だからその手を離さない 4
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「この時代の俺だ。……ここにはいねぇのか」
「だから未来のことは聞くなってさっき言っただろうが」
 今までほわほわとこの部屋に漂っていたサンジ気配が一瞬ののち、すぅっと穏やかに…「無」に変わった。
 ゾロの眉がぴくりとつり上がる。しらずぐっと眉間に皺を寄せて、目の前の金色頭を睨みつけた。
 サンジが嘘をつく時の癖だ。
 人は嘘をつく時呼吸が変わる。例えば普通の人間なら心拍数が上がり、ちょっと焦ったような態度が顔には出なくても心に出る。ゾロにはそれが呼吸として感じられる。
 サンジの場合は逆だ。嘘をつくことに慣れているのか、全ての感情や一切の感覚を切り離して、その嘘に徹する。嘘ではないのだと、体を従える。だからとたんに全ての呼吸が穏やかに、感情を無くして声を発さなくなるのだ。
 気づいたのは何がきっかけだったか。その習性を思い出して、ゾロは眉をひそめた。
「今日はそろそろお開きだな」
 これ以上言及は無用だと言わんばかりに、サンジはテーブルに散らかった皿を片し始める。その手首をゾロは捕まえた。
「……離せ」
「嫌だ」
 骨ばったその手はゾロの手よりも一回り細く、そして少し冷たかった。紛れもない、ゾロのよく知るサンジの手だ。
 その手が微かに……けれど確かに震えているのを感じ取って、ゾロの頭の奥にカッと火が着いた。
「……ッ!」
 ゾロの気配が変わったのを察知して、サンジが鋭い回し蹴りを繰り出す。その脚をいなし、逆に勢いを利用して逆にテーブルの脇、窓のすぐ傍に置いてあったソファにサンジの体を押し倒した。
「……ッてめ」
「大人の余裕はどうしたよ」
 不遜に笑い、逃げを打つ体を力で押さえつけてシャツの中に手を滑らせると、しっとりと汗ばんだサンジの背中が変わらぬ手触りをゾロに与えてくる。
 今が何年後なのかは分からないが、それにひどく安心させられてる自分がいることにゾロは驚いた。
 目の前には確かにサンジがいる。
 その存在感が今ここでは自分を繋ぎ止めている唯一のものだ。外へ出たら、「今」のゾロの居場所なんて何処にもありはしない。もしこの世界に来た自分が、サンジと会えなかったら……今の自分では姿の知りえない仲間達を探してさ迷うことになったのだろうか。
 それには少し、背筋が冷える。
 しかし今目の前にいるこいつは……何だ。今の自分は受け入れるくせに、この時代にいる自分を遠くに追いやっている。
 物理的距離の問題じゃない。意識的に。
 それが何なのか、自分の知らない時間に何があったのか。恐れているのか、逃げているのか。
 何もかもわからないし、今の自分が知ろうとは思わないが、しかしサンジのこの態度はゾロの胸を焼く。
「……やめろ、ゾロ」
 硬い拒絶の声。ソファに押さえつけた両腕は、拒絶の為かはたまた別の理由か、小刻みに震えて握り締められている。
 真っ白いソファカバーに散らばる金髪。声と裏腹にゾロを見あげたその瞳は縋るように潤んでおり、視線がかち合うと隠すように慌ててぎゅっと閉じられた。
 手を伸ばしたい、けれど出来ない。そんな態度でこんな幼稚な逃げを打つような男ではなかったはずだ。サンジは。
(それとも俺が知らないだけか……畜生)
 だいたい嫌ならとっくにこんな戒めなんて解いて逃げ出しているはずだ。それが出来ないのは、否…しないのは、今の俺にみっともなくも縋りたい何かがあるからだ。
 プライドの高い男だ。自分の今の姿がどれだけ格好悪いかくらい解ってのことだろう。
 サンジが大きく息を吸い込み、その青い目を開いた。
 深い蒼い光が、ゾロの両目を真っ直ぐに射抜く。両手の下に押し込めた手首から、ふっと力が抜ける。
「……ゾロ。俺はもう、19の俺じゃねぇんだ…」
「…だからなんだ」
「なんていうか、上手く伝えられねぇんだけど。ホント、俺はさ…今日、お前がここに来てくれて、すげぇ」
 
「嬉しかった」
 
 ふわりとあきらめのように笑ったサンジの顔。
 まるで自分から触れたら壊れてしまうと言うように、青く揺れる瞳がそっとゾロを映している。
 脆く、少しはにかんだ口元は笑うのに失敗したのか歪められていて。
 赤く滲む目元を隠すように、金髪が流れた。
 ぐわっと腹の底から沸き起こってきた感情に、ゾロは一瞬眩暈を覚えた。
 コイツにこんな目をさせた今の時代の自分自身を、思い切りぶん殴ってやりたかった。切り捨てるだけじゃ許さねぇ。めためたに骨が軋むくらい、殴って、殴って、殴ってやりたい。
「……クソッ」
 それが出来ない分、ゾロは目の前の痩躯をぎゅうっと抱きしめた。
「ゾ……おい、苦し」
 戸惑ったようにもがくサンジを、その小さな拒否すら押さえ込むように両腕に力を込める。
(そんな泣きそうな面、俺の前に晒すんじゃネェ!)
 ゾロの耳元をくすぐるテノール。優しい吐息。全てそのままなのに、その眼差しは自分ではない、この世界の人間を想って濡れている。
 ゾロの胸の中に、ぎゅうぎゅうとやるせない気持ちだけが溜まっていく。
 身じろぐサンジの襟足に鼻先を潜らせ、汗ばんだその首筋をべろりと舐めた。
 自分とは違う滑らかなままの手触りを確かめるように、そしてサンジ自身を愛おしむように脇腹からゆっくりと撫でさする。
 性的な目的ではなく、獣が互いの肌の温もりを分け合うように、ゆっくりと震えるサンジの肌を暖めて行く。
 耳の後ろ、首筋、顎の下を通り、鎖骨まで、唇もゆっくりとサンジをなぞる。
 サンジは時折震えるような息を吐いてはいるものの、抗うでもなくその身をゾロに任せている。
「……ゾロ」
 小さく呼ばれた。返さずにそのまま柔らかなこめかみにキスを落とすと、まるで恐々とでも言うように、震える手が伸ばされた。そして指先が少し逡巡したのちゾロの頭をくしゃりと掴む。
 胸元に引き寄せるでもない、かといって突き放すでもない。ただ髪の感触を確かめるように、さくりさくりと短い生え際の中を行き来するつたない指の動きにどうしようもなく愛しさが込み上げる。
 ボタンが半ば外れてくしゃくしゃになったシャツから覗く白い胸を抱き寄せ、その背に強く腕を回した。
 と、その時胸元でほわりと弛緩していた身体に一瞬緊張が走った。ゾロの髪に潜っていた指先にも、僅か力がこもる。
「……」
 ほんの瞬間の小さな震えだ。気付かないゾロではない……が、あえてゾロは気付かぬふりで背に回した手をゆっくり腰の方に滑り下ろした。
 サンジも特に何でもないように、再びぱたりと目を閉じた。
 殉教者のようにその身を投げるかのような態度が気に食わなくて、ゾロは片手を背筋からボトムの中に滑りこませた。





*5へ*



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