だからその手を離さない 3
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「それってグランドライン航海中、だよな。勿論」
「ん、あぁ」
「急に湧き出たような嵐で…まぁそんなのあの海域じゃ日常だったけど、2人で破れた帆を張り直した」
「おう」
「テメェは俺の見てる前で……雷に打たれて、そう、確かに消えたんだ。……覚えてるぜ」
「覚えてる?」
 サンジはそこで真っ直ぐゾロを見つめて、確かめるように聞いた。
「それはいつの話だって?」
「だから、ついさっき。寝てる間にもう昨日のことになっちまったかもしれねぇけど、俺がこの家で目が覚める前のことだ」
 しっかり言ったゾロの言葉に、は、とサンジは呆けたように息を吐いた。
「ゾロ、てめぇはホントにゾロ……なんだな」
「あ?だからそう言ってるだろ」
「違う、そうじゃなくて。えーと。俺はな、もしテメェが隠し子じゃなくて、でも本人で、19歳だって言うなら、それはお前がどこかでまた怪しげなモンでも食べて若返っちまったのかと……そう、思ってた。グランドラインじゃ馬鹿げたそんな実が、ゴロゴロしてたじゃねぇか」
 おう、とゾロも素直に頷く。この世界にはまだまだ知らないモノがごまんとあるし、船のメンバーが変な物を口にして騒ぎになったこともしばしばだった。
「お前だって、目の前の俺は昨日今日でいきなりどうして年食ったんだ、そんな感じで不思議がってんだろ?」
 再び頷く。
「だよな…でも、違う。そうじゃねぇんだ。お前は確かに最初から19歳のゾロであって、俺も別に急に年取った訳じゃねえ。この場でおかしいのはゾロ、お前の方だ。場っていうか、世界?時間?えーとなんて言やいいんだ」
 口の達者なサンジがここまで説明に窮しているのも珍しくて、ゾロは黙って目前の男の、最早色気だの大人の余裕だのもすこんと忘れてウロウロとさ迷う青い目玉や、さらさら揺れる金の糸を眺めていたのだが。
「つまりここは、お前のいた時代からみたら、数年後……はるか未来の世界、なんだよ」
「は?」
 思わず聞き返した。突拍子もなく何言ってんだと思ったが、サンジの目はいつのまにか迷うことなくゾロを見つめていた。
「原因はその落雷だ。その時に、どんな力が働いたのかはわからねぇが……お前は時間をぽんと飛び越えて来ちまったんだよ。そして随分先の未来であるこの場所に流れ付いた」
「じゃぁ、つまり…一緒に旅していた船の奴らもみんな」
「ああ。今この時代、俺と同じだけ年を取ってるよ。…落雷が起きて船が大変だった…そんな記憶はずっと過去のことだ。覚えてもねぇかもな」
 時間を越えた?……じゃぁこの目の前のコックは、本当にあの19歳のコックが成長した姿だってのか。
 もう一度、値踏みするような目線でゾロはサンジを頭からつま先まで眺めた。
 柔らかな金髪、きめの細かい白い肌は勿論綺麗なままだし、上半身や脚腰は相変わらず細いが、筋肉はそれなりについているようで衰えてはいないようだ。料理の腕は、言わずもがな。
 ふむ。悪くねえ。
 未来云々はにわかに信じがたいことではあるが、ゾロはそういう事もあるのかもな、とあっさり肯定できた。
 元来船において難しい論理や説明事は女共かサンジの役目だ。サンジがそう結論付けたことならば、そうであるのだろう。
 よく言えば仲間を信じている、悪く言えば単に大雑把なゾロがさてどうすんべ、そろそろ一眠りしてぇなと思っている間にも、サンジは何やら一人でぶつぶつ言って考え込んでいる。
「いや、似ているだけでてめぇの行き着く未来は微妙にこことは違うのかも知れねぇけど……ああロビンちゃんならもっと上手に説明してくれんのかな」
「おい」
 一人でくしゃくしゃ髪の毛を乱して机に突っ伏してしまっていたサンジを、ゾロは酒瓶の底で小突いた。
「ア?」
 ギロっと凶悪な目線が返ってきて、ゾロはちょっと口の端をつりあげた。そうそう、やはりコックはこうでなければ。
「で、結局のところテメェは今いくつなんだよ」
「あー……」
 サンジはしばらく考えるように口篭もったあと、何かを決意したようにはっきりした口調で言った。
「ゾロ、今のお前はここの世界のことを知るべきじゃないと、思うんだ」
「どういうことだ?」
「…例えば、これはホントに例えばだぞ。名もなき野郎Aの話とでもしておこう。明日自分が事故に会う。それを知ってたらそいつはそれを避けて行動するだろ?でも実はもっと未来、そいつは怪我で入院した先の病院でむちゃくちゃかわいいレディとお知り合いになって、やがてはそのコと結婚するはずだったんだ。でもその事故を避けたせいで、そいつはそのコと出会えなくなり、その野郎にとっても、レディにとっても将来の幸せであるはずだった人生の時間がなくなっちまう」
 真剣に訴えるサンジの言わんとすることは、ゾロにも解った。
 クルーは今それぞれどうなっているのか。
 興味はあったけれど、確かに今の自分が知ってしまってよいことではない気がした。
 それにいつかは確実に辿り着く未来を、今見てしまったら面白くもなんともない。
 サンジは静かに話を聞くゾロから、柔らかく目線を落とした。
「そういうことだ。その気はなくても、意識してるのとしてないのとじゃ、行動は自然と違ってくるもんだ。だから未来のことは……あんまり先のことは良いことも悪いことも、知らないままの方がいいと思う」
「……てことは、俺はこの後、船に戻ったんだな?」
 唐突に放たれたゾロの言葉に、ぽかんと、アホな顔をしてサンジが目線をあげる。
「なんだよ。違うのか?そんなに忠告するってことは、そうなんだろ」
 肩眉を吊り上げて見返すと、サンジは見開いていた目をにわかに細めて、そしてはにかんだように笑った。
「参ったな、こういう肝心なとこで頭回るんだよな、てめぇは」
「これくらいは知っておいてもいいだろ。知ってたところで帰り方もわからネェんだから、意識のしようもねぇ」
「まぁ……そうだけどよ。ああ…一応俺の知ってる過去の記憶じゃ、テメェは船の上に帰ってきたよ。確か嵐の翌日、海に落ちたかと思って必死に夜を徹して探してた俺らの前に、ひょっこりとな」
 あきらめたようにふうと一息吐いて、まぁそれも俺のいた過去の時代と、テメェのいた過去ってのが同じだった場合の話だけどな、と呟く。
 その薄い唇を眺めていて、あぁ、とゾロは気づいた。先ほどから妙にしっくり来ないことがあると思ったら、煙草だ。
 サンジはこうして一息つく時には必ず胸元から1本取り出していたものなのに、目の前のコックはまだ今日出合ってから1本も口にしていない。
 胸元にも入れてねぇのか、とじっと見つめていたゾロの視線がシャツの動きにつられて移動する。サンジが立ち上がったのだ。
 何だと目線を合わせた途端、サンジが破顔した。
 ふわり、朝に花がほころぶように純粋に、静かに、サンジが笑う。
「とりあえずいらっしゃい、ゾロ。ようこそこの時代に」
 よく、来てくれた…小さくそう言ったサンジの目が、なぜか優しく泣きそうで。
 その顔を見たゾロの胸の奥が急にざわついた。じわじわと競り上がってきた焦りに何かを言いかけた時、
ドォーン!
外で何かが空気を震わせて弾けた。
 反射的に刀の柄に手をかけたまま既に真っ暗になっていた窓の外を見ると、ぱあっと金色の火の粉が夜空一面に散っていくところだった。
「花火……?」
「ああ、今日は街の祭りの最終日なんだ。派手な連発とかはないみてえだけど、結構な数が打ち上がるんだぜ」
 同じく窓の外を見遣ってサンジが静かに告げる。再び音がして、夜空に光の筋が昇っていく。外ではなく、きらきらと瞬く赤い火の粉がその青い瞳に反射するのを、ゾロは黙って見ていた。
 
「アイツは何処にいる」
 口をついて言葉が出たのは、本当に無意識だった。
「は?誰だよアイツって」
「俺に決まってるだろ」
 
 こっちを向いたサンジの瞳が一瞬揺れたように感じたのは、もしかしたら花火の光の名残だったのかもしれない。





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