BIYAKU

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「泣きたいですか」
 
 
 不意に、だ。
 旅の合間、なんとか辿り着いた街、転がり込んだ宿屋。汗まみれの体を洗い流し、くたくたの手足を安いベッドの上に投げ出して。
 こうやってぼんやりと天井を眺めている時なんかに不意に、この男はその存在を傍らに滑り込ませる。
 厭らしいくらいにあからさまに、あえて引っかかるような存在の顕し方で。
「どういう意味だい?旦那」
 つくづく他人の隙を突くのが上手い男だと内心舌打ちをしながら、ガイはにこりとさわやかな笑みでジェイドを見上げた。
 態々笑顔を作ったわけではない。誰かと会話する時に裏表のないような笑顔で接するのは長年の条件反射というか、既に馴染んだ癖のようなものだ。
 けれど勿論、目の前の相手はそれに騙されてくれるような易しい男ではない。
 赤い目で真っ直ぐガイを見下ろすジェイドが、どこまで何を知っているのか――深く探られる居心地の悪さにガイは小さく身じろいだ。
 自分は公爵家のたかだか一使用人だ。そんなに挑発されるような目を向けられても困るのだが。
  
 
 
 思わぬ顛末で色々な思惑を抱えた仲間と共に旅をするようになってから、気づけば随分と経っている。
 敵国の軍人、皇帝の懐刀とも呼ばれる男の噂は国境を越えて聞き及んでいたが、それは現実感のない紙面上でのゴシップにすぎず、まさか目の前でこうして言葉を交わす日が来るとは思ってもいなかった。とりあえず今は味方であるようだが、その根底は未だ信用ならない。
 一体ヴァンが何を考えているのか、他の面子がどういった目的であるのか、そんな事は後回しだ。ただ毎日の流れに必死に食らいついて進むだけ――自分にはまだ、見極めなくてはならない事があるのだから。
 
 女性陣とダアト教団の最高指導者、そして公爵家の子息が宿で別部屋を取るのは致し方がない。結果あぶれたこの男とせめてもの路銀節約にと同室になるのもほぼ毎回の事で。
 腹の探り合いにも似た掛け合いも、毎度の事だ。
 ジェイドは低く甘い声で言った。
 
 
「泣かせてあげましょうか」
「……冗談」
 
 自分の胸で、なんて、いっそ鳥肌が立つくらいに甘い戯言を吐くような相手だったらどれほどよかったか。
 緩んだ振りをしたままベッドに体を投げ打ったガイが見上げた目線の先で、ジェイドは胸元から摘み出した小さな袋を振って見せた。
 さらりと白い粉が揺れる。
 あからさまに顔を顰めたガイに、ジェイドは面白そうに赤い瞳を歪めた。
 
「酷くしてさしあげますよ?」
 このサドめ。
 そう罵った所で笑顔であっさり肯定されるだけだろう。
 ガイはのろのろと小さく息を吐いた。
「軍人がそんな薬持ってていいのかよ」
「軍人だからこそ、ですよ。ああ、でも――」
 
「これは自白剤の類ではないので、ご心配なく」
「……」
 眼鏡の奥でにこりと笑うジェイドに、意趣返しの答えなど考え出せるわけもない。
 開いた口からただ溜め息だけを吐いたガイの上に、ジェイドの影が落ちる。
「それよりも、よくこれが薬だとわかりましたね?」
 尋問というよりもからかいに近い口調と一緒に、ベッドが軋んだ。体温と微かな石鹸の香りを連れて唇が落ちてくる。
 さらりとガイの顔に零れるジェイドの髪。
 
「旦那が胸元に砂糖や小麦粉を忍ばせてる方が…よっぽど怖い」
 薄く開いた唇からぬるりと滑り込んでくる熱。ひそやかな笑いと共に、促されるように唇の端を噛まれた。
 流れるまま、ガイも舌先を差し出して熱を分け与える。
 覆いかぶさってくる体、受け止めたその重みにガイは小さな嘆息を漏らした。
 
 心の隅に落ちる、小さな安堵。
 ああ、本当にこの男は、どうして。
 
 
 
 始まりは復讐だった。
 その志が、唯一の自分の居場所であり存在の全てだった。
 いつかは自分の手駒の一つとして、斬って捨てる覚悟すらあった仇の息子。
 けれどいつしかその笑顔が身を焼くほどに眩しくなって。
 自分のように偽りの笑顔ではない、本当の太陽。
 光が眩しくなればなるほど、自分の陰はより濃く照らされる。
 それを見せ付けられる度に、傍にいる事がこんなにも辛くなるなんて。
 そしてこんなにも救われるだなんて。
 
 解け始めた心を認めたくはなかった。
 何もかもを忘れて、ただの使用人として生きていけたらどんなに、と――最早自分しか覚えていない賭けの未来を思い描くようになるなんて。
 どこへ行きたいのかわからないまま、なくなりそうな心を握り締める、そんな日々。
 
 
 ああ、本当にどうしてこの男はこんなにも。
 ただ旅の道連れでしかない間柄。自分の、思惑も抱える闇も何も知らないくせに。
 どうして欲しい言葉の一つだけを簡単にもくれてしまうのだろう。
 
 泣きたい、その一言を、わざと縋らせるように与えてくれる。
 
 
 
 
「あ…あ、ア」
 
 神経を直接嬲られるような快感に、声を殺すことも出来ずにガイはただ目の前の男の背に爪を立てた。
 どっと溢れる涙が頬を濡らし、閉じきれない口からは意味をなさない嬌声が零れていく。
 じゃり、と薬を纏ったまま音がしそうなほど深く突き立てられた指。
 体の奥からもたらされる焦燥にガイはシーツの上をのたうった。
 
「も…いい…ッ、それ、もう、や…ダ…ッ」
 懇願が聞こえないかのように、奥深くまで入り込んだジェイドの指が、ゆうるり熱く熟れた襞を掻き回す。
「もう少しの我慢ですよ。よくかき混ぜておかないと、馴染みませんから。それに」
 眼鏡を外した紅い目。見下ろすその瞳の奥に、掠める欲望の影。
 素面では見ることの出来ない、ジェイドの感情。それがガイを映す瞳の奥にだけ晒されている、その事実が酷く、理性の箍を緩める。
 
 ……なのに。
 
「薬が残っていると私が辛いですから」
「……ッ、のやろ」
 さらりと告げられた言葉に、やっぱりこの男だけはと唇を歪ませれば、途端にずくりと熱い楔がガイの中心に押し入ってきた。
 
「…ッ、ちょ、待っ、いきな、り―…!?」
「いやぁ、おねだりには弱いもので――」
「ッぅ、あ――…!」
 見開いた瞳、その端から溢れた涙がジェイドの零す吐息でかすかに震えた。
 
 熱い流れが身を引き裂く。
 溢れそうになる心を覆い隠すその痛みだけが。
 
 
 
 今自分が望む只一つの、薬。
 
 
 
 
 
 
 Fin.
 
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なんていうか、雰囲気だけで読んでもらえたら…!!
例え茨でもジェイガイ大好きです。
多分カースロットの前でルーク短髪に成り立てくらい。
ゲームの外伝小説読んだら益々時間軸がわからなくなりました。
漫画と違ってゲームは年表が欲しいですね…!