あしたをうたって 2 ------------------------------------------------------------------------------- |
一晩歩き、サンジへの矢印を書き残して眠り、再び自分の描いたその印を頼りに砂漠を渡る。 いつしかゾロの生活リズムはそんな単調なものになっていった。 もしかしたら目は覚めていても、ゾロを抱えて運ぶだけの動力がないのかもしれない。そう考えてからは、起きたサンジの目にすぐ入るような低い位置に印を書き残した。 書き添えるのはいつも、知りうる限りの悪態。 それから、溢れてくる言葉たち。 ゾロとて文字の形を見るまで知らなかった優しい言葉の数々を、腕が動くままそこに書き連ねた。 日光を浴びないことにはどちらも充電ができないので、風の入らない建物の中でしのぐことはできないが、砂にサンジの白い肌が少しでも削られないようにゾロはフードでサンジの顔を覆い、外敵から守るように両膝と両腕の中に抱えて眠った。 そういえば雨というものは降ったことがない。乾いた大地に水というものの存在も見たことはなかった。 そしていつの頃からか。 ゾロは眠りに落ちる前には必ず、サンジの伏せられた瞼を、白い頬をゆっくりなぞり、温度はないけど柔らかいその唇に自らのそれを重ねていた。 繰り返す儀式のようなその行為の意味を、ゾロは知らない。 行う理由も解らない。 しかしそれをするとモーターやケーブルしか詰まっていない胸の奥のほうが、どこかゆっくりと暖かく回り出し、ゾロはひどく安らかな気持ちで眠りに入ることができたのだ。 あれからいくつ夜を越えたのだろうか。 夕陽とともに起動し、朝焼けとともに眠る。サンジの体を背負い、乾いた大地と星空を眺めて歩きながら、ゾロはよくサンジの目の色を思い出していた。 夜空の濃紺とも、日の差し始めた空の薄くくすんだ青とも違う。 あの深い青。 (海って…言ったか) 見たことはない、けれど頭に登録されている知識として照合できるその場所。その色なら少しはサンジの瞳の色と似ているだろうか。 この光の終わり、目的地に辿り付いたその後は海なる場所を目指してみよう。 漠然とそう決めてゾロは砂を踏みしめた。 西日がオレンジやピンクや紫色の空と混じり合って瞼の裏を焼くあの時間、毎日ゾロの耳に聞こえるものがあった。 歌声。 記憶にはないけれど体が覚えてる、そんな歌だとサンジが笑っていたあの歌だった。 そうして終わりなく続く大地と星の海の先に。 ゾロはようやく辿り付いた。 *** 岩場の上に建つその建物は青白く発光しており、ガラスと鉄骨で出来た透明な球体の形をしていた。 この世界で初めて目にする、壊れていない建造物。 夜空にどこまでも伸びていた白い光は、確かにこの球体の上に突き出たアンテナのような部分に受け止められて途切れていた。 そこから先の夜空は濃紺一色で、ただ星が瞬いているだけだ。 ゾロは静かにそれを確認すると、岩場を登り始めた。 近づいてみればみるほどそれはとても大きな建物で、ゾロの背丈の何十倍もある高さの球体だった。 辺りは剥き出しの岩肌で、この建物だけが不自然に地上に乗っかっているといった雰囲気だ。 太い鉄骨に囲われたガラスの中は日の光のように明るく、そして緑色の目にした事のない植物が生い茂っているのが見えた。 ゾロは岩場を登りきってその建物を振り仰いだ。天井付近は湾曲した壁に阻まれて既に見えない。そっとそのガラスに手を触れてみたが、特に反応はない。 今度は軽く叩いてみた。振動は欠片も伝わらないので、それが相当に分厚い素材だということがわかる。ゾロはそのまま入り口を探して壁伝いに歩き始めた。 円を半分周ったあたりで、ゾロはぴたりと足を止めた。 球体の壁にもたれかかるようにして立っている、一人の姿があった。真っ白ローブのような服を着てフードを目深にかぶったその人型は、ゾロの姿を認めると手にしていた煙をたなびかせているものを口元から外すと、地面に放り投げて靴底でもみ消した。 「随分遅かったじゃねぇか」 男の声だった。 この大地で自分たちの他に、初めて出合った動くもの。ゾロが呆けたように立っていると、その人型はじろじろとゾロの頭からつま先までを眺めて呆れたように言い放った。 「これまた満身創痍っていうか…汚ねぇな」 長旅でいつしかマントはぼろぼろで、肌は砂で所々傷がついている。担いでいるサンジの体を包んでいる布も色褪せて、あちこちが破れていた。 「俺は……」 ここへ来たのは、光の終わりを確かめに、サンジと決めた約束が。 上手く説明できずに口篭もるゾロに、人型はみなまで言うなというように軽く手を振った。 「あーいい、いい、わかってるから」 とりあえずこっちへ来い、と男はそのままガラスの壁をコツコツと叩いた。 シュウっと空気の抜けるような音がして、目の前の壁にぽかりと穴が開く。男が中に入るのに続いて、ゾロもその光の中に体を滑り込ませた。 空気の密度が濃い。 これが密生する植物と湿度のせいだというのは、何となく体が理解していた。 鉄骨の足場が、連立して伸びる様々な植物の間を縫うように伸びている。普通の樹木から熱帯の大きなヤシ木のようなもの、色鮮やかな果樹のなるものまでとにかくたくさんの植物が生えていて、その呼吸でドームの中は満ちていた。 乾いた砂漠の中にあるとは思えない光景。 男の後をついて歩きながら振り仰げば、それらの葉の間から、球体のガラスの天井と広がる星空、そこに続く細い光がかすかに見えた。 男は植物の林を突っ切ると、小さな部屋に入っていった。そこは正面の壁に机が一つと壁に作りつけられた棚があり、その上には大小さまざまな機械が乱雑に積み重なっている。 男はそこで小さな椅子を引き寄せて座ると、ゾロを振り返った。 「ところで、テメェ一人か?」 「いや……」 ゾロはそこまで言って、言葉を呑んだ。 目の前の男がフードを取ったのだ。 そこからさらりと流れた金髪。白い肌。そして……深くて青い、その瞳。 「サン、ジ……」 目を見開いて呟くゾロに、男は苦笑した。 「そうそう、俺みたいなの、いたんじゃねぇ?その抱えてるのがそうか?」 ゾロは信じられないというようにしばらく男の顔を見つめた後、背負っていた体をそっと床に下ろした。 幾重にも厳重に巻いた布を、ゆっくりと解いていく。 現れたのは、やはり目の前の男と同じ白い顔。しかしその瞳は固く閉ざされている。 ゾロはサンジを布から抱き上げると、目の前の男を見つめた。 「……起きねぇんだ。いつも俺よりきっちり目ぇ覚ましてたのに」 「…見せてみな」 男は机の上に転がっていたいくつかの工具を手にとると、ゾロにサンジを引き渡すように指示した。 ゾロは大人しく布から出したサンジの体を、そのサンジそっくりの男に渡そうと腕を伸ばした。 しかし。 「……?」 渡すはずが何故か逆にサンジの頭を腕の中に抱き込んでいて、ゾロは無表情のまま目を瞬かせた。 サンジの体を離そうと頭では思うのに、その度に手のモーターは軋みを上げてますますサンジを抱き寄せる。まるで取り上げられまいとする子供のような行動だが、ゾロとしては頭と体のかけ離れた行動にとまどうばかりだ。 (そうか、自分もどこか壊れてきたのかもしれねぇ) なんとなくそう思って納得し、ぎゅうぎゅうサンジの体を抱きしめていると、それを見ていた男の頬が何故か赤染まった。 「ったく……てめぇらはどうして揃いも揃って」 ぶつぶつ何やらつぶやくと、諦めたように大きく息を吐いた。 「あーもう、取りゃしねぇよ!抱えたままでもいーから、そのままそいつひっくり返してコッチに背を向けさせろ」 ゾロは床にあぐらを組んで座ると、向かい合わせにサンジを抱き込んで男に見せた。 片手を腰に、もうひとつの手でやわらなか金髪をゆっくり撫でて、肩口にもたれかけさせる。 男はゾロを見て耳まで朱に染めながら「後であの野郎もっぺんシメてやる」など意味不明なことをつぶやき、慣れた手つきでサンジの背、首の下あたりの皮膚を開けてそこからいくつかコードを引っ張り出した。 「あーこりゃぁ砂だなぁ…やっぱ。でもまぁこのタイプのチップ、まだ予備パーツあったしな」 真剣な顔であちこちを点検してサンジを見ているその男の瞳は、確かにサンジと良く似ていた。 しかし。 乾いた砂漠、星空の下、いつでもゾロの瞼の裏に染み渡っていた、青。 忘れられない、輝き。 自分にとってのサンジは、やはりこの手の中のサンジだけだと、何故か無償に感じた。 ぎゅうと、まだ冷たいサンジの体を強く抱きしめる。 その行動に、男の目がやんわりと細められた。 「大丈夫だ…だからあんまり力入れて抱きしめすぎるなよ。テメェと違ってコッチはデリケートなんだっつうの」 「……頼む」 サンジによく似たその目を見ながら、ゾロは男に向かってそれだけを言うと、そっと手の力を抜いた。 そして、ゆっくりと明けて行く夜の気配に静かに目を閉じた。 ぎっしり夜の闇に縫いとめられていた星のカーテンが、淡い朝日に溶けるように消て行く。 書き残す矢印はもうない。 あとはこれからまた2人で歩き出す、新しい目印を。 その笑った青い目で、細く白い指先で真っ直ぐ指し示せ。 (でないと俺ぁ……また別の方向に歩いてっちまうだろうが) ゾロはかすかに笑って、腕の中の金髪に唇を落とした。 歌が、聞こえた。 耳の奥で、やわらかく包み込むように響く声。 首筋に回される腕の感触に目を開けて。 そしてゾロは、そこに広がる金色の光を抱きしめ返した。 |
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