大きく耳に響いて。
 さわ、と涼しい夕風が城之内の前髪を撫でた。
 
 誰も待つことがない部屋。
 誰を待つこともない部屋。
 今日も、明日も、その先もずっと、この部屋はただ存在するだけだ。体温のない、空っぽの箱。
 学校へ行って、バイトして、敷きっ放しの布団に倒れこんで、朝日が見える前にまたバイトに飛び出して。
 毎日その繰り返し。
 時折戻って来る存在もあったが、苦い空気を黙って噛み締めて、眠れぬ夜を耐えればまた。
 繰り返し、繰り返し。
 ここにそれ以上の意味を見てしまう事などなかった。
 小さな部屋の、小さな自分の息遣いなどを聞きとめてしまうことなどなかったのだ。
 
 ……あの場所に、行くまでは。
 
 アイツの隣が、自分の居てもいい場所なのかどうかはよくわからない。力任せな行動に、戸惑う事も多い。
 でも傍に居て、共有する空気の暖かさは確かだった。
「……チクショ」
 苦々しい城之内の呟きを、掠れたセミの鳴き声が奪った。
 
 
 
 今日は一日天気も晴れて、絶好の花火日和になった。
 湿度が高いが、風は涼しく、浴衣の間から火照った肌を程よく冷ましてくれる。
 ざわざわと賑わう雑踏。ひしめきあう人。笑い声。連なる屋台は明るく海岸通りを照らしている。
 水あめ、焼きそば、金魚釣り、色とりどりの雑多なものが至る所できらきらと光っている。
 祭りなんて来るのも久しぶりで、内心凄く楽しみにしていた城之内は今すぐにでも駆け回りたかったのだが。
 周りを見ようとふと顔を上げれば、途端に目に入る人々の好奇の眼差し。
 浴衣姿の女の子達がこっちを見て、ねえもしかして…とはしゃいだ声を上げるのを見て、再び城之内は顔を赤くして俯いた。
 これでもし遊戯とか杏子とか見知った顔でも見つけようものなら、多分自分は明日から学校に行けないだろう。
 浴衣姿で、祭りに来る。気恥かしいのはそういう理由ではなく。
 皆の視線が痛いほど突き刺さる。それもこれも。
「大体テメーが目立ち過ぎなんだよ」
 ぶつぶつ言いながら隣を歩く人物を睨めば、
「貴様から言い出した事だろうが。この程度の事で何を慌てる」
 海馬はしれっとした態度で視線も意に返さず、それどころか集まる感心に満足そうに口端を吊り上げてみせた。
(……コイツと一緒ってことが問題なんだよ)
 
 海馬の浴衣姿は、予想以上だった。
 着る直前までは、はっきり言って笑っていたのだ。
 いつもの大層なコートもなく、お供も居なけりゃ案外人を喰うようなオーラもなくなって、そうすりゃただの庶民に仲間入りか?
 とか、
 インドアな生活してっから両手足もなまっ白いんじゃねーの?あ、だからいつもあんな黒ずくめなのか!
 とか、一足先に着させてもらった浴衣ではしたなく胡座を組みながら、海馬邸の玄関先のソファーで勝手に盛り上がっていた。
 しかし
「人の玄関先で何を不気味に笑っている」
 現われた海馬を見て、城之内はぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
(うわ……)
 似合うとは思っていたが、まさかここまで様になるとは思ってもみなかった。
 海馬の着ている淡い紺地に紗のかかった浴衣は渋く落ち着いていて、その白い肌やブルーの瞳を良く引き立てていた。
 スーツを着たときよりも雰囲気がずっと大人びていて、実年齢をより高く見せている。
 袖口から覗くひょろひょろだと踏んでいた腕などは、思いの他引き締まって逞しく伸びていて。
 普段は洋服に隠れていてさして意識しなかったが、薄い布地ごしの広い肩幅、襟元の鎖骨やしっかりとした首筋などが、妙に際立っていた。
 大人の男。
 そんな形容が似合いそうな格好良さに知らずどきどきしながら見とれていた城之内は、相手のニヤリとした笑いにはっと我に返った。
「どうした。見惚れたか」
「なっ……誰が惚れてなんかいるかよっ!さっさと行くぞ」
 赤くなった顔を無理やり背ける姿に、海馬がくつくつと笑う。
 結局はいつもの様になんだかんだ言い合いながら、城之内は海馬と二人ここまで歩いて来たのだが。
 
 元々海馬は町内で顔を知らぬ者がいないほどの有名人だ。城之内はその事を完全に忘れていた。
 それが供やTVも引き連れずこんな場所に、しかも浴衣姿で現われるなどとあっては注目されるのも当然で。
 人ごみの多い通りに入るなり、二人はずっとこんな状態だった。
 しかも海馬の着物姿は妙に……その、変な意味ではなく全体的に男らしい魅力というか色気がある。
 さっきから女の子達が頬を赤く染めて注目する理由の半分以上が、多分そこにある。
 そんな歩く広告塔のような男と肩を並べて堂々と歩けるほど、城之内に度胸はなかった。
「犬」
「あぁ?」
 突然ぞんざいに言い捨てられて、城之内は条件反射で顔を上げていた。
「……へ」
 そしてそこに差し出されたものに、目をみはる。
 海馬の手に握られていたのは、きらきらとした大きな…
「りんごアメ?……くれんの?」
「他に誰が居る」
 海馬の手にはそぐわない真っ赤なアメを受け取って、城之内は真顔の海馬と、今し方買ったのであろう背後の屋台を比べ見た。
 思わずそのギャップに笑いが漏れた。
「なんかお前似合わねーな、こういうの」
 サンキュー、と言ってりんごを舐めれば、ふっ、と海馬の目元が緩んだ。
「下を向いてばかりではつまらん。そうやってこっちを見ていろ」
 ……直撃した。
 何が、と言われるとよくわからないが、目を見開いて、瞬間的に城之内は耳まで真っ赤になっていた。
 呆然としていると、海馬はふと何を思ったのか城之内の握っていた手ごと、りんごアメを引き寄せた。
 そしてたった今方城之内の舐めたのと全く同じ場所を、ぺろりと舐めたのである。
「……っ」
 そりゃあ友人同士、時には食べ物を味見し合ったりする事はある。しかし今回はあまりにも意味がありすぎる行為で。
 追い討ちを掛ける様に真っ赤になって震える城之内を、海馬は確信的に唇を歪めて覗き込んだ。
「どうした?無闇に関心を煽っているぞ?」
「……全部テメェのせいじゃねーか、このエロ社長ッ!」
 気づいた時には、城之内は取り巻くギャラリーの中心で思い切り叫んでいた。

 
 
 大声上げたら、随分すっきりした。
 だから焼きそばを買った。フランクフルトも、かき氷にチョコバナナも買った。(と言ってもそれは全部海馬の金なのだけれど。)
 ついでに金魚すくいで海馬と対戦し、浴衣で偉そうに金魚を追いかける海馬の姿に大笑いし、所詮雑魚は金魚にも劣るとか応戦されて口喧嘩になって。
 結局引き分けだったので今度は射的で対戦して、負けて、でも何故か結局景品は全部城之内が貰うことになっていて。
 賑やかな通りを抜けて港に出ると、花火の良く見えそうなポイントを探して、コンクリの傾斜した土手みたいな所に並んで腰を掛けた。
 あたりには同じく花火待ちの家族連れや恋人同士が、結構沢山場所取りをしている。
 辺りはすっかり日も暮れて、暗い夜空にはちかちかと星が瞬いていた。
 不味いと顔をしかめる海馬に、これが庶民の味なんだよと屋台で買った焼きそば等を無理やり食べさせ、そしてまたひとしきり笑った。
 そんな自分の隣で、海馬もフンと満更でもない笑みを浮かべる。
 やがてどこからかアナウンスが流れ始め、ふと他愛無い憎まれ口で城之内が海馬の方に向き直った瞬間。 
 
 ド――ンッ
 
 腹まで震えるような響き。と同時にぱぁっと鮮やかな光が城之内と海馬の横顔を照らし出す。
 あ、と揃って見上げた夜空には一面、それは見事な大輪の花が、きらきらと金銀のシャワーを撒き散らしたような中に、いくつもいくつも咲いていた。


(夏が、……終わる)
 花火の、暗闇に溶け落ちてゆく輝きを見つめながら、城之内は何故か言い様のない虚無感が込み上げてくるのに気づいた。
 ドーン、ドーンと次々に打ち上げられる花火は、空中でパラパラとその身を燃やして消えて行く。
 一生をこの瞬間の為だけに、精一杯の煌きを人々の目に焼き付けるかのように。
 真っ黒い空間に、また一つ最後の火の粉が余韻を引いて吸い込まれて行くのを目で追って。
(……終わる)
 城之内はもう一度そっと呟いた。
 明日から、自分にはまた同じ日々が待っているのだろう。それを毎日繰り返して……
 そして来年のまた今頃になったら、自分は今日の自分と何かが変わっているんだろうか。
 今日のこの時のように、すぐそこに海馬はいるのか?
 未来の自分も、まだこの距離にいるんだろうか。
 
 もしかしたら。
 今こうして隣にいる存在も、暖かさも、来年の今日にはもう残っていないのかもしれない。
 きゅうっ、と胸を締める様な小さな痛みに、城之内はぎゅっと目をつむった。
 まぶたの裏に、ほのかな灯りがついては消える。
 今日のことは、この花火と同じだ。
 暗い夜空を彩る一瞬の輝き。やがては長い日々の繰り返しの中に消えて忘れてしまう、小さな煌きで。
 いつか海馬も、自分も、こんな日の事なんてあったことすら忘れてしまうだろう。
 そして自分はいつものあの部屋で、一人で……大丈夫、きっとこんな痛みもすぐに消えてしまう。
 多分、きっと。
 途方もない暗闇に一人、置いてゆかれたような気分が心をじわりと蝕んだ。
 不安。ひどい不安感が真っ黒な渦となって城之内を襲った。足元から冷えてゆくような感覚に、体が震える。
 ぎゅっと、無意識に城之内は傍にあった海馬の浴衣の袖を握っていた。
 俯いた視界にも、花火の瞬きにあわせて光がちらちらと映る。
 今だけは、ここに自分以外の存在が確かにある事を確かめたかった。
 すぐ傍に、あったかな、熱を。
 
(あ)
 海馬の手が城之内の顎をとって上を向かせた。
 視界の端に、極彩色の花火がゆれる。
 一瞬の熱と吐息の後に、唇が離された。
 照らされた海馬の顔は、一瞬の輝きの後深い陰影を作り、花火と同じように揺れている。でもその瞳だけは、自分を捕らえたまま動かなかった。
 ぼんやりとそれを見つめて。
 ふわりとまた海馬の顔が落ちてきた。
 真っ直ぐに自分だけを見ているその表情を焼き付けて、城之内は自分でもわからないまま、何故か素直に瞳を閉じた。
 
 明日はまた、繰り返される。
 自分も海馬も、それぞれの道を歩き始める。
 でもその途中で、またこうして熱を、触れ合えるほどの距離を取れることもあるだろうか。
 
 この暖かな煌きが、いつまでも胸に残ればいい。
 離れても輝くように、深く焼き付けられればいい。
 泣きそうな気持ちで、只そう思った。
 
 ドー…ン 
 重なり合う二人の上空で、一際大きな花が、夜空に咲いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 一瞬の煌きは、恋に似て。
 
 それは深く、二人の胸を焦がした。
 
 
 

 
 
 
 
 Fin.
 
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 かなり前に書いたものですが、気に入っていたので引っ張りだしてきました。まだ色々ピュアだったんですv(私が)