おそだし屋 |
心地よい風がサンジの長い前髪を揺らす。前を開けた学ランと中に着込んでいた白いTシャツの裾もバタバタと翻る。 青空が高く広がる5月の屋上、昼休み。人目に付かない特別棟の校舎の上。 今まさに果し合いでもしそうな風体で対峙する男が2人。 サンジの前に立ちはだかるのは、同じ学年の男。眉間に皺をよせた不機嫌そうなその顔は、校内で名を知らぬ者などいないだろう。 相手はまるで今そこで数人殺ってきましたと言わんばかりの凶悪な目つきで、じっとサンジを睨みつけている。 「で、用件は?」 わざとらしく小さく首を傾げて仏頂面の緑頭に聞いてみせる。男の眉が小さく上がった。 寡黙でストイック。そう女子から噂される男は引き結んでいた唇を、ゆっくりと開いた。 「お前――」 剣道部のホープ、全国大会の覇者。 サンジの久しぶりの喧嘩相手にとって不足はない実力の持ち主だ。 その男からもたらされた言葉は。 「――俺を好きになれ」 サンジはにっこり笑った。 男には滅多に見せない極上のスマイルだ。 「ようし、てめぇの頭がオカシイのはよっくわかった。……歯ぁくいしばれ?」 そして大きく地を蹴ると、男に向かって手加減なしの一撃を叩き込んだ。 小さな告白から、果てはやんちゃな生徒がオイタをするに至るまで広く使用される、つまりは邪魔の入らない絶好の決闘スポット。それが屋上。 高校も入学して1年になろうという頃には、男に対して導火線が短く喧嘩っ早いことで有名なサンジは校内はおろか、他校の目立つ輩からは大抵お誘い済みで、ついでにもれなく叩きのめし済みだった。 屋上に呼び出しなんてのは実に久しぶりで、売られた喧嘩に応酬するという、サンジにとっては正当防衛という大義名分の下に思い切りストレス発散できるまたとないチャンスに、実は結構わくわくしていた。 事実目の前で対峙した男は武道をやっていると聞くだけあって、サンジに比べれば随分と筋骨逞しい体つきをしていた。ウェイトでは負けるだろうが、技やスピードでそれを凌ぐ自信はある。 一体どういう技が出てくるのか、と高揚する気分を抑えて無意識にぺろりと唇を舐めたサンジに向かって、しかし放たれた言葉は……予想外を通り越して最悪だった。 「チキショウこんの腐れホモが!てめぇに告るからってんで俺のハートを涙を飲んでお断りされたロクサーヌちゃんワイドちゃんシルクちゃんカヲリちゃんetc.etc…彼女らの穢れなき愛情を返しやがれッ!!!」 「いや待て、お前の言っていることの意味がわからん」 サンジの繰り出す蹴りをことごとく腕で弾き返しながらマリモがのたまう。 「るっせぇ沸いてるのはそのミドリ色だけで充分だ!死ね!」 「おい、俺の名はゾロだ、覚えておけ」 「俺のメモリーは常にレディの名前で満員御礼だッ!!短縮の1番はナミさんだ覚えとけッ!!!」 まったく噛み合わない会話をしながらお互いの実力は伯仲しており、数十分にわたる格闘の結果、両者仲良く屋上のコンクリ畳の上に倒れて青空を眺めることになった。 そんな最悪の出会いが、ゾロとの始まりだった。 遠くでチャイムの鳴る音がする。 お日さまはぽかぽか気持ちよくて、久しぶりに思う存分発散した体も心も満ち足りていて、隣に転がっているのがさっきまで前世の仇とまで思っていたおかしな男でも、なぜかサンジはとてもいい気分だった。 「おい、5限始まったぞ…行かなくていいのか優待生」 「別に…いつも寝過ごしてたから、変わらねぇ」 空を見ながらの問いに、ゾロもぼそりと返す。 ぼんやり流れる真っ白な雲を眺めていると、やおらゾロの方からぐるおおおおおお、という巨大な腹の虫の鳴く音がした。 そのあまりの音にサンジは思わず笑った。 「昼飯食い損なったなぁ」 「…弁当……」 力なくゾロが溜息を吐いた。 「てめぇが好きになってくれないんじゃ…弁当が食えねぇ」 「なんだそりゃ?てめえそんな図体して、ご飯が喉を通らない程俺にフラれたのがショックなのか……!?いやそのキャラはやめとけ。キモイから!」 「お前の言ってる事はどうしてそう意味不明なんだ。頭オカシイのか」 「そっくりそのままテメェに返すぜクソ野郎!」 寝転がったたままぎりぎりと互いの頭を擦り付けて牽制しあえば、やがて2R目の鐘が鳴る。カーン。 「……チクショウ、ルフィめ…」 数十分後。 ハァ、ハァ、と今度は荒い息も隠せず取っ組み合っていた腕を離したゾロが洩らした名前に、サンジは同じくハァハァと忙しなく胸を上下させながら、ん?と眉を寄せた。 「……ルフィが…どうしたって?」 ルフィはサンジの愛してやまない永遠の女神の幼馴染で、憎らしいことに恋人でもある。 昼時には一緒に弁当を食べるくらい仲が良い。…もっとも相手の目当てはサンジの作る弁当にあるのだが。 「一度アイツに飯、分けてもらったんだ……特別棟で迷って行き倒れていた時に」 オイオイ真面目な顔でどんな冗談だ、ウケねぇよ、とサンジが突っ込む前に、ゾロはしみじみと思い出すような溜息を吐いた。 「卵焼きの切れっ端だったんだが、それがすげぇ、美味くてよ」 心底洩らされた言葉に、一瞬サンジの呼吸が止まった。 「え…」 「ルフィに、その飯どこで売ってんだって聞いたら、テメェが作ってるって言うから」 のろのろと起き上がると、サンジはゾロを見た。仰向けに空を見据えたまま、ゾロは唇を尖らせる。 「俺も欲しいって言ったら、テメェが好きになってくれれば貰えるんじゃねぇか?って……」 サンジの中で、バチーン!と全てが繋がった。 いや俺は別にルフィが好きなんじゃなくて愛しのナミさんに弁当作ってるだけなんだが、それをアイツが奪ってくからもう1個作るはめになってだな。 つかルフィも分けてやるのに切れ端って、いやあいつが分けてやるだけ奇跡に近いか。 てかそれじゃあれか、俺にテメェを好きになれって言ったのは、あれか。 「ッああああああ!こんのアホがあぁっ!!」 金髪を掻き毟って、サンジは踵落としを寝転がったゾロに振り下ろした。 しかし身を捩ったゾロにあっけなくかわされる。 ごろごろっと屋上の床を転がったゾロはその反動で起き上がると、その場にどかりとあぐらをかいた。 パン!と膝の上を手で叩けば、散々埃と砂に塗れた学ランから白い煙があがる。 「おし、ジャンケンしろ」 「ハァ?」 突拍子もない台詞に顔を上げれば、真っ直ぐにサンジを見つめる薄茶色の目は、再び自信と闘志に燃えている。 「テメェが俺の事を好きになったら弁当作ってくれるかと思ったんだが、それがだめなら奪い取るまでだ」 「なんでそこでジャンケンだよ」 コイツの頭の構造はどうなってんだろうと本気で呆れるサンジの前で、ゾロはなぜかちょっと気まずそうに目線を逸らすと、喧嘩で勝負がつかなかったからしょうがねぇだろ、と言った。 どうやらコイツは嘘のつけない性格らしい。 あきらかに何かありそうな雰囲気だったが、サンジは小さく口端を緩めた。 「……しょうがねぇなぁ」 他に勝負方法なんていくらでもあったろうし、すっぱり断る事だってできた。 けれどサンジはこの時点で既に、自分の飯食いたさで一生懸命のこの不器用な緑頭に、実はちょっと…いやかなり、絆されていたのだ。 「よし!」 途端に全開の笑顔を見せたゾロに、なんだかサンジの気も抜けた。 心底嬉しそうなその顔に、そんなに自分の弁当が欲しいのかと思うと、こっちまで顔が緩んでしまう。 「じゃあ俺が勝ったら明日の弁当、作れよ」 「ああ。いいぜ」 そして青空の下に高らかに声を響かせて。お互いボロボロの格好で笑いながら、初めてのジャンケンをした。 最初の勝負は見事、ゾロの勝ちだった。 よって次の日の昼食にはナミとルフィと一緒にゾロが加わることになった。 「サンジに好きになってもらえてよかったなぁ〜」 「おう、まぁな」 あっけらかんというルフィに、なぜか自信満々に答えるゾロをサンジが容赦なく蹴り飛ばしたのは言うまでもない。 「テメェなんか好きじゃねえょ!気色悪いこと言うな!俺のハートはレディのもんだ!」 「勝負に負けたのは事実だろうが!」 「あらサンジくんが負けるなんて珍しい」 「君の魅力に僕はいつも参りっぱなしさぁ〜!っていい気になってんじゃねぇぞマリモ!?あんな1回切りの勝負、今日はあっても明日はねぇんだぞコンチキショウ!」 「あぁ!?んだそりゃ約束が違ぇぞグル眉!」 「約束なんかしてねえよ!明日も俺の弁当が欲しいなら勝負しなコケマリモ!」 そのまま派手な喧嘩にもつれ込んで、すったもんだ。 結局その日から、翌日の弁当を賭けてゾロとのジャンケン勝負の日々が幕を開けたのだった。 「ぜってぇオカシイぜ」 ぶつぶつ言いながら、サンジは放課後の剣道部室前でゾロから空になった弁当箱を受け取った。 大会が近づくとゾロは昼休み中も練習が入る為、昼食時に集まれない。なので最近では登校すると、教室に行くより先に朝錬中の剣道場に寄って弁当を渡すことが日課になっていた。 勿論最初はよからぬ冷やかしを飛ばす輩もいたが、もれなく足で沈めたら何も言わなくなった。 「…なにがだ。お前の眉毛か?」 「それを言うならテメェの緑頭のが相当だよ!そうじゃなくて、ジャンケンだジャンケン」 あれから毎日ジャンケンすること一ヵ月と少し。 26勝0敗。全てストレートにゾロの勝ちなのだ。 最初は負けるのが悔しくて、毎日同じ拳を出してフェイントをかけたり、出す順番をぐちゃぐちゃにしたりと試してみたのだが、結局は無駄だった。引き分けにすらならないのだ。 ……これは明らかに、何かあるだろう。 「絶対にオカシイ。テメェ本当はちょっぴり遅出ししてんだろう」 「そんなことねぇ」 「じゃあなんだ、超能力か?なにか見えてんのか?」 「……いいからやるぞ」 むぅ、と口を引き結んだゾロに、ヘイヘイとサンジは右の拳を出した。 「せ〜の、じゃーんけーん…」 ポイ。 出された互いの拳に、サンジはぽかんとした。 「……」 「……」 サンジがグー。 ゾロがチョキ。 ―――アホだ、と思った。 いくらなんでもこのタイミングで、負けるか普通。 きっとこいつはとことん駆け引きとか、裏表のある勝負はできないのだろう。 「……俺の勝ち…、な」 「……おう」 どこかむすりと、ゾロが頷く。 べつに、ゾロの為の弁当を作るのは嫌ではない。 むしろゾロは何でもよく食べるし、運動をしている分だけエネルギーも要る。筋肉を作る栄養もいる。 ルフィやナミに作るのとは全く違う意気込みがあって、毎日明日のメニューを考えるのは既にサンジの日常と化しているほど楽しかった。 「…じゃあな」 道場へと戻る、どこかしょげたような後姿を見ながらサンジは立ち尽くした。 ああ、あの首から肩にかけて盛り上がっている筋肉はどんな飯で維持させたらいいだろう。明日使おうと思っていた冷蔵庫の中の食材は、どうしようか。 ぼんやりと考えながら、両手で抱えた弁当箱の軽さがやけに腕に残った。 翌朝。 いつもの時間にそっと剣道場を伺えば、昨日と同じくしょぼくれたゾロの姿。 サンジを見るとどこかそわそわしたように、練習を抜けて外に出てきた。 サンジは懸命に笑いを堪えて顔に出さないようにしながら、ん、とぶっきらぼうに手にもった包みを突き出した。 「別に……俺が勝ったらどうする、てのはまだ決めてなかったし」 「……!」 両手でしっかり弁当箱を握り締めて嬉しそうに顔を綻ばせるゾロに、ああ、アホだなぁと思ってしまった。 何がアホかって、こんなんで滅茶苦茶嬉しくなってる自分が、だ。 その日から、弁当に関してのジャンケン勝負はなくなった。 代わりにどうしようもなく喧嘩をした日や、どうしても互いに引っ込みがつかなくなってしまったときなどに、ジャンケンをした。 口では素直に認められないことも、ジェンケンの勝負で決まったことだと思えば格好がついた。 ゾロは勝ちもしたし、負けもした。それはほぼ、お互いの望む形のとおりに。 ――それから沢山の出来事があった。 沢山笑って、喧嘩して、時には泣く時だってあった。 けれどどんな日でも、弁当だけは互いの間を行き来していた。 いつの間にかサンジにとってのゾロは、ただの緑頭ではなくなっていたし、きっとゾロだってそうだった。 お互いがなんとなくお互いをそれ以上の存在なんじゃないかと意識しながら、友人という枠に甘えていた。そんな日々。 ゾロが突然提案をしてきたのは、3年生の冬。受験によるプレッシャーが強くなり、冬休みがすぐそこまで迫ってきた日のことだった。 「ジャンケンしろ」 部活もないので一緒に下校していた道すがら、突然ゾロが言い出した。 「は?なんで」 「いいからしろ」 どこか思いつめた表情でゾロが言う。 突拍子もないのも、感情表現の前に日本語能力が危ういんじゃないかということも、この数年の付き合いでわかっていたので、サンジは言われるままに道端でジャンケンをした。 「目、瞑れ」 勝負はゾロの勝ち。訳もわからないままに、サンジは暮れかけた道路脇で目を閉じた。 ふにゃ、と温かなものが吐息と一緒に唇に触れて、サンジはびっくりして目を開けた。 「な……なッ!?」 すぐ目の前に、ひどく真剣なゾロの顔がある。 今のはなんだ、まさか、え、どういう意味。 パニックとともに耳が熱くなる。口を開いたままうろたえるサンジの前で、ゾロは再びジャンケンをしろ、と言った。 「は?え…?」 「ジャンケンしろ。俺は今回、目を瞑ったままで勝負する」 「え、なん…なんで」 咄嗟にはその意味がわからず呆けたサンジを、ゾロはしっかり見据えると大きく息を吸い込んだ。 「それで俺が勝ったら…テメェを抱きたい」 「―――っ!」 叫んだらいいのか、驚いたらいいのか、喜んだらいいのか。 最近お互いに煮詰まりかけていたのは確かだ。けれどこんな直球を目の前でぶつけられるとは思ってもみず、あまりに突然すぎる告白にサンジは思考が真っ白になった。 何も言えず、とにかく上がる鼓動を喉もとで押さえ込むので一生懸命だった。 多分ゾロもいっぱいいっぱいだったのだろう。 だけどサンジだってそんな事を推し量れる余裕なんて微塵もなかった。 条件反射で両者拳を振りかぶり。そしして……その結果。 神様ってやつは、こういう時に限って自分たちを突き放す。 夕暮れの道で、震える脚を奮い立たせてサンジはゾロに背を向けると走りだした。 嬉しかったし怖くもあった。混乱して、恥かしくて、今すぐ河原かどこかで頭を掻き毟りながら思い切り叫びたい気分だった。 ゾロの決意に対し、自分はどう応えたらいいのか。 素直になるにはちっぽけなプライドと羞恥が邪魔をして言葉にならず、とにかくまともにゾロの顔が見れなかったのだ。 一度逃げてしまうとますます次にどう反応していいのかわからなくなって、それから微妙にゾロとぎこちなくすれ違う日が続いた。 やがて突入した冬休み、サンジは実家の手伝いに大忙しで、ゆっくり考える暇もゾロに連絡を取る勇気もなかった。 明けて新年からは折りしも受験シーズンで、部活もなく、授業も半休や公休が続いた。 そんなこんなでふと気が付けば、傍らから、ゾロがいなくなっていたのだ。 あれだけそばにいたのに。弁当を持っていく必要もなくなって、クラスが違えばほとんど接点もない。あっけないほど二人の距離はあいた。 ゾロの方でも自分を避けているのだ、と気付いたのはしばらくしてから。 あの日の告白以来、ゾロは自分を追いかけるそぶりすら、みせなかった。 後悔もした。 理不尽だと怒りもした。 ゾロの気持ちを疑い、自分の気持ちに悩んだ。 そしてひっそり、泣いてもみた。 だけどその時サンジから、ゾロに向かって何が言えただろう? ……ふ、と気持ちのよいまどろみから目を覚まして、サンジは目元を擦った。 小さなカウンターの中のキッチン。目の前でくつくつと音を立てていた鍋の火を、慌てて止める。 どうやら懐かしい夢を見ていたらしい。 潰れたばかりのスナックの跡地を、テーブルやソファなどの備品もそのままにぎりぎりの予算で借り継いだのは去年のこと。 まだまだ内装まで完全に整える資金はないが、初めて持てた自分の店だった。地下にある為目立ちにくいが、駅からほど近く立地には問題ない。小さい、夢の店。 しかし今年に入って、突然ゼフが倒れた。 軽い疲労と検査入院で済んだものの、サンジは夕方から夜にかけてのディナー時は実家のレストランを手伝うことにした。 最初は店を畳んで実家に戻ろうとしたが、半端な真似するなとどやされることは目に見えてわかっていた。なので自分の店の時間を、昼間から夜間に変更したのだ。 週末には二次会上がりのサラリーマンなどの客足を捕まえられるし、そんなにウェイトのかかる料理を仕込む必要がなくて楽な分、1品ずつ丁寧に煮込んで味付けをする小鉢のメニューを考えるのはレストランとはまた違って新鮮で面白い。それはそれでいい結果になった。 最近では夜型の生活にも慣れていた、のに。 「……ふー」 サンジは重い腰を上げると、トントンと腰骨のくぼみを叩いた。じじくさいと言われても仕方ないが、だるい。 数日前手加減なしに無体を強いられた余波が、未だにサンジの体に深く残っているのだ。うたた寝なんてしたのもそのせいだ。 サンジは店の中を見回して、小さく溜息をついた。 嵐のような出来事が起きた、あの日。 あれから我に返ってもゾロを蹴り飛ばすだけの力もなく。 ソファにへたりこんだまま後片付けだけはゾロにやらせたものの、割れた食器は多数、箸も数本折れ、ソファにはざっくり穴が開いてしまっていた。 そういえばなんで客が来ないんだと気付いて表を見に行った明け方、看板に残ったふざけた走り書き。癖のある字にしてやられたことに気付いてももう遅い。 それでも食えないあの常連の親父には、感謝するべき…なのだろう。 ガチャリ、突然開店前の店の扉が開いた。青い作業着姿の男がサンジに向かって会釈する。 「すんません、ソファの配達なんですが『ALL BLUE』さんで?」 「ああ、連絡受けてます、お願いします」 シャンクスが誕生日プレゼントのアフターケアに送っといた、と店に電話してきたのは昨日のこと。 一体どこまで事の成り行きを知っているのか聞きたくもないが、やっぱり今度一度お礼くらいした方がいいだろう。 「それじゃ設置しますんで、どこに置きましょう?」 「えーと、そのテーブルの前に」 二人がかりで運ばれたソファが店の中に下ろされる。一人が梱包を解きはじめ、サンジは折角だから小鉢と飲み物くらいサービスしようかとカウンターに向かった。 「ところで前のソファは持ってってくれるの…か………ッ!!?」 ふと顔を上げた先、梱包材を剥いて現れたド派手なピンク色にサンジは手に持っていた皿を取り落とした。 背もたれ部分はピンクと赤と白のピラピラした重厚なレースが幾重にも折り重なり、そしてあろうことか上部はハートのラインで綺麗に形づくられている。 「ちょッ…待て待て待て!!!」 「はい、何か」 「何かじゃねぇよ、なんだそりゃ!本当にそれが品物か!?」 「はぁ、シャンクス様からご注文戴いております。えー、ラブソファ〜ハートフル・ドーリームエディション〜お色はピン…」 「いやいやいや名前なんて聞きたくねぇよ!なんでもいいからとっとと仕舞え!送り返せ――ッ!!」 罪なき業者をうっかり蹴り飛ばしてしまうところで、開けっ放しだった入り口からひょこりと誰かが顔を出した。 「騒がしいな、何やってんだ」 春コートに背広姿。鞄を片手に持ったゾロだ。あれから毎日、会社帰りにはここに立ち寄るようになっていた。 「お、なんだその椅子、テメェ随分可愛い趣味になったな」 年月は人を変えるなぁ、なんてしみじみしそうなゾロに向かってサンジは木製のお椀を投げつけた。 「ばっか野郎!俺の趣味なわけあるか!あのエロオヤジの趣味だよ!」 「いやそんな、困りま…」 「いいからそれ持ってとっとと帰れー!」 真っ赤な顔で憤慨するサンジに、業者はぐいぐいソファごと入り口に押しやられる。ソファを抱えた業者に押されるようにゾロも外に押しやられる。 狭い道なので、ソファが出ないことにはゾロは店に入れないのだ。 仕方なくゾロはソファを運び出すのを手伝って地上に出ると、梱包の解けかかったピンク色の物体を前に途方に暮れている業者の肩を叩いた。 「悪いな、アイツはあんなんだからこのソファ、ここじゃなくてこっちに運んでもらえるか」 業者の伝票に、ゾロはささっと自宅のアパートの住所を書き込んで、ついでにサンジの代わりに受領印にサインをした。 ニマ、と笑ったその表情には、幸い業者は気付かなかった。 ゾロが翌日休みの日は大変だ。なにがって、サンジの体がである。 「こ、このソファですんの……あ、ぁう、ヤめろ…よぅ…ッ」 「……わかった」 下からの突き上げに必死で言えば、ゾロの目が真剣に返される。 上から下まで余すことなく自分を見下ろす獣のような目に、サンジは赤く染まった目元を閉じた。 店を閉じると同時に襲いかかられなしくずしに許してしまう自分も悪いのだが、どうしたってサンジも嬉しいのだから、仕方ない。 けれど開店中、酔いつぶれた客の目を盗んでトイレに引きずりこまれては濃厚なキスをかまされたり、色んなとこを弄くられたり…とにかく休む暇がなくて疲労困ぱいなのも事実だ。 「ぅ…また穴でも開けやがったら、今度はテメェのチンコに箸ぶっさしてやるからな…ッ」 「…じゃあ今度俺の家に来いよ。最近いいソファが手に入ったんだ」 「ん、ぅ……ッ」 激しさを増す動きに、揺すられてるのか頷いたのかわからないまま太い首にしがみつけば、ゾロが笑う。 「それからな…テメェ、俺が出すのを見てから出す癖も…やめろ」 「……」 「ジャンケンじゃ、ねぇんだから…っ」 ん?と動きが止まったゾロの目を覗き込めば、つい、と目を逸らされた。 ……チキショウやっぱり確信犯か。 「返事は?」 「……おう」 渋々頷いたゾロに、サンジはぷっと吹き出した。 そしてぎゅうぎゅうと首にしがみ付く。 ああもう本当に、どうしようもない。 今も昔も。 俺はこの正直なアホが――好きなんだから。 オマケ 〜 結局やっぱりあの人は 〜 後日、シャンクスが手に大きな包みを抱えて店にやってきた。 「ソファのお詫びだよう〜」 言ってる口調は全然悪びれてない。 「今度はなんだ」 冷たい目で見ながらも受け取ったピンク色のビニールパックを叩けば、コツリと固いプラスチックのような感触。 ご丁寧にリボンがかけられていて、随分かさばっている。 「ウチでも愛用してる椅子なんだけどぉ〜」 しゅるしゅると包装を解けば、現れたのは真っ赤な色をした椅子だった。 風呂場で使う、背丈の低いあの椅子だ。 しかし普通の椅子ではない。座るべき部分に、不自然な穴が空いている。 サンジは真っ赤な顔でふるふると震えた。 「ど?それでゾロっちとラブラブおっけー?」 「……おっけぇじゃねええええ!帰れーーーッ!」 手に持っていた椅子を思い切り投げ返せば、きゃーっと嬉しそうな悲鳴をあげてシャンクスが逃げる。 こっそりシャンクスからそれを受け取ろうとしたゾロも、今度こそ見つかって一緒に店の外に蹴り出されたのだった。 |