プレゼント 1
-------------------------------------------------------------------------------
 
 
「……なんでテメェがここに居る」
 小さな二階建てアパートの、ぎしぎし軋む鉄骨の階段を上って右に折れた廊下の一番奥。
そのくすんだエンジ色の扉の中から現われた予想外の人物に、ゾロは一瞬固まった指をチャイムからゆっくり引き剥がすと、低く唸って顔付きを険しくした。
「結構早かったなぁ。厄介な教授に捕まってたみたいだから、もう少し長引くかと思ってたんだが」
 ゾロの登場に驚いた様子も、その獣のようだと周りから恐れられる凶悪な目線にひるんだ様子もなく、目の前の相手――ゾロと同じ大学の一つ上の先輩にあたるエース――はそばかすの少し散った頬にさわやかな笑顔を浮かべた。
 夕暮れに染まりつつある階下の通りを、チリリンと呑気な音と共に自転車が通り過ぎてゆく。
 ゾロの眉間に益々深い皺がよった。エースの背後にちらりと視線を走らせても、あるべき姿がいつまでも現われない。
「……ここで何してやがった」
 履き捨てるような口調で、ゾロは鋭い視線を投げる。学年が一つ上だとか、そんなことは端からエース相手には気にしちゃいない。
 エースは、こいつだけは油断ならないとゾロが常々警戒していた相手なのだ。
 その相手がよりにもよって、どうしてこの部屋から出てくるのか。
「いや、邪魔するつもりはなかったんだが、今日はお前の誕生日だと聞いて」
「……アイツはどこだ」
 今にも掴みかかりそうになる自分の腕を抑えて、ゾロは努めて冷静に目の前の男を睨んだ。
 そんなぶしつけな感情もまるで気に留めず、エースはにっと愛想の良い笑顔をゾロに向けた。
 
 
 エースは普段、ゾロの通う医大においてはちょっとした有名人である。
成績の上位で常に噂に上る人物。しかしそれ以上にその名を広めているのは、その能力を誇示することなく、持ち前の笑顔と柔らかい雰囲気で誰とでも話が出来る人当たりの良さゆえだ。とにかく顔見知りが多い。
 あまり口の達者ではなく、まして普段から愛想笑いの欠片もないゾロとは正反対である。
 尤も有名人という点においては、小児科医を目指すくせに子供はおろか大人まで泣かせてしまいそうな凶悪な目つきと、大学では珍しいごつい体格のせいで目立つことが多いゾロとて変わりはないのだが。
 料理学校に通うサンジとの共通点は、共に高校のサークルで一緒だったルフィにある。

 同じ大学ということで初めてルフィからエースを紹介された時、ゾロの最初の印象は「食えないヤツ」だった。
 世の中には感情を出しやすい者と出しにくい者がいるが、エースは後者だ。しかも作為的にそうしているのを、ゾロは数回交わした会話から読みとっていた。
 エースは誰にとっても話しやすい相手だ。
 陽気な笑顔に、癖の無い会話。その雰囲気を例えるなら、そう、穏やかな波だ。こちらの感情の波をいくらでも受け止めてくれる、緩い波。
 きっと愚痴や不満などをいくらぶつけても、エース気の済むまで相手の話を聞き、変わらぬ笑顔で応えてやるのだろう。そして最後には皆、エースは頼りがいのある良い奴だと感謝する。彼自身はただ、皆の意見を少し良い方に受け流してやっただけなのに。
決して他人に自分を見せない。単純明快な弟と違い、エースは言葉巧みに相手と渉る術を知っているのだ。
 何もかも笑顔に隠されて、エース自身の感情は……本心は、見えることはない。
 
 ……尤も、そんなエースの性格なんてゾロには知ったことではない。
 他人がどういう性格をしてようが、厄介な人生を歩んでようが、ゾロには関係の無いことだ。
 どうでもいいエースを、どうしてこうも気にする羽目になっているのか。
 ……その原因は、無論、サンジ。
 サンジが、エースは頼りがいがある良いやつだと認識しているその他大勢のうちの一人だからである。
 
 ゾロとは逆に、サンジは自分の料理に関心を寄せて、いつも何かにつけて誉めてくれるエースがえらく気に入っているらしい。
 いつだったか喧嘩の最中に「ゾロよりも料理の作りがいがある」とまで言われ、本気でキレた事がある。
 確かにこれに関しては料理の感想をロクに言わなかったゾロにも非はあったのだが、それ以外でもサンジはエースに心を開いている節がある。
 エースは口下手なゾロと対照的に話も巧みで面白く、逆に相手の話も聞き出すのが上手い。大学での人気もここにあるのだから、サンジが他の学生と同じ様に話しやすさを感じるのは、まぁいい。
 ……しかし、あの目。
 エースのサンジを見るあの目が気に入らない。
 あれは、自分と同じ感情を持っている。
 警戒心もなく懐くサンジに一度それを告げたら、「誰も彼もテメェと同じ趣向だと思うなッ」と蹴りを入れられた。
 何を言っても無駄だと悟ったゾロは、以来番犬よろしくサンジには分からない所で常に警戒の目をエースに対して送っていたのだが、エースはエースでそんな二人のやりとりを承知してか、自然を装いサンジの肩や腰に手を回しては、わざとらしく歯噛みをして耐えるゾロを見てにやりと笑ったりするのだ。
 目を離すと、いつ何をされるか判ったもんじゃない。
 常々そう感じていたエースが、である。
 こともあろうに今目の前で、サンジの部屋から一人出てきたのだ。ゾロが怒りの色を濃くするのも無理はないだろう。
 
 
「んな怖い顔すんなって。サンジなら奥の部屋だ」
「………」
 信用ならねェとじろりと睨むゾロに、エースはやれやれといった風に苦笑してスニーカーを足だけで器用に履くと、肩に小さなバッグを一つ引っ掛けてそのままゾロのいる廊下に降り立った。
 ゾロは敵意をそのままに無言で見つめる。本当は直ぐにでも追い出して、鍵を掛けてサンジを確認しに走りたかったのだが、エースを前に逃げるような真似はしたくはなかった。
 じりじりした気分で睨みつけていると、すれ違い様エースがゾロを見た。
「俺も気持ちばかりのプレゼント、即席で申し訳ないが用意したから受け取ってくれ」
「……?」
「もっと早くから知ってりゃ、色々用意してやれたんだがなぁ」
 至極残念そうに呟いて向けられたのは、にやりとした、どこか面白がるような笑み。
 その意味ありげな笑いに片眉を吊り上げるが、エースの顔はすぐにまたいつもの人好きのする明るいものに覆われた。
「んじゃな」
 片手を上げたエースの背中は、そのままアパートの階段を下りて見えなくなった。
「……!」
 エースの姿が見えなくなると同時に、開け放したままの扉からゾロは部屋に飛び込んだ。
 鉄の重いドアを叩きつけるように閉めてガチャリと鍵を掛けると、靴を乱暴に脱ぎ捨てる。
 玄関を入るとすぐそこはキッチンになっているのだが、サンジの姿はなかった。しんとした気配にゾロの眉が思い切りひそめられる。
 いつもなら「遅刻すんじゃねぇ、料理が冷めるだろこのミドリッ!」と扉を開けるなり飛んでくる蹴りも、それどころか騒がしい声の一つもない。
 上がればすぐ右手のシンク前、テーブルの上には二人分のまだ暖かそうな料理と皿がきちんと並べられていた。サンジが時間ぴったりに用意したのだろう、後は主賓が揃えばいつでもパーティーが始められそうだ。
 ワイングラスや皿の中央には真っ白なデコレーションケーキ。きっとこれも手作りに違いない。
 丸く飾られたイチゴ、何故か中央の一つ分だけ削られたように剥がれたクリームの中からスポンジが見えている。
 奇妙な違和感。
(……あんのヤロウ、アイツに何しやがった!!)
 怒りと不安に顔を険しくして、ゾロは足音も荒くキッチンを抜けて奥の部屋へ入った。





*2へ*


-------------------------------------------------------------------------------