砂楼の王国 <4> |
あれから、ゾロは毎日やってくる。 サンジが囚われた城の一番奥深く。地下牢の鉄格子の中、粗末な布が引かれただけで岩肌が剥きだしの床の上に、わざわざ入って来てはごろりと寝転がる。 そのまま一日中無防備に寝る時もあるし、どっさりと果物やら肉やら手にいっぱいの食料を抱えてきては、サンジと一緒に食べる時もある。 ゾロが食料を抱えてきた一番最初の日、「ぼんやりしてないで酒でも注げ」といきなり命令された時には流石にカチンときた。 「……今お注ぎ致しますんで、この手を外して下さいませんかねぇ」 この特殊な枷が元凶なのだ。しかも捕まってからずっと後ろで組まれたままなので、腕やら肩やらの筋肉が変に凝り固まってしまっている。 怒りを殺して超絶にっこり笑って言えば、ゾロは今気づいたとばかりに「ああ、そうか」と頷くと、やおら腕を伸ばしてサンジを抱えあげた。 「なにすっ…」 暴れるサンジをまるで小動物の様に軽々と持ち上げると、ゾロは胡坐をかいた自分の膝の間に座らせた。 そして片腕に持たれさせるように、抱え込む。 「っ!?…下ろせテメ、何考え…!」 叫んだサンジの口の中に、ぽい、と何かが放り込まれた。反射的に口を閉じれば、瑞々しく甘酸っぱい香りが広がる。 思わずもぐもぐと味わいゴクリと嚥下したサンジの唇に、むに、とまた別の果実が押し当てられた。 「……」 「?なんだよ、美味くねぇのか」 じっと見上げたサンジを、不思議そうにゾロが覗き込んだ。 その目には、相変わらず何の感情も宿していない。 同情でも慈愛でも憐憫でも、ましてやサンジに対する興味でもない。全てがニュートラルで淡々としていて、何を考えているのかがさっぱりわからない。 ゾロは諦めたのか、指で摘んだその実を自分の口に放りこんだ。 「なんで俺にまで食わせるんだ」 「一人で食ってても暇じゃねえか」 「……」 「言えばなんでも出てくるが、この屋敷の連中は張り合いがなくてつまらん」 サンジを腕の中に囲ったまま、ゾロは手酌で酒を注ぐとぐっと呷った。けれど面倒になったのか、途中から瓶にそのまま口をつける。 「お前も飲むか?」 「いや、」 サンジは首を振った。 「それなら俺はあっちのオレンジ色の…そう、それが食いたい」 「ほらよ」 果実を盛り合わせた銀の皿の上を彷徨ったゾロの指が、丸い果実を掴む。わざわざナイフで器用に皮を剥き、サンジの口に運ぶ様は、あれだけの無体を働いた男とは思えないほどの甲斐甲斐しさだ。 不思議な野郎だ、と改めて思った。 剥きながらお互い半分ずつ食べていき、ゾロが最後に濡れた指先をペロリと舐めた。 剣を扱いなれた、太く節くれだった指だ。 辿るサンジの目線に気づいて、ゾロがニヤリと笑った。 「なんだ、ヤりたくなったか」 「っ……するか馬鹿野郎!死ね」 「お前って案外口汚ねぇのな。顔や体はえらく綺麗なのによ」 「え……」 さらりと真面目な顔で呟いて、ゾロが皿に手を伸ばす。 混ぜられた言葉の意味に遅れて気づいた途端、じわ、と何故か顔が赤くなった。 「…汚くて悪かったな!」 「いや?別に悪いとは言ってねえだろ。俺は小奇麗に喋る輩よりも好きだ」 「……ッ」 「?」 ぐ、と押し黙ったサンジの唇に、ゾロは不思議そうに、剥いた果実を押し当てた。 そして今日もまた、ゾロはサンジを膝の上に乗せている。 雇い主のあの爺から課せられたノルマがどれほどなのかはわからないが、ゾロが目的を持って体に触ってくるのは数日に1回のペースだ。 それもある程度の宝石をサンジから取り出してしまえば、それ以上は何をされるわけでもない。趣味で嬲られるわけでもないし、ある意味泣いてしまえばいいだけの話だから楽と言えば楽だ。 別にサンジが泣けば手段は問わないのだから、素直に涙を零せばあんな方法は取らないだろう。 けれど例えわかっていても、こんな男の前でいいように泣いてやるサンジではない。素直に涙を晒す程プライドは低くないし、まるで勝負に最初から負けたようで腹立たしい。ので、自然とゾロの責めも激しいものになっていく。 ハァ、とサンジはため息をついた。 結局いつも、あれこれ考えられないまでに滅茶苦茶に追い詰められて、泣かされるのはサンジの方なのだ。 手の内であしらわれているようで、本当に腹が立つ。 なのにそういう目的以外では、ゾロは犬猫を戯れに構う程度でしかサンジに触れてこない。 あくまで雇われた仕事の為、なのだ。 (いや別にそれが不満とかじゃないけどよ……) 本当に掴めない男なのだ。ゾロは。 これがもしサンジにメロメロ☆(うわ、今自分で考えて鳥肌が立った)とかだったら、もっと扱いやすいだろうに。 ゾロは時に、サンジを腹に乗せたままぐうぐうと寝ていることがある。 俺はお前のブランケット代わりじゃねぇと、一度本気で蹴り倒してやろうかと思ったら、その瞬間の殺気を感じたのか、その場でうっすらと目が開いたのには驚いた。 案外他の気配にも敏感で、格子の鍵を持った牢番が地下へ降りてくる時も、まだ足音の響かないうちから目を覚ましていた。 抜いたのを見たことはないが、腰に差している剣も伊達じゃないのだろう。 「おい、これはなんだ。割れば食えるのか」 山盛りに盛られた果実の中から、ゾロが自分の頭と同じ鮮やかな色をした、トゲトゲした塊をサンジに見せた。 「ん。それはナイフで…いや違う、種の向きがあるから横じゃなくて縦に切り目を…そうそう。そんで中心にある種をねじるように…お前案外器用だよな」 両手の使えないサンジの代わりに、ゾロが指示道りに小さなナイフで皮を剥いていく。 「刃物に関してだけな」 ほら、と突き出された果肉を、その指から直接食べるのにも慣れてしまった。 ここに入れられてからも一応はそれなりの食事が出たが、両手を使えないので獣のように這って食べるしかなかった。牢番や食事番によってはそんな囚人の姿を嘲笑うのだろうが、ここでは異形の者であるサンジに対する畏怖の方が強いらしく、滅多に姿を見せない。食事も下女が差し入れるだけで、すぐに姿を消してしまう。 この屋敷の連中はつまらん、とそう言っていたゾロではないが、ここに入れられてからというもの、こうしたまともな接し方をされたのはゾロが初めてだった。 それがたとえ厳つくてムカつく男であっても、この背に感じる温もりに、つい……甘えてしまいそうになる。 はっと気づいて、サンジは慌てて思考を打ち消した。 (甘えるとか、何考えてるんだ。こいつのただの気まぐれに…揺さぶられてどうする) 気を取り直す為、サンジはゾロが持ってきた肉が盛られた皿を指差した。 「おい、その皿に入ったソース、左から順番に舐めさせろ」 「あ?これか」 色の違う3種類のソースが、小さな小皿に分けられている。ゾロは言われた通りに端のソースから人差し指をひたすと、サンジの口元に突きつけた。 「ん」 ちゅる、とその指先を舐めとって、サンジは風味を味わった。 最初のこれはココナッツの香りが強く、割りとクリーミーだ。中々美味しい。 次に掬われたソースは、香辛料が効いているが少し塩辛すぎる。最初のものに比べると粘度が低くさらさらしていて、口に含む前にゾロの指先から指の股ヘと流れ落ちてしまったそれを、サンジは舌先で辿るように舐め取った。 最後のソースを取ったゾロが、突き出した指を、何故かサンジの口元から少し離れた位置で止めた。 「?どうした。もう少しこっち」 「……」 「ん、ぐ…?」 ゾロの指が唇を割り、直接サンジの舌へ押し当てられた。 最後のソースは甘い。甘いけれど。 「ひょ、おま…」 ゾロの指先がなすりつけるようにサンジの舌の上で踊る。味わうどころじゃなく、何するんだと睨めばゾロが笑った。 「いやなんだか、お前の舐め方がエロっちいからよ」 「ッ…!?」 カッと頬を染めたサンジの口から、指が引き抜かれた。小さく引いた透明な糸が、唇の端に零れる。 それをグイと拭って、ゾロはその指を自分の舌でぺろりと舐め取った。 「……ッ!」 「随分甘いな。……あ?なんだよ、どうした」 「……っ」 (甘いって、そ、ソースのことだろ!落ち着け俺) なぜか騒ぎ出す心臓を叱咤して、サンジは歯を食いしばった。 こんなことで掻き乱されてどうする。 サンジは深く呼吸を繰り返して気を落ち着けた。 「辛い方が好きなら、オススメはその2番目のやつだな。でもそのままじゃ肉の風味を損っちまうから、さっき剥いたオレンジの皮あるか。それを少しだけ削って一緒に混ぜてみろ。酸味とほのかな甘みが出て、もっと美味くなるぜ」 「へぇ」 実行したゾロが「本当だ、これつけると美味ぇな」と、もくもくと頬に肉を詰めていく。 その表情が意外と幼くて、なんだか毒気を抜かれる。 「折角ならその砂漠蜥蜴の肉は、鮮度のいいうちに軽く炙ってレアのまま食うと、蕩ける舌触りが絶品なんだけどなぁ…」 裕福なだけあって食材だけはふんだんにある屋敷だが、どれも味が単調だ。こんな場所じゃなければ、目の前の男にももっと美味いものを食わせてやれるのに。 ふとそんな事を考えていた自分に、ゆるく笑う。 そういえばこんな感覚も、久しく忘れていた。 「随分色々詳しいんだな」 「まぁな…俺、本当は料理人になりたかったんだよな」 ぽつりと漏らしてから、小さく首を振った。どうでもいい事まで言ってしまった。 ゾロはきょとんと目を瞬かせた。 「なんでならないんだ?」 「え……」 予想外の言葉に、今度はサンジの方がぽかんとする。 「そんなに難しいのか?料理人てのになるのは」 「…だってお前、考えてもみろよ。料理人になるにはまずどっかの店で修行するんだぞ」 「まぁ、剣だって誰かに最初は師事するもんだしな」 ゾロが肉を一切れサンジに運ぶ。いらないと身振りで伝えれば、大口を開けてぺろりと平らげる。 「魔人てのは、基本人間のようには食べないんだ。だからまず店とかねぇんだよ」 「店なら街のどこにだってあるじゃねぇか」 「お前…人間じゃない俺がそんなとこで修行できるわけねぇだろ」 「そんなもんか?別に人間だろうと魔人だろうと獣だろうと、美味いもん作るのに関係ねぇと思うがな」 「……」 じわ、と体温があがる。 サンジは俯いて、ゾロの体に身を預けた。 |
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