君をつないで。 1 |
高校からの帰り道、ゾロは小さく溜息をつきながら地元の商店街を歩いていた。 いつもよりずっと早くに部活を切り上げたので、暮れかけた空の下小さな駅前の通りは主婦や帰宅途中のサラリーマンで賑わっている。 けれどそのエネルギッシュで明るいざわめきが、今の自分にはとても遠い。 ひとごみの間をぼんやりと、どこか宙を踏みしめるように実感のない足取りでゾロはふらふらと歩いていた。 普段なら暗くなるまで打ち込んでいるはずの剣道。けれど師に、今日は心の乱れが剣先にまで出ているからもう帰りなさいと、やんわりと諭されてしまった。 いつも穏やかな師が、丸めがねの奥の目を悲しげに細めてゾロの肩を叩いた。 その時になって初めて、自分が手の平が白くなるまで力を込めて竹刀を握り締めていたのに気が付いた。 落ち着いてなんか、いられるはずがない。 普段何事にも動じない、いい意味で肝が据わった、悪い意味で表情すら変えないと校内で評判の自分が。 師に見抜かれたことよりも、今も尚、自分がこれほどまでに動揺していることがゾロにとっては衝撃だった。 どうしてもっと早く、気付かなかったのか。 名前も形もつけることもなく育ててきてしまった自分の感情に、そんな苛立ちをぶつける。 今になって初めて気付くなんて、本当にどうしようもない。 後悔と苛立ちと不安と。そんなものがない混ぜになってゾロの心を焦らせる。 今自分が何をできるわけでもないのに、それでも何かしなくては―――。 強くなりたいと唇を噛み締めながら誓って泣いた、まるであの時のようだ。 昇華できないこの気持ちが、今も尚出口を求めて胸を掻き毟る。 駅前を通りすぎていくつ目かの角を曲がりながら、俯いたままぎゅうと拳を握り締めたゾロの耳に、ふと聞きなれた騒ぎ声が聞こえた。 のろのろと目線を上げた先、住宅地の真中、道端の電柱のところで何やら揉めあっている二人組がいる。 その一人を見た瞬間、ゾロは目を見開いた。 ぎゃーぎゃーと喚いているのは金髪の男。 その脚に縋るように、春だというのに頭から爪先まで真っ黒な布をすっぽり被った怪しげな男がぶらさがっている。 「…あの…アホ……!」 呆然と歩みを止めていたゾロは、ぎゅうっと拳を握り締めた。ふるふるとその拳が震える。 だってまさに今そこに、いるのだ。 ゾロの心をこんなにも揺さぶって止まない、この感情の根源が。 原因をもたらした男が。 めらっとゾロの腹の奥の方で怒りが燃えあがる。 ギリっと奥歯を噛み締め、ふーっと荒々しい息を鼻から吐きながら、ゾロは不穏なオーラを隠しもせずのっしのっしと男たちに近づいた。 近寄るゾロの姿に気付いた金髪が、ふっとこちらを振り向いた。 「あ、ゾロ」 なんて、のほほんとした声で口調で自分を呼ぶ馴染んだ声。 けれど口調をは裏腹にその表情はあからさまにほっとした様に緩んでいて。 そんなものを見たら益々胸の奥がぎゅうっとなって、ゾロは握った拳を高々と振り上げた。 「……ッにやってやがるんだテメェ、こんな所で!!」 ゴッと鈍い音とともに、黒尽くめの男が吹っ飛んだ。 渾身の力を込めた左ストレートを顔面から受けて、男は遥か遠くに転がっていく。それを目の端で見送ってゾロは目の前の電柱に上半身縋りついたままの間抜けな格好の男を見下ろした。 男の名前は、サンジ。 同じ高校に通う、多分ポジション的には幼馴染で親友に当たるであろう、その男。 脚で先ほどの男を引き剥がそうとしていたサンジは、半端に片脚を振り上げたままびっくりしたようにその青い目玉を見開いてゾロを見上げている。 学ラン姿のゾロに対し、サンジはGパンに長袖シャツ一枚だ。 収まらない衝動を堪えて、ゾロはふーっと一つ鼻息を吐くとまだ力の入ったままの拳をのろのろと下ろした。 「さ…さんきゅ…」 小さく照れたように呟いて、サンジは立ち上がって乱れた髪と服を整えた。 「いやー何かしらねぇけど、しつこいヤツでさぁ。陽気がいいとああいうヤツが増えて困るぜ」 言いながら、ゾロに比べて線の細いその体がふうっと後ろによろめく。 「…おい!」 慌ててその手を掴んで引き寄せれば、いつにも増してひやりとした肌の感触にゾロは小さく眉をひそめた。 勢いのまますっぽり収まったゾロの腕の中。 野郎と抱き合う趣味はねぇ!といつもならばすぐに突き飛ばすであろうサンジが、そのままの体勢で珍しく弱気な声を出した。 「なぁ…ゾロ」 突き放すタイミングもないまま、ゾロはそのままサンジの背に腕を回した。 「……なんで俺んち、ないの?」 ゾロは黙って、サンジを抱く手に力を込めた。 サンジもゾロの学ランを、ぎゅうと握り締める。 サンジの肩越しに見える通りの向こう側。 黒く焼け焦げ半壊した二階建ての建物は、一昨日までこの町で指折りの人気レストランだった。 サンジの、家。 夕暮れに沈みかける町並の中に、今は黒い瓦礫がそびえ立っている。 「……!?」 すうっと、抱いていたサンジの体が軽くなってゾロは目線を慌てて戻した。 サンジの体が、まるで空気に溶けるように透けている。 ゾロの心臓が、途端嫌な感じに鳴り始めた。 「おい、何してるテメェ…!ダメだッ!!」 慌てて抱く腕に力を込めるも、サンジは見る見る薄くなる。 焦るゾロの様子に、青い目が小さく笑った。ような気がした。 「……ッ!」 それを最後に、ふっとサンジの体は消え。 後には暮れた道端で、ゾロが一人立ち尽くすのみ。 肩から滑り落ちた竹刀が、足下で小さく音を立てた。 |
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