あしたをちかって ------------------------------------------------------------------------------- |
キゥン、と体の奥で何かが目を覚ます。 瞼の裏を揺らす暖かい日の気配に、サンジはゆっくりと目を開けた。 砂に塗れて、ぱりぱりと乾燥したまつ毛が音をたてる。 ……あれ。 意識を戻してすぐ目に入った光景に、感じたのは小さな違和感。 自分のスリープモードが解除されたという事は、今の時間は朝のはずだ。 サンジの中で正確に時を刻むタイマーが、起動時間を間違えるはずがない。 いつもサンジが起きゾロが眠りにつく直前、空は最後の星がまだ薄っすらと光りを残すほどに薄暗い。 けれど今目に入ってきた空は水色で、日の光りが辺りに満ちている。 星はもう姿を見せておらず、荒涼とした砂漠が頬を撫でる乾いた風に煽られているだけだ。 「マリモ……?」 見慣れた緑頭を探そうとしたところで、サンジは自分の体が動かないことに気が付いた。 力を込めれば僅かに、ギッと軋んだ指先と首が動くのみ。 「………」 サンジは力を抜くと、ことんと首を預けた。 フードの向こうにぶつかる硬いボディの感触に、ああゾロだったのかと気付く。 電源が落ちて、少しの音もしない無機質な体。 サンジはぼんやりとその硬い体に身を預けて、眩しい空を眺めた。 ついにこの日が来たのかと、漠然と思う。 最近起動が重くなってきたのは感じていたが、自分はどうやらここまでらしい。 近い未来にいつか、こんな日が来るのはわかっていた。 「………」 二人で歩いて来た道。 顔を合わせるのはいつも短い時間でしかなかったが、それでもどつき合って、笑い合って、一緒にいるのが当たり前だった。 その道を、明日からはゾロが一人で進んでいく。 死ぬ、という感覚はないし、悲しくもないけれど。 この体の真中にポカンと穴が空いたような感覚はなんだろう。 サンジはすることもなく、ただ青い空を眺めた。 (……しかしあの迷子野郎だけで進めるのか?) 朝になって真逆に進んでいた時には流石にサンジも驚いた。 その時の不貞腐れたゾロの顔を思い出して、小さく笑う。 それでもゾロはきっと、真っ直ぐ進むだろう。 間違えたってかまわない。 重い鉄の塊になった自分を置いて、真っ直ぐに、真っ直ぐに。 どこまでも進んでくれればいい。 強くしっかりした足取りで進むその姿を思い描けばなぜか嬉しくなって、サンジは幸せな気持ちで目を閉じた。 次に目覚めた時、予想に反してすぐ横にあったゾロの顔にサンジは驚いた。 体内の時間が狂っているせいで、眠ってからまだ日付が変わっていないのかとも思ったが、よく見れば前回とは体勢も周りの景色も違う。 サンジの体は布に包まれ、眠るゾロの腕の中に抱きしめられていた。 (…置いて、行かなかったのか) それともサンジが動けないことをわかっていないのか。 明るい日の下、風に流れる緑色。 閉じられた瞼。 真っ直ぐに通った鼻梁。 サンジはそれらを静かに眺めて、やがて誘われるように自分も眠りについた。 置いていけばいいのにと、思う。 けれど毎日毎日、目覚めればいつも、ゾロはサンジを抱きしめている。 その腕の中に閉じ込めて、膝に乗せて、向かい合わせに動かないこの体を優しく閉じ込めて眠っている。 ふと、向かい合わせになったゾロの肩ごし、視界の中に何かが映った。 「文字…?」 ゾロが背もたれにしている、崩れかけた廃屋の壁。 そこに刻まれた印に、サンジは目を見開いた。 見開いた目の奥が、じわりと熱くなる。 自分たちには涙なんてものはない。 けれど、この感情は知っている。 熱い何かが目の端から溢れ頬を伝っていく感覚。 脳内に刻まれた、記憶の断片。 サンジは目をしっかり開けたまま、その文字を読んだ。 サンジをそっと抱いて眠る、この男の字。 不器用だけれど、優しいこの男の想いが、サンジの中にどんどん溢れてくる。 「……ゾロ…」 小さな声で、サンジは呼んだ。 動かない体で、ゾロの肩口に小さく頭を擦り付けて、何度も何度も名前を呼んだ。 浅黒く砂で汚れたゾロの顔。 閉じた目。 この目が光を宿し、自分を映すところをもう一度見たいと、無性に思った。 明け方の、紺と紫と緋色が入り混じる空の下で、またお互いだけを映せたら。 サンジは動かない腕の代わりに目を伏せて、ゾロの言葉を胸に抱きしめた。 大きく息を吸い込む。 自分たちは人間ではないので、夢を見ることはない。 それでも。 少しでもその眠りが安らかなものでありますように。 少しでも自分の言葉が、ゾロの元に返るように。 サンジはゆっくりと歌い出した。 あけないよるはないって だれもがしんじてる でもね しずまないひはないって わたしはしっている ねぇ だからあしたをうたって あなたのこえで わたしのみみもとで あしたをちかって まぶしいひのしたで せかいがまっしろにやけていく そのときがくるまで あしたを、うたって―――…… うっすらと目を開ければ、光に揺れる緑色。 きらきら眩しいその光景を見つめながら、サンジは幸せの形に唇を緩ませて、いつまでも歌い続けた。 * * * 「……ぃ、…おい…!」 ハッとサンジは青い目を見開いた。 幾筋もの涙が頬を伝って耳元の枕を濡らしている。 彷徨わせた視線を掴むように、ゾロがサンジを真上から覗き込んだ。 「……ゾ、ろ……」 まだ記憶が混濁している頭でゆるゆると辺りを見回せば、白い壁に並ぶ無機質な機材たち。 「研究室―――」 「そうだ、戻ってきたんだ」 ゾロの目が、しっかりとサンジを捕まえる。 様々な星の調査に送り出した、ゾロとサンジの人格をコピーした機械たち。 それらの記憶全てをもう一度オリジナルである自分たちに取り込む作業をしている最中だった、のだ。 「……ぞろ」 ゆるゆると手を伸ばす。 その指先を掴んで、ゾロはサンジをベッドから引き起こすとその腕に抱きしめた。 ぶつかる胸板は、温かい。 トクトクと脈打つその体に、サンジは小さく頭を擦りつけた。 記憶の中にまだ鮮やかな、彼の感情が再び胸を突いて頬を濡らす。 役目を終えた彼らの体は、もう動かない。 けれどその生きた証は、こうしてまた、お互いの中で生き継がれていく。 ゾロの手が何も言わずに、そっとサンジの頭を撫でた。 ゾロの中に入った彼は、何を想っていたのだろうか。 動かない自分を抱いて、ひたすら荒野を目指した彼は。 目の前に揺れる緑色。 サンジは小さく笑って、そしてそっと唇を開いた。 サンジが好きだった、故郷の古いメロディー。 零れるその言葉に、想いを乗せて。 |