Feel Like the Heaven
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 数年ぶりに集まった仲間たちとの宴は一晩続いた。
 色とりどりのお菓子の山に囲まれながら、たくさん笑ってたくさん呑んで。各地に散っていた仲間たちから零れるたくさんの冒険談に目を輝かせた。
 普段は滅多に笑わない仲間だって、この日ばかりは目元を緩ませることをみんな知っている。
 やがて空が薄っすら明るみ始めた頃、ようやく楽しい喧騒が沢山の寝息がにとってかわった。
 久々の休暇に満足げに眠る大きな神の龍のあちこちに、仲間たちがもたれ寄り添っては眠っている。
 
 
「……」
 ムクリ、とその間でサンジは身を起こした。
 朝の気配のする薄暗い部屋の中、各所で寝息やむにゃむにゃと意味不明の呟きが聞こえる。
 仲間たちが寝入っているのを見回し、起こさぬようお菓子だらけでふわふわとやわらかい足場をそっと移動して、サンジは洞窟の外に出た。
 小高い山の頂くらいの高さがあるこの場所からは、四方の海が見渡せる。
 ひやりとした風にふうと小さく息を吐いた途端、ずくりと嫌な痛みが左肩に起こった。
「……チッ」
 ズクン、ズクン、とまるで自分以外の心臓がそこで脈打っているような痛み。
 けれどまだ衝動は遠い。内部に巣食うその気配を探るようにじっと息を詰めながら、サンジはあかるむ海を睨みつけてその痛みが通り過ぎるのを待った。
 
 
「テメェ、何してやがる」
 不意に背後から低い声が聞こえて、サンジは再び小さく舌打ちした。
 背筋を伸ばして、そこに仁王立ちする不遜なオーラを振りまく男を振り返る。
 緑色の頭に、イースト地方特有の鮮やかな伝統柄を染上げた長い着物。脇にさすのは三本の長刀。
 
 眉根を寄せて自分を睨みつけているゾロの前で、サンジは胸元からタバコを取り出すとわざとゆったりと火をつけた。
「何って、喫煙タイムだ。邪魔すんな」
 ふわりと上がった煙をふっと吹き流してやれば、相手の眉間の皺がより深くなった。
 
「そうじゃねぇ」
 アン?と緑頭を睨んでやれば、ゾロは今にも飛び掛らんばかりに目元をしかめてサンジを睨み返した。
 
「どうして最近『見えなく』なった」
「……」
 サンジは黙って、ゾロの目を見据えたままタバコをふかす。
「……俺に隠れて、何してやがる」
 怒りを含んだ低い声。
 一般人が聞いたらゾッと背筋を震わせるようなその鋭い気配をぴりぴりと肌で感じながら、ふう、とサンジは溜息のように長く煙を吐いた。
 やれやれと肩をすくめて長くなったタバコの灰を落とす。
「多忙な俺にだってプライベートはあるんだよ」
 そうそう覗かれてたまるか、と吐き出すように言えば、ゾロは羽織っていた長い外套の裾から日に焼けた腕を伸ばしてきた。
 その手がサンジを捕まえる、寸前のタイミングでひらりと身をかわす。
 捉えられてやる気も、それを喧嘩として買ってやる気も今はない。
 
「悔しかったら迷子にばっかなってないで、自力で探し当ててみやがれ」
 サンジはいつだって同じ町にいるのに、いつもふいっといなくなるのはゾロの方だ。
 束縛されるものと、されないもの。
 それが互いの生き方だし、例え離れていても深いところで繋がっているから――そう確信はしている。
 でも、目の前にその存在がいない。あの目が自分を見ない。
 いつ戻るかもわからないのに、市場でつい手に取ってみてはそのことに思い当たって苦々しい気持ちで戻す、好みの食材たち。
 もしかしたらこのまま一生、二度と自分の元には戻らないかもしれない。
 お互いがどこにいたって、例えば今ここから自分が居なくなったって、アイツはまた別の巣穴を見つければいいだけかも知れない。
 繋がっていたって、互いの気持ちは所詮それくらいのものでしかないのだと―――くだらない不安だと、わかってはいても。
 
 でもたったそれだけで押し殺せなくなる溜息を。
 一人で眠るときの、あの世界から取り残されたような孤独感を。
 いったい幾度押し込めてきたのか、コイツは知らないだろう。
 そしてそんな弱い、自分自身がたまらなく嫌いなことも。
 
 もっとも知られるなんて死んでもプライドが許さないし、目の前の男には片言だって漏らすつもりはないが、それでも会えた瞬間無条件で笑って受け入れられるほどサンジは寛容じゃない。
 そんな都合のいい相手でいてやるほど、甘くはないのだ。
 ……思い知ればいい。
 
 青い目を少し眇めて、サンジはふいとゾロから視線をそらした。
 タバコを足下でもみ消すと、くるりときびすを返す。
 仲間のもとへ戻る背中を、痛いほどゾロの目線が追いかけてくる。それには気付かないふりをした。
 
 
 広間に戻って奥の方、壁にもたれて温かな空気に小さく息を吐けば、少し離れた場所に同じように手足を組んで休んでいた相手がぽつりと呟いた。
「相変わらずだな」
「……るせぇ」
 ゾロと同じ郷里の着物を身につけた、色だけではマリモと遜色ないその男。ピッコロは閉じていた目をそのままに小さく笑った。
 この男の聴覚の範囲が恐ろしく広いことを失念していた。
 そんな相手に隠しごとができるはずもない。おそらく今の会話だって丸聞こえだったはずだ。
 サンジは顔をしかめて、ごろりとねっころがった。
 気配には鋭いものばかりだ。おそらく寝ていると思っている仲間のうち何人かは、やはり今の自分たちの遣り取りを察していただろう。
 もっとも、二人の仲を知っているのに口出しするほど野暮な仲間はここにはいない。
 部屋に満ちる、一番深くて大きな寝息の持ち主である神龍ですら、きっと聞かないふりをしてくれている。
 
 サンジは柔らかな絨毯に頬を埋めると小さく息を吐いた。
 服の上から、左の太腿に手を這わす。
 今は見えないその場所が、疼くように小さく痛んだ。
 
 
 
 ***
 
 
 
「それじゃ気をつけてな」
「もっと肉食わせてくれよ〜〜」
 数々の声に見送られながら、サンジは少ない荷物をまとめて車に積み込んだ。荷物と言っても大きなものは家から持参してきた愛用の包丁くらいだが。
「サンジくん大丈夫?顔色悪いわよ」
 準備をするサンジを、心配げにブルマが覗き込んだ。
 するりと顔を撫でた白い手に、サンジの目が途端にハートになる。
「心配してくれるなんてブルマしゃん、やっさしいなぁ〜!」
 ヒョホー!と飛びつかんばかりの勢いだったサンジの耳を、横からナミが摘まんで止めた。
「ちょっとねぇさん!甘やかしちゃだめよ!」
「ああんナミさん、いけずな君も素敵だぁ〜vv」
 くねっと身をよじったサンジを、はぁ、とナミは大きな溜息をつくと、細い腰に手を当てて睨んだ。
 声のトーンを少しだけ落としたナミの肩から、オレンジ色の髪がこぼれる。
 
「サンジくん、この前渡したもの…大丈夫なの?」
「うんありがとう、お陰さまでうまくいってる。……心配してくれるなんて、嬉しいなぁ」
 目線を緩めたサンジに、ナミは怒ったようにピンクの唇を尖らせた。
「アンタの心配じゃなくて、私はあれの代金の心配をしてんのよ!」
 分割払いでまだまだ先が長いんだからね!と声を上げたナミに、魔女に借り作るなんてとんでもねぇな、と傍でウソップが小さく震えた。
 それをすかさずヒールで沈めたナミに、サンジは眉を下げて笑いかけた。
「ほんとはもっとナミさんたちの顔見てたいんだけど、ごめんね」
 ナミが本当にサンジの心配をしてくれているのは、サンジにだってわかっている。
 無理を言って仕入れて貰った物の、身に及ぼす負担を知っていればなおさらだ。
「それじゃ車借りますね〜」
「おー気をつけるんじゃぞ」
 声を掛けた上司はサンジに返したものの、その目はレディたちのボディラインに釘付けになっている。
 いくつになっても活力のある老人だと感心しながら、サンジは車に乗り込んだ。
「それじゃ、またな」
 最後に大きな友人に向かって手を振れば、
『気をつけてゆけ』
 頭に響く威厳に満ちた、けれども優しい声で神龍はひげを震わせて笑った。
 
 
 そこにあるのに世界のどこからも見えない、不思議な力に守られた場所。伝説にも謳われる、古き友人の住処。
 楽しい時間に後ろ髪を引かれながら、それを振り切るようにサンジはエンジンをかけた。
 安くてレトロな公用車(オープンカーにしてあるのは女の子に声を掛けやすくする為のただの趣味だ)がブルンと一つ息づいて走り出したところで、突然ドスン!と後部座席に重たい何かが落ちてきた。
 予想はしていたものの、やはり舌打ちせずにはいられない。
 後ろを振り返るまでもなく、サンジは咥えたタバコをぎりっと噛み締めた。
 
「…ッんでテメェまで付いてくんだよ」
「うるせぇ、勝手だ」
 後ろから掛かるルフィの、ゾローまた勝負しようぜ〜とかいう呑気な声がだんだん小さくなっていく。
 不機嫌なオーラを出しまくりなゾロは仲間に手を振ることもなく、我が物顔で座席にふんぞり返っている。
 
 
 あの場所に行けば、必ず会うだろうことはわかっていた。
 そして会ったら逃げられないことも。
 
 ゾロに捕まるから、逃げられないのではない。
 逃げるのはいつだって簡単だ。
 ただゾロを前にすれば、易々と自分がそれを諦めてしまうだけで。
「…チキショウめ」
 小さく呟いて、サンジはアクセルを踏み込んだ。
 
 
 
 
 
 砂漠の一本道をひた走ること二時間、車はやがて小さな宿場町に着いた。
 出発が遅かったせいで、既に日は暮れ始めている。
 灯りが点り始めた町並みの中、適当な一軒の宿屋でサンジは車を停めた。ハンドル脇のボタンを押せば、ウィン、と小さな音とともに両サイドから現れた骨組みとガラスによって天井が閉じる。
 道中はどちらも無言だったのでてっきり寝ているものだと思って後ろを振り向けば、ゾロは眉を寄せてサンジを見ていた。
 昨晩のやりとり以外、ろくな会話をしていない。サンジの方からは何を言ってやる気もないけれど、ゾロとて様子を伺うばかりで何も言わない。
 それなら自分なんかについてこないで、とっととまた新しい旅に発てばいいものを。
「オラ」
 内心の苛立ちを飲み込んで、ぽいっと後部座席に向かって鍵を投げてやれば、キャッチしたゾロが怪訝な顔をした。
「どこ行くんだ」
「仕事だよ。俺はしばらくこの町に用があるんだ。テメェはどうせ金なしだろうから、この車貸してやる」
「一緒に」
「なんで俺が野郎と一緒に部屋とらねぇといけねぇんだ。そして俺は仕事だ。邪魔すんな」
 言われる前にびしっと指を突きつけて宣言してやれば、ゾロは黙ってサンジを睨んだ。
 けれど一々行動を制限されるいわれなんてない。
 ゾロの視線をするりとかわして、サンジは車のドアを閉めるとひとり宿に入った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 夜が満ちる。
 差し込む月明かりの中、ベッドの上でサンジは昼間と同じ格好のままごろりと寝返りをうって左肩を押えた。
 はぁ、と重い息を吐いて、眉を寄せる。
 
 ドクン、ドクン、と脈打つように次第に強さを増す存在感に、ヤツがすぐ近くまで来ているのがわかる。
 その度に体の中を巡る、どこか舐めるようにいやらしい気配に、クソッと小さくうめく。
 自分の体がまるで自分のものでなくなったかのような、誰かの一部になってしまったような、そんな酩酊感。
 それはとてもよく知っている感覚で。
 けれど今はそれら全てが、吐気がするほど忌々しい。
 
「そんなに…あからさまに呼ぶんじゃねぇよ、チクショウが」
 小さく口元を歪めて、サンジはゆらりとベッドから起き上がった。
 ギイ、と古くて軋む扉を開ける。
 あたりは暗闇だ。うっすらと月明かりに浮かぶ古い建物の廊下。
 ちりちりと産毛が逆立つように、自分を呼ぶその存在だけがはっきりと感じられる。この建物の外、そうだ、もっと向こうから。
 クン、と体が引っ張られるように動きはじめる。
 サンジはそれに逆らわず、ふらりふらりと操られるように歩き始めた。
 
 
 
 
 
 町の外れに、もとは民家だったのか今は廃れたその建物はあった。
 鍵のない扉を開けて月明かりの漏れる廊下を進んだ先の、広いリビングルーム。
 絨毯や家具のいくつかが残ったままの暗闇の中、ソファに身を沈めてその男は待っていた。
「探したよ…サンジ」
 覚束ない足取りで姿を見せたサンジに、男は組んでいた手足をゆるりと解いて立ち上がった。
 両手を広げ、まるで久しぶりの逢瀬に感動するかのように立ちつくすサンジを引き寄せ、やんわりと抱きしめる。
 引き込まれた男の胸から漂う、ほのかな血と埃っぽい、かすかな硝煙の匂い。
 一瞬サンジの内に男の手を振り解きたい衝動が起こるが、しかし麻痺したような体と思考がそれを阻んだ。
 ただ虚ろな目線を部屋に流して、抱きしめられるまま男に体を預ける。
「一昨日から急に君の気配がわからなくなって…一体どこへ行ってたんだい?」
 心配したんだよ、とやけに甘い耳障りな男の声が耳に落ちる。
 神経を逆撫でされたような気分になるのに、その声はするりと脳内に入り込んでそこからじっとりとサンジの体に纏わりついてくる。
 振り解くこともできず、ますますどろどろしたぬかるみに体が沈んでいくようだ。
 
「……」
 応えないサンジの顔を、男は顎を掴んで覗き込んだ。
 とろりとどこか焦点の定まらないその目に、小さく笑う。
「そろそろ君も、いい頃合かな。明日、僕と一緒にここを発とう」
「発つ…?」
 ぼんやりと言葉をなぞったサンジに、男はああ、と頷いてその首筋に顔を埋めた。
「素敵なところに連れて行ってあげるよ」
 小さな口付けをサンジの首に落としながら、男の手がサンジのシャツのボタンを外し始めた。
 革のベストも開かれ、するりと腕から抜け落ちる。コトン、と音を立ててPOLICEと彫り込まれた星型のバッチが床を転がった。
 サンジは抵抗せず、ただ気だるい体を男に任せた。
 痛みを発していた左肩が、今はとても熱い。
 意識がますますぼんやりと溶け出して、目の前の男の存在すらわからなくなりそうだ。
 
 男の手で、左肩のシャツが肌蹴けられた。
「っ……」
 じわっと発熱したような痛みに、サンジが小さく息をのんだ。
 
 ポウ、と暗闇に浮かぶ赤く発光する印。
 サンジの白い肌の上、現れたのは手の平くらいの大きさの方陣だった。
「ああ、綺麗だね……サンジ」
 貴族の紋章のように複雑な文様を刻むそれは、男の言葉に応えるように淡く輝きを放つ。
 肩に咲いた、まるで紅い花のような刺青。
 
「その力を、僕に分けておくれ…?」
「……ッ、あ…」
 ポウッ、と大きく文様が輝いたかと思うと、サンジの足がガクリと落ちた。
 その体を男が抱きとめて、しっかりと胸に抱く。
「……ぁあ」
 男の体にしがみつくこともできずにいるサンジの前で、男が口端を吊り上げた。
 体の奥からずるずると何かが引き抜かれていくような感覚。体中が痺れて力が抜け落ちる中、意識だけが妙に高みへと引き上げられる。
 それは苦痛などではなく、むしろ。
「ふぁ…ッ」
 どこかうっとりとしたように、サンジの口から吐息が零れた。
 むしろ恍惚とした開放感……そう、これは快感だ。
 
 
 それを意識した途端、
 ドクン、と体の奥でもうひとつ、熱いものが脈打った。
 
 
「ア……!」
 サンジは青い目を見開いた。
 男の手の中で抗えない体が、小さく震え出す。
「……どうした?」
 目の前の男が、サンジの異変に眉をひそめた。
「や……」
 サンジは力の入らない体を男の腕の中でよじった。
 
 熱い、強大な意志の塊。
 大きな獣のような、雄々しく息づくその存在。
 それが今、理性を抑えられて剥き出しにされたサンジの感覚に触れたのだ。
 すぐそこに、その存在が来ている。
 それを意識した途端、恐れと歓喜、その両方の感情にサンジの心が震えだしたのだ。
 この甘い、まやかしだけの束縛ではない。
 それはサンジの魂を丸ごと掴み、捕らえて、食べ尽くすような、荒々しい――。
 
「やめ、…だめだ……」
 震える声で、サンジは虚空を見つめた。
 
 
「だめだ――ゾロ……ッ」
 
 
 キンッ!と暗闇に太刀筋が一閃した。
 
「な…ッ!?」
 手を押さえて男が飛びのく。
 と同時に、突き飛ばされたサンジの体は男の手を離れて別の存在に抱きとめられていた。
 
 いつの間に忍び寄っていたのか、サンジの背後の暗闇に仁王立ちする一人の男。
 チン、と刀を鞘に戻す音が小さく響いた。
 
「何者だ、テメェは……」
 サンジを抱いていた男は自らの手からしたたる血に忌々しげに舌打ちして、闖入者を睨んだ。
 
「あ……」
 気の抜けたようにくたりとするサンジの体を、背後から腰に回された腕がしっかりと掴んで引き寄せる。
 首元にかかる、熱い息。
「ゾロ……」
 その言葉は、意識せずとも甘く震えた。
 
 ゾロの目が、剥き出しになったサンジの左肩のものを認めて凶悪にしかめられた。
 背後から膨れ上がった殺気が、目の前の男に向けられる。
 
「てめぇ…俺のモンに何してやがる」
 低く唸るような声。抱きとめられた場所が燃えるようで、サンジはそっと溜息をこぼした。
 
 
 ここ数日、出会ってからようやく触れたその温度に、もう逃げられないと悟りながら。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 *後編へ*

 
 
 
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 エセファンタジーのような、なんていうか色々謎な設定のままですが、それは後半にて!
 07.03.02