だからその手を離さない 2
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「やっと起きたかよ…クソ剣士?」
「クソ、コック……?」
 らしくもないゾロの様子にニヤリと意地の悪い笑みを口元にのせて立っていたのは紛れも無い、ついさっきまで共に嵐の中戦っていた金髪で口が悪く、何かにつけてはぴよぴよとこうるさい、けれど自分の手の中では信じられないくらい甘くとろとろになる男・サンジだった……のだ、が。
 ゾロは一瞬呆けてしまった自分の口を慌てて閉じて、目の前の男をしげしげと見つめた。
 ぱっと見てサンジであると思ったのだが、どうにも雰囲気が違うようだ。
 サンジはデニムのボトムに白の解禁シャツといった出で立ちで、右手にトレイを持ち扉に背を預けている。
 口端にいつものタバコはないけれど、ゾロを見て挑発するように不敵な青い目をニヤンと細めた。
 左眼を覆うスタイルの金髪は肩に少し着くくらいにしんなりと長く、顎に生えたお飾りな髭やくるりと丸まった眉毛は相変わらずだが、全体的に大人びて落ち着いたような顔立ちとそしてゾロを見つめてくるその目の深さが……慣れ親しんだあの金髪コックのものとはどうにも違う。
 まるで何もかも包み込んでしまうような穏やかさは、ゾロのよく知っているあのコックが時折クルーを遠くから見守っている時に見せるようなものより段違いに、深い。
 端的に言うなら、老けた…のか?
(奴の兄弟かよく似た親戚……とかじゃねぇよな)
 剣を読むのと同じように、ゾロは一人一人が体内から発する呼吸を無意識に感じ取っている。その呼吸は、目の前の男が慣れ親しんだサンジであることを教えている。
 全身に纏う気配も、芯の部分ではゾロのよく知っているあのコックのものに変わりはない。だがやはり目の前の男には、それに更に何かを積み重ねた様な、ゾロが知りえない強さを感じるのだ。
 まるでしばらく会っていない馴染みに会ったような、自分の知らない時間をその目に映して生きていたその姿……だから一瞬、呆けてしまった。
「てめぇ…ホントのコックか?でなきゃ何モンだ」
 殺気はないのでとりあえず構えはしないが、目線を走らせて自分の獲物の姿を探す。
 それに気づいたサンジ(だと思われる男)が顎をしゃくった。
「テメェのかわいこちゃん達ならホレ、そのベッドサイドに置いてあるぜ。ちなみにホントも何も、俺は生まれた時から全世界のレディの僕、超一流コックのサンジ様だ。敬いへつらってよし」
 条件反射で後半に続くセリフを聞き流して見やれば、和同一文字をはじめ3本の刀がきちんと並べて置いてあった。
 ゾロはそれを一まとめに掴むと、腰の低位置にくくりつける。
「俺だって、そいつらがなけりゃテメェがゾロだなんて、信じられねぇところだぜ…まぁとにかく、起きたならこっちの部屋来いよ。飯の時間だ」
 つぶやいてきびすを返したサンジの後ろ姿、そのまぁるいさわり心地のよさそうな金髪頭はゾロのよく知るそれと同じで。
 どうなってんだこりゃ、と頭をひとつ掻いて、ゾロはその後に続いた。
 
 
「まぁ、とりあえずこれでも飲んどけ」
 トレイごとほわりと白い湯気を纏うスープを渡され、ゾロはキッチン脇に備えられえた木のテーブルに腰をかけた。
 そこはこぢんまりとしたキッチンと2人分の椅子が置かれたテーブル、それにソファがあるだけの部屋だった。部屋の隅に階下に続く階段があり、ここが2階だったのだと初めて気づく。
 階段の降りる方向には胸くらいまでの高さしか壁がなく、どうやら1階を覗けるような間取りになっているらしい
 スープを置いたまま、ゾロは目の前のキッチンを左右に動き回るサンジを見遣った。2つの鍋を同時に相手しながら、手早く何かを刻みそしてゾロにはわからぬ何がしかの作業をしてそれを鍋に放りこんでゆく。
 メリー号で料理をするあのコックの姿と、それは同じだった。お玉で味見をするときの滑るような腕の動き、立った時の足幅、揺れる背のリズムなど、意識せずにその人間が身に付けている所作の癖が、同じなのだ。
 ゾロは毎夜その姿をゆったりと目に焼き付けてきたので今更見間違えるはずもない。
 それを確認したと同時にきゅる、と腹が鳴った。なんとも正直な腹だ。
 苦笑しつつゾロはそのスープを木製のスプーンに掬い、一口含んだ。
 途端に口中に暖かく広がり、体力の落ちていた腹にまさに染み渡っていくそのスープは、変わらない、確かにコックの味だった。うめぇ。
 ふ、と体から強張りが解ける。
 らしくねぇな、と気配を探りすぎていた自分を笑う。
 ゾロはスプーンを放り投げると、椀ごと引っつかんでごくごくと中身を飲み干した。腹がもの凄く減っている。それをようやく思い出せた。
 その様子を伺っていたサンジが、くつくつと喉の奥で笑った。
「獣並みな喰い方は、やっぱテメェだな。焦らなくてもまだあるぜ」
 鍋から新しいスープを継ぎ足すと、出来上がった料理を次々と並べて行く。
 サンジもどうやら一緒に食事を取るらしく、ゾロの向かいにゾロの皿と比べるとからり少なめの量取り分けた皿を並べていた。向かい合ってサシで食事することなんて、今までありえなかったことだ。
 ゾロは妙なくすぐったさを消すように、いただきます、と一応の形をとってから勢いよく目の前の料理にかぶりついた。
 
 
「ところで俺は何日くらい寝てたんだ?」
「そうだな、丸1日くらいか?…いきなり人んちの前でぶっ倒れてやがって」
 俺の対レディ専用の繊細なハートがちょっとびびっちまったっつうの。
 あらかたの食事をゾロが平らげた食卓で、よく冷えたワインをゾロのグラスに注ぎながらサンジがアホな文句を垂れて応える。
「そのどこでも寝る癖なんとかしろ」
「癖じゃねぇ。あと好き好んで転がってた訳じゃねぇ」
 ムッと唇をとがらせるゾロに、サンジは自分のグラスにも酒を注ぎながら何が嬉しいのか、にやん、と相好を崩すとまぁまぁグイッいけ、とか言いながら更にゾロのグラスに注いでくる。
 どうやらこの家はこのコックの持ち家らしい。……益々もって航海をしているあのコックとは別ものだ。
「で、てめぇは結局何モンなんだ」
「それはこっちの台詞だクソマリモン。まぁこんな時は憶測をしてもしょうがネェ。スッパリ聞こうか。てめぇ……」
 すい、とサンジの目が真剣味を帯びて細められる。
 ゾロも含んでいた酒をゴクリと飲み干した。
「ゾロの隠し子か」
「アホかぁ!!」
 思わず真剣に聞いて損した。
「え、違うのか」
 本気でぱかっと目を見開いたサンジに、こめかみの青筋がピクリと震える。
「だいたい隠されてる子供にてめぇは隠し子かなんて聞き方があるか」
「まりもにそんな繊細な感情ねぇだろ。藻類だし」
「どっかでクワクワ鳴いてるあひるよりゃあんじゃねぇの」
「………」
「………」
 両者ひきつり笑顔で睨み合い、しかし先にぷっと吹き出したのは意外にもサンジの方だった。
「悪ぃワリィ…喧嘩の1コでもしたいとこだが、そんな場合じゃねぇよな。ここは大人でナイスガイな俺様が引いてやる。んで、てめぇ……とりあえず、ゾロ、なんだよな」
 まさか親父から譲り受けたとかじゃねーよな。と腰の三振りの刀とゾロの顔をちらちら見比べる。まだ隠し子説を捨てきれないらしい。
「おう。俺は他の誰でもねぇ。ロロノア・ゾロ本人だ」
「……海賊狩りの?」
「あん?変なカマのかけかたすんな。狩り、じゃなくてルフィの船で海賊やってるに決まってんだろ。そういうてめぇこそホントにアホ眉毛なのか…いや、気配やらなんやらで確かにてめぇだってのはわかるんだがよ。その、なんでそんなに年食っちまってるんだ」
「なっ、年食ってるたぁなんて言い方だ!もし俺がレディだったら即殺してんぞ」
「いやてめぇは女じゃねぇだろ」
「うるせー、そういうてめぇはいくつなんだよ!」
「19だ」
 即答したゾロに、その瞬間サンジの青い目がぱちくりと瞬いた。
 そしてふっと目線が緩む。
「あー…だよなぁ。この外見、そうだよな」
 その妙に優しさを含んだ目線が、何かを思い出すかのように遠くを見つめる。
 それが何故か心をざわつかせて、ゾロは小さく眉間に皺を寄せた。サンジは次にへらりとまたいつもの調子のいい顔に戻って、ゾロの頭をがしがし撫でた。
「そうか、19のこまりもちゃんでしたか〜」
「そういうテメェは何歳なんだよ」
 それヤメロ、と手を振り払うとサンジはくすくすと笑いながらなおも指を伸ばしてくる。
 こういう瞬間の屈託のない笑顔は、やはりサンジだ。
「俺?俺だって永遠の19歳に決まってんだろ」
「あ?嘘付けこんなジジくせえ19歳がいてたまるか」
「ま、おこちゃまにはこの成熟した大人の色気ってやつがわからねぇか」
 そういってサンジはふふん、と鼻で笑い首をちょっと傾けると少し長めの金髪を耳に掛けた。あらわになった真っ白いうなじ。
 食いてぇな、とほぼ条件反射でそのきめ細かい肌に目を奪われる。
 ソロはサンジのその肌の質感が結構気に入っているのだ。見れば何と言うかその色と匂いに頭の芯がいい具合にくらくらするし、所かまわずちゅうと吸い付いて自分の痕を残してやりたくなる。
 いやいやそんな場合じゃねぇだろう、と無理やり目線をそこから剥がせば、今の短い葛藤をしっかり見られていたらしい。青い目が嬉しそうににやん、と細められていた。
「で、なんで19歳のこまりもちゃんがこんなところに居たんでしゅか?迷子でしゅか」
 今度はわざとしんなりした猫のような動きで、サンジは上目遣いでゾロを見据えた。
 襟首の開いたシャツから覗く鎖骨が、そしてその先に淡い影を落とす胸部が静かにゾロを誘う。
(そりゃなんだ。大人の色気ってヤツを出してるつもりか。チクショウ。)
 ゾロはチっと舌打ちをする。
 頭は未だに目の前の相手がサンジ本人であるということを信じきれていないのだが、体(本能と言うのか?)の方はしっかりそうだと認識してしまっているのだ。だからその行動の一つ一つに反応してしまう。手を伸ばしてしまいそうになる。それが全然誘ってるような仕草じゃねぇよアホ、とかいう動きであったとしてもサンジだから故、だ。
「知らネェよ。さっきまで俺の居たのはメリー号の上だった。すげぇ嵐で…多分落雷した。メリー号に。いや俺にか?」





*3へ*



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