泡恋 5
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 幾多の冒険を繰り返しながら、船は揚々と海を越えて行く。
 そして今日も穏やかな海の上、優しく揺れる月あかり。
  
「よし…と」
 キッチンの明かりを消してから、サンジは夜食の詰まったバスケットを手にそっと扉を開けた。
 今日の見張りはルフィだったはずだが…食べ物の匂いには敏感な船長を誤魔化すため、差し入れと同じタイミングで作っておいた二人分のつまみ。バスケットに被せたクロスを確認して、サンジは見張り台を振り仰いだ。
 動いてる気配がしないので、多分もう寝てしまったのだろう。
 それでも一応足音を消しながら、サンジはキッチンの裏手にある後方甲板へと向かった。
 
「よう」
「…おう」

 サンジが顔を出せば、キッチンの壁にもたれて手足を組んでいた男の目がぱかりとあいた。
 トレーニングしていたのだろう、そこらに転がるバーベルをどかすように指示してその隣に座る。
 サンジがバスケットに入れていたグラスを引っ張りだせば、その間にゾロがサンジの抱えていたボトルを受け取って栓を抜く。
 手慣れた仕草で乾杯をして、サンジはほうっと息を吐いて自分もキッチンの壁にもたれて明るい月を眺めた。
 ゾロも黙って、サンジと同じ月に目をむける。
 
 
 あの夜を境に、サンジは決心した。 
 ゾロが自分のことを好きでないのなら、ゾロの気持ちを、今から自分に向けさせてやると。
 つまり、ゾロを惚れさせてやる、と。
 
 かといってこの自分にレディのように色仕掛けなんてものができるわけもない。ならこの身の何が武器になるのか……思いつくのは勿論「料理」だった。
 ゾロの気持ちをはっきり理解したあの日から、なるべく夜は自分からゾロに近寄って一緒に晩酌をするようになった。
 他愛もない話をして、さりげなく酒をちらつかせつつ料理を振舞う。
 惚れさせるというよりも餌付けに近いが、自分にはどんな獣だってこの料理で手なずける自信があるし、むしろこれで絆されてくれるなら…なんて打算もあった。
 けれどなにより、サンジにとっての「料理」は自分の全てでもある。
 心のない料理はいくら見栄えが良くても、相手の心に響くものがない。それはバラティエ時代によく言われた言葉だ。
『自分の手に命を曝け出した食材を想え、そしてそれを口にする相手を想え。』
 誰かを想って作り上げた料理の中には、サンジの気持ちの全てが入っている。
 ゾロに伝える術としてこれ以上のものを、サンジは思いつかなかった。
 
 
 ゾロとの夜毎の晩酌には思いがけない収穫もあった。
 昼間や仲間の前ではいつもどおりの態度でお互い喧嘩もするが、夜になれば同年代の「仲間」としての繋がりを感じられるようになったのだ。
 何気ない会話を沢山した。お互いの趣味や小さい頃の話なんかもした。
 遠慮なくふざけあい、笑いあい、むしろどうして自分たちは今までこういう普通の接し方が出来なかったものだと思うほど、それはすんなり肌に馴染んだ。
 普通にゾロと会話することが楽しくて、サンジは半ば惚れさせるという目的を抜きにして夜毎の逢瀬を楽しみにしていた。
 ゾロの方はこうしたサンジとの遣り取りをどう思っているかは知らない。毎晩酒と料理にありつけるようになってラッキーくらいにしか思っていないかもしれない。
 気付けばいつものSEXになだれ込むこともしばしばだったが、しかし最近行為の最中のゾロの態度が以前より随分優しくなったようにも思う。
 本能のままに叩きつけ合う獣の行動は変わらない……ならばこれはもしかして、サンジの方の見方が変わったのだろうか。
 けれど事後、朝まで隣にいることも多くなった。
 それは小さな、変化だ。けれど。
 
「……」
 ふ、と深い星空に向かって小さく息を吐いた。
 時にはこうして並んで同じ風景を見て、優しい時間に身を委ねるのも悪くないものだ。
 お互い何も言わないけれど、隣に暖かい気配がずっとある。
 それは友人とも恋人とも違う、とても自然で優しい気配だった。
「いいなぁ……なんか、こういうのってさ。」
 月を見ながら、ぽつりと言葉が零れた。
 酒も手伝ってか、ほわっと体が暖かい。
 何より柔らかなこの空気が幸せで、サンジはふわふわした気持ちで笑った。
 
 ふっと、サンジの横顔に影が落ちた。
 見れば今まで隣にならんでいたゾロの顔が、すぐ近くにある。
 あ、と開けた口に、滑る込んでくるゾロの息遣い。
「……ん」
 最近、ゾロがするようになった口付け。最初は酷く驚いたが、サンジが拒むはずもない。
 小さく震える指でグラスを床に置くと、サンジはするりとゾロの首に手を回した。
 今まで荒々しいばかりのSEXの中では絶対にしなかったこと。
 一体どういう気持ちでゾロがキスするのか。
 何か意味があるのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。
 考えるたびに気持ちがぐしゃぐしゃになってしまうので、サンジはいつも気持ちを閉じるようにただゾロの口付けに没頭した。
 
(…少しは絆された、のかなぁ……)
 月灯りに滲む緑頭をぽんやり眺めながら、サンジはすすんで舌を伸ばす。
 荒々しく貪るのではない。
 互いの存在を確かめるような、ゆっくりと味わうような口付けだ。
 ゾロの息遣いが、熱が、全てサンジに流れ込んでくるようで。まるで愛されているような錯覚に陥る。
 嬉しい、嬉しいと心が悲鳴をあげる。
 けれどそんな奥底の感情には気付かないふりで、優しくあたたかいそれに、サンジは静かに目を閉じた。
 
 
『あと、70』
 
 くすくすと歌うような彼女のカウントダウンが、耳の奥でかすかに聞こえた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ゆっくり、そして確実に月は巡り、海は変わらず容赦なく沢山の運命を飲み込んでは広がっていく。
 確実に距離は縮まっていると思うものの、突然の嵐、戦闘、そんな日々に忙殺されて決定的なきっかけはつかめないまま。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 バタバタッと荒い足音が甲板を駆け抜けた。
 出航予定時刻に顔色を変えて飛び込んできたナミに、甲板で待機していた仲間たちが非常事態かと表情を引き締める。
 
「みんなラウンジに集まって!ゾロ…ゾロはいる!?」
 慌ててキッチンに飛び込んでくるクルーに続いて姿を現したゾロを認めると、ナミはこれを見て、とキッチンのテーブルに大きな海図をざっと広げた。
「ここが今私たちがいる島。ここから先、航路は3つに分かれるわ。」
 ナミの白い指が地図の上を真っ直ぐに滑って、海の上で止まった。
「ここでどの海流に乗るかで、引き寄せられる島のログが変わるの。大きな潮流に乗ってまっすぐ行けば、通常の航海ルート。大きな島が点在するから普通はみんなここを通る。」
 ナミの綺麗に塗られた爪を、みんな黙って目で追った。
「こっちが第2のルート。寄港できる島数がぐっと少なくなるけれど、ログを溜めるロスタイムが減る分先を急ぐ船はこっちを利用するみたい。」
 そして最後、とナミが指したのは、地図上はただの海の上だった。
「ここは潮流はあるけれど、誰も目指さない第3のルート。ルートっていうより、単に海流が流れてるってだけね。この3つの海流が再び1つのルートに合わさる遥か先の島まで、補給できる島がひとつもないのよ。」
「えーそんなんツマんねぇ!」
「無人島はあるようね。」
 不満を漏らした船長に、海図に描かれたわずか点のように盛り上がった等高線を目に留めたロビンが指摘する。
「ええ。でも第3ルートの真下には環状に火山岩が隆起してて、海底の深さが一定じゃないのよ。それも倦厭されてる理由ね。下手な舵を取ればすぐ方向の定まらない荒波に船を持っていかれて座礁してしまうわ。」
 こんな海流、わざわざ飛び込んで行くものなんているはずもない。
 
「でも、ここ数ヶ月、この海域を行き来している男がいるらしいの。」
 ナミの言葉に、一同が顔を上げる。
「小さな船を操って、定期的に食料を仕入れにくるみたい。聞けば無人島で寝泊りしているらしくて、帽子を被った全体的に黒ぽいなりの男で、背中に背負うのは十字の巨大な剣――」
「鷹の目か――!」
 ナミの言葉を遮るように、ぐっと拳を握り締めたゾロがテーブルに乗り出した。
「……おそらく。」
 ナミはしっかりゾロを見返し、それからルフィを見た。
 
「……どの道を行くか、決めるのはアンタたちよ。」
 ナミは小さく息を吐くと、気が抜けたようにすとんと椅子に腰掛けた。
「ただ、どの島に鷹の目がいるかはわからない。幸い無人島自体にログはないそうだけど、でもこのルート自体を抜けるのに最短でもひと月はかかるらしいわ。その間嵐や不測の事態が起こるかもしれない。補給は一切できない状況で、かなり厳しい航海になるかもね。」
「わ、わざわざこんな怖いルート通らなくてもよ、最速で行ける第2のルートを使って先の島で待ち伏せてればいいんじゃねぇか?」
 ウソップの発言に、傍にいたチョッパーもコクコクと頷く。
「でもあのオヤジ、ログ通りに航海しているとは思えねぇけどな。」
 バラティエで見た、あの飄々とした態度を思い出す。気が向けばログを無視するどころかグランドラインを逆走していそうだ。
 サンジの言葉に、あー…とウソップも渋い顔をする。
 本人を目にしたことないチョッパーだけが、きょとんと首を傾げた。
 
「どうする、ゾロ」
 シンとしたクルーに、明るいルフィの声が響いた。
 その声に、ゾロはニヤリと口端を吊り上げた。
 
「勿論、行くぜ。いや――行かせてくれ、船長。」
 ニィっとルフィが歯をむき出して笑った。
 ナミもやれやれと言ったように笑いを零す。
「そうだろうと思ったわ――それじゃあ出航は明日まで延期!それぞれ必要なものを買い揃えておいて頂戴。サンジ君、食料面は任せるわね。ウソップは船の破損に備えて必要なものを、チョッパーは…」
「お、俺薬と道具を買い足してくる!包帯とか、傷薬とか、包帯とか――」
「いや落ち着け!」
 真剣な顔で叫んで駆け出したチョッパーに突っ込みつつ、ウソップもバタバタとキッチンを駆け下りていく。
「私は一応進路を測ってみるわ」
「私は出てこうようと思うけど、必要なものはあるかしら?」
 海図をまとめたナミに続いてロビンがキッチンを出て行く。
 ゾロは真剣な表情で手にした刀をぐっと握り直すと、興奮を抑えきれないような目を真っ直ぐ上げて外へ歩き出して行った。
 ルフィはとっくに雰囲気に乗って甲板へ飛び出している。
 
 
 サンジはにわかに活気付いたキッチンにひとり立ち尽くしたまま、壁にかかっているカレンダーに目をやった。
(……最短で、ひと月)
 途中嵐に合えば、それだけ航海は伸びる。
 鷹の目がすぐに見つかるとも限らない。
 運良く会えたとして、決着を着けて、そして……
 
 どきどきと心臓が不安と焦りで鳴り始める。 
(――ダメだ)
 ぐちゃぐちゃになりそうな頭で必死に考える。
(いやダメじゃない、大丈夫。ルートの始めの方で鷹の目がいる島が見つかるかもしれない。嵐なんて一度も遭遇しないかもしれない。そうすればゾロが決着をつけるのなんて、すぐだろう)
 
 ……でもそれが全部、裏目に出たら。
 嫌でも考えはそちらに向く。
 だってそうしたら多分、ゾロが帰ってくる頃には間に合わないのだ。
 
 
 
 
 
 ――残り46日。
 
 それが、サンジに残された時間だったから。
 
 

 
 
 
 
 
 
 *6へ*

 
 
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 07.04.02