泡恋 2
 --------------------------------------------------------------------------

 
 
 
「あ……ぁ、くッ…」
 狭くて暗い格納庫に、押し殺した声がこもる。
 股間を熱い手で弄られて上がる声すら、目の前の男がニヤリと笑って舐めとってゆく。
 眉をしかめて片足で背中を蹴ってやれば、お返しとばかりにもう片方の足を深く折り曲げて開かれた。
 木箱の影で身をくねらせて絡み合う、2つの影。
 少し脚を伸ばせばガツンとそこらの物にぶつかるし、放りなげたスーツはきっと埃にまみれだ。しかも窓がない為に換気が悪く蒸し暑い。最悪の環境だ。
 少なくともサンジは今までレディをこんな汚い場所に引き込んだことなんてなかった。
 しかし今胸に抱いているのは、柔らかいレディの肌なんかじゃない。がちがちに鍛え上げられた筋肉の胸板。
 しかも、マリモ頭。
 
「ぅア……ッ」
 暗闇の中余裕のない目で、ゾロがサンジの鎖骨をべろりと舐めた。
 ここがどんなに最悪な環境でも、例え相手が同じ船に筋肉男であっても、荒く跳ねる息を飲み込みながらゾロを手放そうとは思わない。
 熱く痺れた股間に更に次の刺激を期待して、サンジはぶるりと身を震わせた。
 サンジだって、余裕なんてとうにない。目の前の太い背に手を回してゾロを引き寄せると、斜めに走るその傷跡に歯を立てた。
 肌越しに感じるゾロのはやる心臓の音。その正直さに思わずくくっと笑った。
 一方的に身をゆだねるなんてしない。
 お互いがお互いを確かめあうような、拮抗する2匹の獣が喧嘩するような。そんな高め合い方だ、いつも。
 加減など必要ない、本気の勝負ができる相手だからこそ、負けたくない。
 ゾクゾク震える鼓動。
 相手が自分の手で燃え上がっていく様を、舌なめずりしながら挑発的な目で見つめる。
 
 それはとても、――気持ちいい。
 
 クルーが寝静まった後、どちらともなく手を伸ばして始まる宴。
 ぽたりと口元に落ちてきたゾロの汗を、サンジは見せつけるように舐めて笑った。
「てめぇ…」
 ゾロがニィと口端を引き上げてサンジの尻の奥に手を伸ばした。
 まだ開かされて間もなく少し熱を持ったそこは、押し当てられたゾロの指をゆるりと飲み込んだ。
 その解けた口をくちゃりと広げられれば、先ほど散々注ぎ込まれた劣情の証が、とろりと指の隙間から漏れ出でる。
「あッ、てめ…ヤ」
「オラいっぱい漏れてくんぞ」
 手に絡む白い液を掻き混ぜるように捏ねながら、悪い顔でゾロが笑う。
「ふ、ぁ……」
 くちゃくちゃと響くいやらしい音に、サンジの熱が再び上がる。
 とろりと潤んだ視界で見上げれば、同じように熱気を帯びたゾロの目とぶつかった。途端、ぐるりと体をうつ伏せにひっくり返される。
「ぅあ……あ、ァッ!」
 逃げを打つ体を押さえつけられて、背後からずぶりと最奥にねじりこまれた。
 汗ばむ喉を仰け反らせてその衝撃に耐えれば、捕まえられた獲物のように、背後から覆い被さる獣に耳の裏をねぶられた。
「んなデカイ声出していいのかよ」
「……うっせ…ッ」
 耳元でゆるく息を吐く獣に悪態をついて、サンジも熱い内部に剛直が馴染む感覚を味わった。
 先程から何度も穿たれた中はとろとろに溶けていて、ゾロを難なく受け入れてしまう。
 いや、もう幾度となく繰り返したこの交わりに、ゾロを受け入れるという行為自体に体が慣れてしまったのかもしれない。
 お互いがどう動けば気持ちよくなるのか、今ではどちらもよく解っている。
 だから今宵も気持ちよく熱を放出するために、サンジは乾いた舌をぺろりと湿らすと大きく息を吸い込んで、自ら大きく腰を動かし始めた。
 
 
 
 
「チクショウ、まりもめ…」
 汗くさくなったゾロを風呂場に追いやってから、サンジはぐしゃぐしゃになった衣服を下半身にだけ覆うように引っ掛けて、ゴロリとそのまま床に寝転がった。
 冷たい木の感触がほてった体に気持ちいい。
 投げ捨てられたシャツから引っ張り出したタバコに火をつけて、サンジはぼんやりと天井に昇る紫煙を見つめた。
 この所航海が長くて、毎晩マリモの顔ばかり見ている気がする。
 しかも全身マリモ汁まみれ。臭いがついたらどうしてくれようか。
 今ごろは烏の行水もそこそこに甲板で大の字になっているだろうゾロを想像して、サンジはちっと舌打ちをした。
 次の島に着いたらナンパにいそしもうと心に決める。
 サンジはやっぱりレディが大好きだし、事後にまったりと柔らかい胸のふくらみを抱き寄せて眠りたいと思う。
 できれば毎晩だってレディの胸で眠りたいが、この船の女神たちに手を出すことなんて論外だ。
 けど溜まるものはしょうがないので、同じような熱を持て余してるゾロとこういうことをするようになって早幾年。いやそんなに経ってないか。
 利害の一致。ビジネスライク。
 自分がケツを貸す側になったのは誤算だったが、まぁゾロに入れるなんて想像もできないし、掻き合うよりも気持ちよかったので結果オーライだろう。
 誤算といえばまぁ、自分の誘いにゾロがすんなり応じたことにも驚いた。
 しかも掘りたいときたもんだ。
 テメェそっちの趣味あんのか、と聞いたら、趣味でやることかアホ、なんて意味不明な上にむかつくことを返された。
 趣味趣向でないなら、男掘る理由はなんなんだ。もしかしてあれはあいつなりに動揺してたんだろうか。まさかな。
 
 ふわ、とサンジはあくびをした。
 気だるい疲れが眠気を誘う。
 適度な運動をこなした後の、この瞬間は幸せだ。
 ゾロとはとにかく体の相性がよくて、しかもレディのように優しく守る相手でもない分、常に闘っているような高揚感が得られるのがたまらない。
 
 けれどたまにはもっと甘く、穏やかに眠れる相手もほしいな、と暗い格納庫でぽつりと思う。
 一人で重い体を休ませるのも味気ないというか、ふいに虚しくなるときがある。
 ふと甲板で転がるゾロを考えた。
 あいつは一人で寂しくないのだろうか。
 ……いやいや。
 思わずゾロと仲良く添い寝する映像なんて浮かべてしまって、キモイ想像に慌てて首を振った。
 とにかく毎晩快適にスッキリ眠れるのはよいことだ。
 それ以上考えることを放棄して、サンジは心地良い眠りへと引きずり込まれた。
 
 
 
 
 
 
 *** 
 
 
 
 
 
「手合わせを願いたい。ロロノア・ゾロ」
 
 ゾロに荷物もちを頼んで町を歩いていると、よくこんな風に声を掛けられる。
 もっとも大抵は声も掛けずに賞金首狙いでいきなり斬りかかってくるごろつきどもばかりだが、しかし時にはこうして真剣な申し込みも入る。
 久しぶりの相手に、ゾロは黙って雑踏を振り返った。
 顔を引き締め気配の変わったゾロにつられて、サンジも荷物を抱えたまま振り返る。
 しかしそこにいた相手に、サンジはぽかんと口を開けた。
「…えと、レディ…?」
 思わず気抜けした声を出したサンジに見向きもせず、ぎゅ、と両手を固く握り締めた老婦人が、真剣な面持ちでまっすぐゾロを見上げていた。
 ワイン色のワンピースにストールを羽織り、少し白髪の混じった髪を高く結い上げている。小さい背をしゃんと伸ばして、きっと胸を張るその姿。
 思わずいくつになってもレディは美しいなぁ、などと感心してしまったが、どうみてもこの女性が剣士には思えない。
 それはゾロも感じたのだろう。
「…あんたが相手か?」
 眉をひそめた問いに、女性は首を横に振った。
「いえ。相手していただきたいのは私の主人なのです。ロロノア・ゾロよ、お相手願いたい」
 再び静かにそう告げて、婦人はきびすを返した。
 どうするのかとゾロを伺えば、ゾロは迷いもなく彼女の後に続いて歩き始める。
 普段ならサンジはここで別れて船に戻るのだが、今回は婦人の様子も気になったこともあって、買出しの荷物を抱えたままその後に続いた。
 
 
 婦人は町はずれの少し山の斜面を登ったところにある一件の家に入った。質素で温かみのある普通の家だ。
 よく手入れされた庭先に揺れる花を眺めていたら、ほどなくして中から人がでてきた。
 ゆっくりと歩み出てきたのは一人の男。
 多分年は婦人より少し上くらいか、日焼けした顔に深い皺を刻みどこか体を引きずるようにして歩いてくる姿は、決して拭えぬ病の影を背負っている。
 しかしその双眸は衰えぬ気迫をもって真っ直ぐにゾロを捉えていて、杖代わりに地面に突き立てている一振りの剣がなくとも、この男が「剣士」なのだとわかった。
 婦人は男の隣で静かに控えている。何を言う訳でもない。
 ただ崩れぬような、真っ直ぐな目をして全てを見ていた。
 
 
 家から少し離れた、木々が開けた場所。
 そこでゾロとその男は対峙した。
 男は病んでいる姿を感じさせない鋭い眼光でゾロに一礼すると、すらりとその剣を抜き払った。
 ゾロも頭に手ぬぐいを巻くと、ガチリと口に白い刀を咥えた。
 三刀流。最初から本気で臨むつもりだ。
 
 傍で見守りたいという婦人を支えて、サンジも離れたところからその闘いを黙って見ていた。
 そういえば今まで海賊やごろつき相手にゾロの戦う姿を多く目にしているが、こうしてサシの真剣勝負を目にするのは仲間になって初めてだった。
 サンジにも解る。
 これはあの男の最後の闘いだ。
 きっと病に蝕まれる死より、最期まで剣士であることを選んだのだろう。
 多分その気持ちが一番わかるのは、同じ剣士であるゾロだ。
 だから礼儀をもって、全力で臨む。
 今までゾロがこうした相手に応えて勝負をしていることは知っていたが、船に戻ってきた時は普段と変わった様子なんてみせなかったから気にもとめていなかった。
 しかし今、改めて剣士同士の真剣勝負というものの厳しさを肌で感じる。
 頬にあたる、ピンと張り詰めた空気。
 ゾロから感じる、普段とは違う獰猛な、それでいて一点に向かって凛と澄んだ気迫。
 喧嘩とはまるで違う。
 生きるか、死ぬか。
 まるで肉食獣同士が牙を立て合うようだ。勝者は屠るものとなり、敗者はその肉となる。
 互いが己の腕と人生で磨いてきた技――剣という名の命と命のぶつかり合いだ。
 
 
 先に動いたのは、おそらく男だ。前足を強く踏み込んで長い両刃の剣を突き入れた。
 次いでゾロの刃が一閃する。
 
 勝負は一瞬だった。
 呼吸をするのも忘れた見入っていたサンジの目に焼きついたのは、綺麗な弧を描いて飛ぶゾロの軌跡。
 
 あの日、ゾロが鷹の目にルフィに誓いを立てた日。
 サンジの心を強く揺さぶったゾロの剣の輝きを、何故か今強烈に思い出した。
 
 
 
 
 ふら、とサンジの隣にいた婦人が動いた。
 覚束ない足どりで地に倒れた男の傍までいくと、そのまま足からくず折れた。
 老婦人の目が、初めて揺らいだ。
 張り詰めたものがようやくほどけたのだろう。震える手で男の体を抱きかかえると、深々とゾロに頭を下げた。
「ありがとう…」
 それ以上は言えずに、嗚咽に紛れて同じ言葉を繰り返す。
 婦人の座り込んだ足元、大地に静かに真っ赤な血が染み渡っていく。
 ゾロの剣は、一瞬で男の命を絶っていた。
 
 サンジは黙ってその光景を見つめていた。
 何と声を掛けていいものかわからない。
 そしてこれはサンジが口を挟める世界でもない。
 呆然と立つサンジの前で、剣を収めたゾロが婦人の前にしゃがみこんだ。
 まだ暖かいだろう男の太い手から、握り締めたままの剣を抜いて胸の上に置く。
 そして泣き崩れる婦人の手を取ると、男の手に重ねて握りこんだ。
 
 
「人斬りは修羅の道に落ちるのが運命だ。でも魂がそこに辿りつくまでの道を、アンタが照らしてやるといい」
 
 
 アンタがいて、この男は幸せだ。
 
 
 小さく呟いたゾロに、婦人は男の手を握り締めてその上に蹲った。
 ゾロはゆっくりと立ち上がると、そこで初めてサンジを見た。
 その目は先程の男や婦人のようにひどく真っ直ぐで。
 
 ああ、とサンジは理解した。
 すとんと胸に落ちるように、その考えは収まった。
 
 ゾロはきっと今、自分の最期を見ているのだ。
 それはずっと前から、おそらく剣士として剣を握った時から胸に刻まれた覚悟。
 いや覚悟などではなく、魚が死ぬために川を上るように、それが自然なことだと悟っているのかもしれない。
 例えその時がどんなに最悪な状況だとしても、逆にどんなに仲間に見守られた暖かい場所であっても、ゾロは全てを振り払って剣士の道に還って行くのだろう。
 
 
 ゾロは目線を外すと、そのままくるりときびすを返した。
 
 きっとそうやって、どこまでも一人で歩いていくのだ。
 一人きりで、目の前の男のように、最期にその手を握っていてやる相手を望むことだってしないだろう。
 最後まで独りで。
 
 それはなんて、寂しく。
 
 
 なんて綺麗なんだろう。
 
 
 
(―――ああ)
 どうしようもなく。
 胸を競りあがってくるものがある。
 
 広い背中。誰も寄せ付けない、誰にも触れさせない孤高の、綺麗な背中だ。
 昨日暗闇で必死にかき抱いた、あの熱い体温がひどく遠い。
 剣を握る手だって、あんなに熱かったのに。
 分厚くて傍若無人で、荒々しく自分を追い立てて、どちらのものかわからなくなるくらい、どろどろに一つに溶け合った。
 それが離れていってしまう。
 
 ゾロが一人で歩いて行く道。
 そこにそっと、寄り添えたらいいのに。
 あの婦人のように、その時が来たら、その手を握り締めてやれたらいいのに。
 
 何故か胸の奥がぎゅうっと痛んだ。
 それは同じ船の仲間という枠を越えて。
 ひどく今、ゾロという人間に、触れたかった。
 
「ゾロ」
 
 手ぬぐいをとった緑頭がこちらを振り返る。
 サンジは駆け寄るとその首を引き寄せて、ゾロの唇に自らを重ねた。
 目の前で驚きに見開かれるゾロの顔。
 
 へへ、とサンジは小さく笑った。
 
 そしてぽん、と気付いてしまった。
 
 ああ、そうか。
 
 俺はこんなにも。
 
 
 ―――好きなんだ、ゾロ。
 
 
 どくん、と心臓が大きく波打った気がした。
 
 
 
「……ッ!」
 突然左眼に焼け付くような痛みが走って、サンジはガクリと膝をついた。
 前髪に隠れた目を、手でぎゅっと覆う。
「……オイ!?」
 目の前で突然倒れたサンジに、慌てたゾロがその体を抱えあげた。
「あ…ッ…?」
 左眼はまるで焼けた杭を打たれたかのように、ずくずくとした痛みが脳天まで響く。
 騒がしく鳴る心臓の音にあわせて、ガンガンと頭が揺さぶられる。
 突然のことに、サンジは体を丸めて声をかみ殺した。目を覆う手に力を込めて、荒い息を吐く。
 脂汗を滲ませて震えるサンジの体が、ふわりと浮いた。
 うっすらと右目を開ければ、焦ったようなゾロの顔がひどく近くにあった。
 目の前に見慣れた白いシャツ。
 サンジを両手で抱え上げて、ゾロは走り出した。
「……、……ッ!?」
 走りながらもサンジを見ながら何かを必死で叫んでいる。
 割れるように頭は痛いけれど、掴もうと思ったあのゾロの体温がすぐ傍にある。
 自分に向けられる真剣な視線。
 
 何故かひどく安心して、サンジは小さく笑って目を閉じた。
 
 
 

 
 
 *3へ*

 
 
 
 --------------------------------------------------------------------------
 
 06.08.24