君をつないで。 2
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 瓦礫の中、まだ灰と焦げる匂いが立ち込める焼け跡に座ってゾロはまんじりともせず一夜を明かした。
 いつも人足が絶える事のなかったレストランの正面玄関。裏に厨房に通じる通用口があって、通い慣れたサンジの部屋は、そこから階段を上がってすぐ右手にあった。
 火の手が上がったのはその厨房で、一昨日の深夜のこと。レストランの不始末より、放火の疑いの方が強いらしいと聞いた。
 
 深夜だ。
 ゾロは立てていた膝の上に組んでいた手を、ぎゅっと握った。
 舐めるように壁を伝い、火が二階の住居に回る。その間もベッドに安心して眠っていただろうサンジ。
 幾度目かの想像を打ち払って、ゾロは小さくうめいた。
 
 
 うっすらと朝日が射し始め、焼け焦げた黒い地面を照らしだす。
 と、聞きなれた声が聞こえた気がした。 
 ハッと顔を上げ、ゾロは道路に飛び出した。
 
 
 そこにあったのは昨日と同じように、電柱にしがみ付いて足下にへばりつく黒尽くめの男を引き剥がそうと奮闘しているサンジの姿。
 
 呆然と、どこかぼんやりする頭でその姿を前に立ち尽くしていたゾロは、サンジの手が電柱から離れて体勢を崩したところで我に返った。
 黒い男に足首を取られ引きずられかけたサンジの、宙に伸ばされた白いその手を掴み、引き寄せる。
 振り返った青い目が驚いたようにゾロを映した。
 ひんやりとした感触。それでも触れる確かな手ごたえに、ゾロは胸の奥でくすぶっていた熱が再び激しく脈打つのを感じた。
 ぎゅうっと力を込めてサンジを引っ張りあげると、その腕に抱きとめる。
 それでもしつこくサンジの足に取りすがる黒い男を、本来ならサンジ十八番である踵落としで沈めてそのまま通りの向こうまで蹴り飛ばした。
 男はアスファルトの上をゴロゴロ転がって、向かいの家の塀にぶつかった途端ザァっと砂が零れるように霧散した。
 
「………っ」
 はぁはぁと柄にもなく息が上がっている。
 まるで子供のように、ゾロは手の中の存在を強く抱きしめた。
 
「わ、ワリィ、なんか脚に力入らねぇんだ」
 動揺が伝わったのか、腕の中のサンジが少し震えるような声で告げた。
 確かにいつもなら、あの程度の男サンジの相手にもならない。
 ゾロは気持ちを落ち着けるように一つ大きな息を吐くと、腕の中のサンジを確かめた。
 昨日と同じ服装であること以外、なんら変わりのない、確かにサンジだ。
 
「てめぇ……何でここにいる」
 他にも色々言いたいことはあったのに、結局どれ一つ言葉にならなかった。
 唸るようなゾロの問いに、サンジはくるっと巻いた眉を小さく下げた。
 
「それが、わかんねぇ…ただ、なんとなく、家を見たくて…」
 気付いたらここにいたんだ、とサンジはぽつりと零した。
 そして困ったようにへらっと笑う。
 
「家、なかったけど……」
 その答えに、どうやらサンジ自身に火事の記憶はないらしいとわかる。
 ゾロはうなだれるサンジの体を離すと、その手をぎゅっと握った。
 昨日と同じ、少しひやりとする肌。指の腹でそっとなぞれば、小さくサンジが身じろぎした。
 ゾロと同じ大きな男の手だ。けれど剣だこのあるゴツゴツしたゾロの手に収まると、それはとても細く頼りなく感じる。
「…とにかく、テメェはこんな所にいるんじゃねぇ」
 ぐいと引っ張ると、サンジは慌てたようにその手を反対に引っ張った。
「ばっ…なにしやがる!朝っぱらから野郎二人で手ぇ繋ぐなんて」
「うるせぇ!」
 見当違いなところでごちゃごちゃと騒ぐサンジを、ぐいぐいと力技で引き寄せてゾロは歩き始めた。  
 引きずるように前を歩くゾロに、しばらくはぎゃーぎゃー暴れて文句を言っていたサンジだが、やがて諦めたのか繋いだ手の先が大人しくなった。
 
 段々朝の通勤の人が増え始めた街中を、手を繋いで歩く。
 いつも煩いぐらい騒ぐサンジも、ただ黙ってついてくる。
 その静かさが逆に少しだけ不安になって、ゾロはサンジの手を強く握りなおした。
 
「……ッ」
 と、突然背後で息を呑むような気配がして、繋いだ手の先が重くなった。
「?どうし…」
 振り返ったゾロを、どこか焦ったように揺れる青い目が見つめ返す。
「な、なんだ…これ……」
 ぎゅうっとサンジがゾロの手を握り返す。落とされた視線の先を追って、ゾロは顔色を変えた。
 
 サンジのスニーカーを履いた足首を、地面から生えた黒い腕が二本、絡め取っていた。
 慌てて踏みつけるようにしてその腕を蹴り払うと、身動きできるようになったサンジを引き寄せる。
「うわ、キモ…」
 青ざめたサンジを庇うように、くったりと地面に転がった腕を睨みつける。
 腕はそのまま先ほどの男のように、ざぁっと砂が散るように掻き消えた。
 
 
 
 お互い無言で、今度ちゃんと肩を並べて歩いた。その手はしっかり繋いだまま。
 もうその手を離そうとは、サンジも言い出さなかった。
 
「なぁ、どこ連れていく気なんだよ」
 幾度目かの角で、さてどっちだったかときょろきょろしていると、溜息ながらにサンジが口を開いた。
「あー夏によく行くすぐ隣町のプールあるじゃねえか。あそこのそば」
「ばっかテメェ、方向違うじゃねぇか!」
 繋いだ手を引き寄せられてバランスを崩したところ、サンジの蹴りがパンッと尻に入った。
「……のヤロウ!」
 てめぇ住み慣れた町で迷子になるの恥かしいからヤメロよ!とゲラゲラ笑うサンジを追いかけて、ゾロも走り出した。
 
 
 
 
 
 途中コンビニに寄って、おにぎりを数個買った。忘れていたが、ゾロは昨日の夜からなんにも食べていなかったのだ。
 サラダも食えとサンジが隣で煩いので、素直にそれもレジに持っていった。
 サンジ自身は食欲がないらしい。
 食べたくないと首を振るその姿が店のガラスに映っていないことに、ゾロは気付かないふりをした。
 
 コンビニ脇の駐車場の車止めに座り、休憩しがてらおにぎりを食べる。
「タバコ吸いてぇな〜」
 ゾロの制服のズボンの端を握りながら、真っ青な空をぼんやり見ていたサンジが呟いた。
 気を抜くとサンジの脚はすぐに得体の知れない影に捕まってしまうので、手を離さねばならない時はゾロの服を握らせることにしたのだ。
 野郎の服に掴まったって面白くもなんともねぇ、と文句を言いつつも大人しく服の端っこを握り締めた姿が、無性にアホっぽくてそして何故かほっとした。
 
「テメェ学校行かなくていいのかよ」
 今更なことをサンジが言う。
「学校より大事なことだってあんだよ」
「んだそれ、どこのセンセーの言葉だよ」
 ひひ、とそれでもどこか嬉しそうに笑うサンジを端目に、ぐびっとペットボトルを飲み干すとゾロはその手を取った。
「うし、行くか」
「おう」
 ほんのり冷たいサンジの手。
 けれどこうして手を繋げばすぐに、ゾロの体温とひとつになるのだ。
 
 ゾロはその手を強くにぎった。
 離さぬように。
 





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07.05.27