泡恋 4
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「俺が、あいつにこの気持ちを告げる……?」
 今もまだ全身が震えるような、熱い感情。
 醜い、激しいこの想いを曝す…? 
「ええ。…そうね、期限は今日から100日としましょう」
 彼女の言葉にサンジは顔を上げた。
 くすくすと笑いながら、だって、と彼女は幼い少女のように小首を傾げた。
「無期限というわけにはいかないでしょう。ずっと想いを告げないのはルール違反だし、対象のどちらともがいつまでもそこに在るとは限らないもの」
 明日も知れない自分たちの未来をほのめかすような物言いに、サンジの顔が引き締まった。
 
 100日。
 三ヶ月と少し。
 航海においてそれが長いのか短いのか、サンジには想像もつかない。
 
 もしこれがゾロだったとしたら、神や悪魔なんてと鼻で笑い飛ばしてしまっただろうか。
 胡散臭い約束なんて交わした覚えがないと斬り捨てただろうか。
 
 女性を前にした左目の奥が、先ほどから小さく疼いて止まらない。
 サンジの体は、あの孤島での出来事をありありと記憶しているのだ。
 約束を果たさねばならないという義務でもなく、未知の力を持った相手に対して逃げられないという恐れでもなく。
 ただ違えられないその時がきたのだと。
 あの時確かに自分とゼフの命を助けてもらった、その代償を支払う時が来たのだと、漠然と悟った。
 
「受け入れてもらえなかったら…俺は、死ぬ……のか?」
「死ぬということとは、違うわね」
 彼女の細くて白い指が、ふわりと宙をさ迷ってサンジの髪に触れた。
「死ねばその魂は世界を幾度も巡るけれど、それとは違う。私のものになるのよ。どこへも行かず、肉体も魂も、永遠に私のものになるの」
 あのエメラルドのようにね。
 うっとり囁かれた言葉に今はない左眼がじくりと熱を持って、サンジは小さく喉を鳴らした。
 
 
 
 
 
 
 ***
 
 
 
 
 船は順調に島を離れ、再びグランドラインを滑りだした。
 次の島はそう遠くはない。しかし今日は何事もなく穏やかな一日でも、この先の航海いつ何時、何が起こるかわからない。
 同業者との戦闘、海軍からの逃走、海王類との遭遇。空から船だって降ってくる、それがこの海だ。
「……よし」
 クルーの寝静まった深夜のキッチンで、サンジは小さく決意を固めると作った夜食の皿を片手に持った。ラックからワインを一本引き抜いてキッチンの明かりを消す。
 目指すは見張り台。
 今日の当番は……ゾロだ。
 
 あれから随分考えた。
 賭けは始まった。
 でもそれは単にサンジがプライドを捨ててゾロに告白すればいいというものではない。
 告白は一度きりで、それに対してゾロが「俺もだ」と返さなければサンジに未来はないのだ。
 逆に言えば、この三ヶ月でどうやって確実にゾロにその台詞を言わせるか、だ。
 そうだ、これは攻略だ。
(俺はマリモを攻略するぜ…!)
 ふっふ、と闘気をたぎらせながら見張り台を振り仰いで階段を降りる。
 サンジだってみすみす彼女に全てを差し出すつもりはないのだ。
 夢だってあるし、遠くに心配な人達も残して来た。
 ……何より手放せないものばかりの船と仲間たちだ、そうそう消えてしまうわけにもいかない。
 その為ならこの気持ちを告げるなんて些細な決断といえるほど。
 しかしまずはゾロが自分に対してどういう感情を持っているのか、そこを調べねば。
 一応仲間だし、しかも体を繋げているような関係なのだがら嫌いではないのだろうが…それはイコール「好き」とは限らない。
 サンジとしては、欠片も好意のない相手と体を繋げるなんてこと、まずできないのだが。
 ……いや違う。
 例え好意があっても、ルフィやウソップ相手にそんな真似ができるはずもない。
 仲間とそういった意味で抱き合う様を想像したらゾゾッと鳥肌が立って、サンジは慌ててタバコの火を消した。
 これは仲間だけの問題じゃない。町に下りて見知らぬ男と…そんなの、考えただけでアウトだ。
 じゃあ男の中でなんでゾロだけ受け入れられたのか。……それはつまり、そういうことだ。
 自分の単純さに肩を落とす。
 
 ゾロはどうなんだろうか。
 最初に合意が取れたのが自分であっただけで、相手のOKさえあればルフィともウソップともこだわりなく出来てしまっていただろうか。
 ――もしゾロも、自分と同じ感情だったら。
(あいつ不器用だから、美味く感情を口に出せないだけかもしれないし)
 そんな淡い期待に小さく心臓がはねる。
 町で幾度かそういう雰囲気のレディと歩いているのを見はしたが、せめて男の中で俺を選ぶぐらいの感情があれば。
 少しくらいは自分にプラスの感情を持っているんじゃないだろうか。
 
 でも。
 サンジははた、と見張り台の下で足を止めた。
 思えば自分たちは今までプライベートな会話ひとつ、ろくに交わしたことがない。
 仲間内から自然と伝わる情報はあれど、それ以外に相手の何を知っているだろうか。
 顔を寄せ合えば喧嘩かSEXか。
 体においては、ある意味一番よく知っている相手かもしれないが。
 
 手にしていた二つのグラスが急にひどく滑稽なものに見えて、サンジは小さく溜息をついた。
 
 
 
 
「……よう」
「おう」
 見張り台に顔を出せば、おそらく気配でわかっていたのだろう、ゾロはサンジに向かって手を差し出した。
 いつもならここで夜食を渡して終わりなのだが、サンジは皿ではなく代わりに持ってきた二つのグラスをゾロの手に押し付けた。
 その数を見たゾロの眉が小さく上がる。
「たまには付き合え」
 有無を言わせず見張り台に滑り込めば、ゾロがしぶしぶといった風に小さく場所をあけた。
(お)
 頭から拒否されないことに、内心浮き足立つ。
 男相手に一喜一憂なんて、本来の自分ならありえないことだ。サンジは騒ぐ自分の心臓に小さく苦笑しつつ、さりげなくゾロの隣に腰をおろした。
「流石に夜は冷えるな」
 春島の近くなのに、見張り台は風の通りもよいから幾分涼しい。スーツの上から腕をさすれば、相変わらず半袖一枚だったゾロはそうか?と小さく眉を上げた。
 持ってきたワインのコルクをさっそく歯で齧り取っている。きゅぽん、といい音がした。
 トトトッとグラスに満たされる赤い液体。大きな肩をすぼめて律儀にちまちまとワインを注ぐゾロの姿が不似合いで、笑いそうになる口元を慌てて引き締めた。そういえばゾロに酌してもらうのだって初めての経験だ。
 ひとつを手に取って、ゾロのグラスと合わせた。チンと響く軽やかな音。
「珍しいな、テメェが来るなんて」
 一杯をぐいっと飲み干したゾロに、サンジは残りのボトルを押し付けた。
 ゾロはグラスを床に置くと、嬉しげに直接ビンから酒をあおりはじめる。
「まぁ同い年の野郎として、色々知っておかないといけない事もあるしよぅ」
 夜食を頬張りながら、んだそりゃ、とゾロが目で尋ねる。
「例えばどんなレディが好みか、とか〜?」
 わざとからかうような目で笑ってみせれば、ゾロが馬鹿にしたような目を向けた。
 
(……ッ) 
 本当はもっと当り障りのない会話から切り込んでいく予定だったのだが、つい直球で聞いてしまった。
 緊張に汗ばむ手を握り締める。手の中のワインが小さく揺れた。
 サンジは努めて軽い口調でゾロを小突いた。
「テメェの好みはどっちだよ。ナミさんか?ロビンちゃんか?」
 俺はどっちも捨てがたいなぁ〜と、うっとりと二人の美しさを褒め称えようとしたところで、ゾロが吐き捨てた。
「あんな魔女ども、どっちも御免だ」
「アァ?てめぇあの二人の美しさをわからねぇとは目が腐ってやがるな。……あ、あれか。ビビちゃんみたいなタイプがいいのか」
「守ってやらないといけないような女はめんどくせぇ」
「レディはそこがいいんじゃねぇか」
 話せば意外に、ゾロも自然に返してくる。
 そのことにサンジもほっとした。
「男のような勇ましいレディが好みかよ」
 ふといつか出合った海軍のレディを思い出す。もしや手合わせできるような、自分と同等の力を持ったレディがいいのだろうか。
 
「別に男でも女でもこだわりはねぇけどよ」
 ぼんやりと想像していたら、うかっかりゾロの台詞を聞き逃しそうになった。
「……ハ!?」
 慌ててゾロの顔を見れば、本人はしれっとした顔で黙々とサンジの料理を口に運んでいる。
「てめぇ…そっちの趣味が……」
 そりゃあ自分を抱くくらいだから、男がダメなはずはないのだが。
 改めてゾロの口から聞くと軽い衝撃で、サンジは慌ててワインをあおった。
「そか…まぁ、野郎なら、守ってやる必要もねぇもんな」
 そうかそうか、としきりに頷くサンジに、ゾロはふと遠い目をした。
 
「……ただ、好きになったなら、優しくしてやりてぇがな」
「……へぇ」
 穏やかに、相手を見守るようなそんな表情。
 どこかの特別な相手に向ける眼差しに、サンジの心がチリっと痛んだ。
 
 守ってやることはないが、その分優しくしてやるのか。
 なぜかそんなゾロの表情を見ていられずに、サンジはふ、と視線を落とした。
(……コイツが優しくするって、どんなんだろうな)
 小さく笑ったサンジの肩が、突然ぐいっと掴まれた。
「あ?」
 ごろんと見張り台の中で転がされ、真上にゾロの顔と満点の夜空が現れる。
 暗闇で光るゾロの目の奥に見慣れた熱を感じ取って、サンジは薄く笑った。
「オイオイまだ島を出たばかりじゃねぇか。あの島で素敵なレディには会えなかったのかよ?」
「……あんなんじゃ全然足りねぇよ」
「……はっ、上等」
 苦々しく顔をしかめたゾロの腕の下で、サンジは唇を吊り上げた。
 途端に首筋に落ちてきた熱い感触に、そっと目を瞑る。
 
 瞑った目の奥が、なぜかじわりと熱かった。
 それを誤魔化すように、感じる振りをして大きく息を吐く。
 
(ああ…チクショウ)
 やがてがつがつと荒々しい動きになるゾロに合わせて自らも視界を揺らしながら、サンジはぼんやりと暗闇に浮かび上がるゾロの腕を見つめた。
(優しく…してやるのか)
 この腕で、抱きしめたりするんだろうかな。
 普段は刀しか握っていないこの腕の中に。誰かの体を、優しく。
 ぼうっとしていたら、急に視界が反転した。
「……ッ!」
 床に手をつかされ、腰を高く上げさせられる。
 一瞬抜け出たゾロのものがまたすぐに深くまで入りこんで来て、サンジのイイ所を容赦なく抉った。
「ア……あッ…!」
 粗い木目の床に、シャツから剥き出しになった腕や膝が擦れて痛い。
 けれど痛みよりも快感が勝って、サンジの思考もすぐに切れ切れになる。
 
 ゾロとのSEXは、いつもお互いが獣に返ったみたいに乱暴だ。
 キスもなければ抱擁もない。
 けれどそれは、必要のないものだからだ。
(優しくして…やるんだろうな)
 本気で好きになった相手なら。
(とりあえず俺は、その相手じゃないってことだ)
「ふ、ア…!」
 ガツン、と大きく突き入れられて、あられもない声があがる。
 
 でもゾロが男相手に偏見がないのは救いだった。
(むしろホモ、いやゾロの場合はバイか?なんにせよラッキーじゃねぇか)
 攻略の下調べとしては、今日の成果は上々だ。
 
 
 なのにどうして、こんなに目の奥が熱いんだろう。
 
 
 
 サンジは冷たい床に爪を立てて、震える息をそっと逃がした。
 
 
 

 
 
 *5へ*

 
 
 
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 07.02.10