いつか優しいため息のように 2 -------------------------------------------------------------------------- 電車を2つ乗り継げば、ゾロの住む町だ。 地図を見なくても道はわかる。年数が経って駅前には新しいビルも沢山出来ていたが、やはりどこか懐かしい町並みに、サンジの記憶は昔を泳ぎ始める。 学生時代の帰り道、よくこの駅で降りてゾロの家まで遊びに行ったっけ。 (部活帰りのアイツを連れてよくここのマック寄ったな――席は2階、空いてれば必ずガラス窓の前に陣取った) (半休の日はここでアイツんちで料理する為の食材買って…) (ああ、店自体は別のマーケットになったのか。そういや食材だってーのにさり気無くカゴに日本酒混ぜやがったよなぁ、アイツ) 「……」 ほぅ、と遠く小さい息を吐いて、サンジはふるっと小さく頭を振った。 そして振り払うように、力強い足取りで商店街を歩き始めた。 駅からさほど離れてはいない住宅街の中に、ゾロの家はある。 今時珍しい大きな門構えの家で、すぐ隣には父親の経営する二階建ての会社のビルが建っている。 ゾロの家の裏口にあたる木戸の前で、サンジは一つ深呼吸すると覚悟を決めて鈴を鳴らした。 ケーキを持つ手にじわりと汗が滲む。次第に緊張を増して高鳴りだす心臓を飲み込んで、必死にゾロが出てきた場合の台詞を考えた。 でも出てくるのはバラティエ接客の定番用語だけで、頭はどんどん真っ白になってくる。 あの顔を前に、まともな言葉が出てくる自信がない。 「……よし」 ケーキを置いたら即帰ろう。何か口を開く前に蹴り倒して逃げよう。 むん、と拳を握ったところで突然ガラっと目の前の木戸が開いた。 「……ッ!!」 「…えーとどちらさんで?」 顔を出したのは見知らぬサングラスの男で、サンジはあやうく飛び出しかけた心臓を押さえてほっとを息を吐いた。 なぜか片足を振り上げかけているサンジを、男は胡散臭げに眺める。 「あ、すいません、ええとその、バラティエの…」 そそっと足を揃えたサンジの、コート下の制服と手に持つ白い箱を見て、ああ、と、相手はすぐに納得したらしい。 「こりゃまたいつもどうも。今年はちいと早いんですね。あれ?兄貴当日は出張かなんかだっけ?」 「……?」 サングラスの男はなにやら勝手に考えて首を傾げ、今年は配達頼んだっけ?と顎に手を当ててブツブツ言い始めた。 「あ、あの…」 「ああ、すいやせん。今こちらにゃ誰も居ないんで、隣の事務所に回って貰っていいですか。兄貴も今出先なんですが、もうしばらくしたら戻ってきますんで」 「あ、いや俺はケーキを置きに来ただけですんで」 このまま帰ります、という言葉はまぁまぁそう言わずにお茶だけでも、という男の言葉に押されてしまった。 「今日は会社の忘年会でね、皆出払っちまってるんで気兼ねしねぇでください」 時期は少々早いんですが、ウチの会社来月になるとおちおち休んでもいられないもんで、と男が軽い口調で続ける。 その言葉に、サンジはほっと肩の力を抜いた。正直ゾロの父親にだって会いたくはない。 先を歩く男に連れられて、会社の一階にある応接室に通される。 「俺はたまたま兄貴が忘れたモンを探しに来ただけで。ちょいとこっちの事務所も探さないといけないんで失礼しやすが、適当に寛いでてくだせぇ」 先ほどから男の言う『兄貴』はゾロのことなのだろう。 ゾロは父親の会社に入ったんだなぁ、と今更ながらに過ぎた年月を感じた。 「……あ、余計な言葉かも知れないっすけど」 サンジの前に事務用カップに入れたコーヒーを置きながら、男が笑った。 「料理長にお伝えくだせぇ。この時期になるといつも、兄貴そのケーキ楽しみにしてるんすよ。毎年ありがとうございますと」 「あ、あの…っ!」 言い置いて部屋を出ようとした男を、サンジは呼び止めた。 「すいません、毎年このケーキは……何日に合わせて注文してるんですか」 男は笑った。 「11日ですよ。兄貴の誕生日なんす。そちらのケーキが兄貴、昔からのお気に入りで……いつもは俺かヨサクのどっちかが取りに行くんですがね」 それじゃ、と閉められた扉の中で、サンジは呆然とソファに座り込んだ。 「………」 ゆるゆると息を吐いて、背もたれに頭を預ける。天井を仰ぎ、ゆっくりと目を瞑った。 色々な情報に、頭が付いていかない。 「11日……」 毎年、サンジの店のケーキを注文していたゾロ。 バラティエのケーキだからと言って、その製作にサンジが関わっているわけではない。 けれどサンジの作る料理の味は、確かにバラティエに準じている。 毎年ゾロの誕生日にサンジが作っていたケーキ。 あれからずっと、その習慣を、ゾロはバラティエのケーキで引き継いでいたのだろうか? ――その意味を、考えてしまっていいのだろうか? なぜか涙が出そうになって、サンジはぎゅっと唇を結んだ。 目を開けると、サンジはローテーブルに置いていた白い箱をそっと開いた。 真っ白いショートケーキの台座の脇には、案の定小さなチョコペンとチョコのプレート。 特に記名や何の祝いなのかを頼まれなかった場合にだけ、自宅でも書けるようにと添えられているものだ。 サンジはプレートの包装を破ると、手で暖めたチョコペンの蓋を開けた。 そっと、真新しいプレートに言葉を乗せて行く。 『HAPPY BIRTHDAY ZORO wi 』 そこまで書いて、サンジは自嘲に口を歪ませた。 「アホか、俺は……」 今更またこんなこと書いて、何になるというのだろう。 withと書きかけたその文字の周りを、サンジはペンで大きくハートで囲った。 男の誕生日プレートにハート付って笑えるなぁ、なんてくすくす笑いながら、その中を塗りつぶして行く。 その時ガチャッと大きな音を立てて扉が開かれた。 「……ッ!!」 ビクッと肩をすくませて、サンジは慌ててプレートを手で隠した。 「ちょっとちょっと困るよ勝手に中に入られてちゃ!」 きょろきょろと廊下の向こうを伺うようにしながら入って来たのは、先ほどとは違うスーツ姿の男。 「え、あれ!?男??」 男はサンジを見て何やら驚いたようだが、すぐに「まぁ仕方ない早く!」と急き立て始めた。 「え、あの……あっ」 ケーキの箱を男が持ち、片手でぐい、とサンジの手を取ってソファから立たせた。 その瞬間書きかけのチョコプレートが床の隅に転がる。 「…っちょっと待てよお前!」 横暴さに声を上げた所で、すっと黒い影が廊下から滑りこんで来た。 サンジが目を向けると同時、腹に鈍い衝撃が走る。 「―――ッ」 崩れ落ちながら、サンジの意識はそこで途絶えた。 * 「制服の子っていうから絶対女の子かと思ったのになぁ」 「まぁこれはこれで楽しめそうじゃねぇか」 とどこかで男達の汚い笑い声がする。 ひそひそと囁かれるその会話に、やがて意識が浮上してきた。 「う……」 サンジはぼんやりと目を開けた。低くて暗い天井。どうやらどこかの部屋の、ベッドに寝かされているようだった。 腹が重い。体を動かそうとすれば、頭上に上げたままの手首に痛みが走ってサンジは眉をしかめた。 「おっと」 ベッドの脇に居たらしい男の一人が、サンジの上に多い被さってきた。 「なんだ……テメ…」 灰色のスーツが視界を塞ぐ。 その胸元に見えた、鈍い銀の社員証。二振りの剣が交差するマークのそれは…… 「……ッ!?」 確認する間もなく、すぐにサンジの視界が何か黒いもので覆われた。 よからぬ気配を感じ足を振り上げようとするが、既に足首も動かぬよう何かで縛られているようだった。 「てめぇら……何が目的だ…」 サンジは見えない視界の中、じっと気配を探った。 小さな部屋なのだろう、すぐ傍から自分を見下ろす男が二人。 にやにやと笑うその様子に、サンジの怒りがふつふつと込み上げる。 (ジジィが俺を寄越した理由は――これか) ここまで予測していたかどうかは知らないが、何かがおかしい、そう考えた末の配分だったのだろう。 バイトの女の子がこんな目に合わなくて幸いだった。 さて、コイツらをどうしてくれよう… じっと押し黙ったサンジを勘違いしてか、男達の声が生やさしいものに変わった。 「そう怖がらなくても平気だから。ちーっと協力してくれればいいのさ」 「まぁ、目的は俺らにはわかりませんがね、お偉い方の考えはとてもとても」 「だーいじょうぶ、逆らわなきゃ優しくしてくれるって」 アンタも楽しんだ方がいいよ、笑いながら囁かれる下卑た言葉に、反吐が出そうになるのをぐっと堪える。 どうやら二人の他に、あと一人居るらしい。 (三人か…まずは足の縄だけでも何とかしねぇと……) その時部屋の扉がコン、と軽く叩かれた。 男のうちのどちらかが慌ててその扉を開けに走る。 ガチャリと開かれた音。 「ゾロさん、お待たせしました。どうぞ」 男の発したその言葉に、サンジは息を飲んだ。 * 3へ * -------------------------------------------------------------------------- 08.12.23 |