携帯電話  (前編)
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 それは空高く晴れたある日のこと。
 
 
 RRRRR♪
 
 聞き慣れた着信と共に後ろポケットの携帯が震え、サンジは足を止めた。
「ん、わり」
 両手に抱えていた荷物の片方を、傍にいたゾロが自分の荷物を寄せて受け取ってくれる。
 サンジは空いた手をGパンの尻ポケットに滑らせると、携帯を取り出した。
 ディスプレイの番号を見れば自宅からだ。
「なんでこんな時間にジジィ?」
 サンジが一緒に暮らしているのは祖父のゼフだけで、通常レストラン勤務をしているゼフは日中のこの時間自宅にはいないはずだ。
 首を捻りながら受話ボタンを押して耳に当てる。
「はいはい」
『ああ、よかった』
 
 予想に反して、耳に響いたのは若い男の声だった。
 少し軽めのハスキーボイスが、安堵したように息を吐く。
 なんで知らない男が、俺の自宅から?
「あ、の…どちらさまでしょう」
 ジジィの客か?でも何で俺の自宅から――。
 そこまで考えて、瞬間すっと血の気が引いた。
 まさか、ジジィに何かあったんだろうか。
 頑丈そうに見えて、ゼフは案外いい年だ。不慮の事故、またはサンジの気づかぬ所で無理をしていたのか。
 一瞬色んな考えを巡らせたサンジの耳元で、男は明るい声で言った。
 
『俺、その携帯の持ち主なんですが』
 
 
「……は?」
 一瞬返す言葉に詰まったサンジの向こうで、男は更に続ける。
『携帯拾ってくれてありがとうございます。えっと、引き取りに行きますので今どこでしょうかね?あ、最寄の警察に預けて貰っても…』
「ちょ、ちょっと待った」
『はい?』
 サンジは一瞬耳を離すと、もう一度携帯の画面を見直した。
 確かに着信表示は、登録されたサンジの自宅の番号になっている。
 一体どういう事だ。
 サンジは首を捻りながら、再び携帯に耳を押し当てた。
「あー、えっと…もしもし?あの、もしかしてアンタ番号間違ってないか?これは拾いモンとかじゃなく、元々俺の携帯なんだけど…」
『えっ…』
 電話の向こうで男が驚いたように声をあげた。
 
 向こうでも何かを確認しているかのような、微妙な沈黙。
 おかしいな、と小さな呟きが聞こえた。
『あれ、すいません…。えっと一応番号確認いいですかね?090……』
 ここに掛けたはずなんですが、と、男が読み上げた8桁の番号を聞いて、サンジは小さく眉をしかめた。
 男がかけて来ている番号は、確かにサンジの携帯の番号で間違いない。
 
 そこでひとつの可能性にピンときたサンジは、ぐっと声を低くして電話の向こうに凄んだ。
 
「……オイお前、一体何の冗談だ」
『…はい?』
 見知らぬ男が自宅に上がりこんでいる。
 そしておそらくは電話の横、連絡メモに走り書いてあったサンジの携帯番号(なかなか覚えないゼフの為に書いてあるのだ)を見たのだろう、そこに電話をかけて来ているのだ。
 只の悪戯か、頭のイカレた野郎か…どっちにしろ不法侵入だ。
 今すぐとっ捕まえたいが、いかんせん自宅までは距離がある。それにヘタに刺激して何かされても厄介だ。
 
 サンジは傍らで休んでいたゾロに目で合図すると、くるりと方向転換して足早に歩き出した。
 本当はこれからゾロの家に行くつもりだったのだが、予定変更だ。
 ぎゅと耳元の携帯を握り直す。
 自宅まで急ぎ足でギリギリ10分弱、それまでこの電話を引き伸ばせばいい。
 ドラマで見る誘拐事件の逆探知のような状況に妙に闘志を燃やしつつ、サンジは小走りで駆け出した。
「おい……ッ?」
 訳もわからず両手に大量の荷物を抱えながら、ゾロも後ろから付いてくる。
 
 
「あー…あんた、名前は?一体何でそこにいるんだ?」
『……あぁ?』
 今度は電話の向こうで男が訝しげな声を上げた。
『何でって、携帯落としたから家に戻って来て電話かけてるんだよ』
 少し苛立ったような相手に、サンジも負けじと言い返す。
「家ってお前、そこは俺の家だろう?なんで知らないテメェが上がりこんでるんだって話だよ」
『……何言ってんだお前、頭大丈夫か』
「不法侵入のお前に言われたくねぇよ!」
 相手を刺激せず引き止めるという考えはあっという間にふっとんだ。
 サンジはぐっと駆ける速度を上げた。
 片手に下げた袋の中で、ゾロの好物の野菜がゆさゆさと揺れる。
 
『お前こそなんか勘違いしてねぇか?ここはお前んちじゃなくて、俺んちだっての。とにかく携帯返せって!』
「これは俺の携帯だって言ってるだろ!大体着信表示見ればどっから掛けてるかなんてわかるんだよ!そこは絶対俺んちだ!」

「おい、一体どうしたんだ!俺にもわかるように話せクソ眉毛ッ」
 
 気づけば全力疾走していたサンジの直ぐ後ろから、両手に大量の荷物を抱えたゾロが叫んだ。
 これだけのペースを両手が塞がった状態で走っていて息を乱していないのは流石というか。
「うっせ、ちょっとまて今……ッ」
 
『……ゾロ…?』
 サンジが怒鳴るより先に、呆然と、電話の向こうで呟く声がした。
 





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09.08.31