あしたをうたって 1
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 明けない夜はないって
 誰もが信じてる
 でもね
 沈まない陽はないって
 わたしは知っている
 
 ねぇ
 だからあしたをうたって
 あなたの声で
 わたしの耳元で
 あしたをちかって
 
 まぶしい日の下で
 世界が真っ白に焼けていく
 その時が来るまで
 あしたをうたって
 
 
 テノールの優しい歌声が耳をくすぐる。
 うっすらと覚醒する意識を、ゾロはその優しいリズムにたゆたうのに任せた。
 
 「ゾロ」
 
 その声の主が歌うのを止めて、そっと名を呼んだ。
 ゆらゆらと瞼の奥に光が舞うような、優しい音だ。目を開けてこの時間が終わってしまうのがもったいないような気がして、ゾロはもうしばらく寝たふりを決め込もうと大きく息を吐いた。
 しかしその途端に
「いい加減に起きやがれこんの腐れハラマキがッ!!」
 声とともにゴッと風を切る音がしたかと思うと、ドゴォッ!っと腹に鈍い衝撃が落ちてゾロは閉じていた目をぱっと開いた。
 オレンジと紫がまだらに染まる夕焼けをバックに、一人の男が立ってゾロを見下ろしていた。
 夕陽を浴びてきらきらとその金髪が光を放つ。西日の中で輝くその姿が眩しくて、ゾロは開けた瞼を細くすがめた。
「何しやがるクソマユゲ……」
 黒いスーツの上に砂塵避けのフード付きマントを羽織っていた金髪――名前をサンジと言う――は、ゾロの腹の上からひょいと片足をどけるとやれやれと肩をすくめた。
「もう交代の時間だっての。てめぇのタイマーは絶対にぶっ壊れてやがるな」
 華奢なその体から繰り出される凶悪な蹴りでいつかほんとに壊されるんじゃないかと思いつつ、ゾロはごきりと肩を鳴らして伸びをすると寝転がっていた砂の上からむくりと起き上がった。
 夕闇を押して、しだいに紺色の夜空に星が瞬きはじめている。肌に冷たい風が、さぁっと砂と一緒にサンジの細い金色の髪を巻きあげた。
「そうだこれ」
 サンジがスーツのポケットからごそごそと何かを取り出してゾロに握らせた。透明な容器の中にはどろりと濁った液体。
「……なんだこりゃ」
「珍しく形の残る機械があったからさ、開けたら抽出できた。関節に注しとくといいカンジだぜ」
「ふうん」
 ゾロはそれを受け取るとポケットに仕舞う。その横顔をサンジの青い瞳がじっと見つめていることに気づき、顔を上げた。
「……なんだ」
「いや、テメェがもし麗しいレディとかだったらよ、もっとこの旅も華やかで潤いに満ち溢れるものになんのになぁ〜…と。何が悲しくて毎回ハラマキ野郎相手にモーニングコール…」
「言ってろ」
 ゾロは乱暴に服や緑色の髪についた砂を払うと、サンジを振り返った。
「で、どっちだ」
「あっち」
 溜息をついてサンジの白い指が闇に溶けつつある空の彼方を真っ直ぐに指し示す。その方向を確認して、ゾロは頷いた。
「右だな。任せとけ」
「だからテメェそういう覚え方ヤメロっての!」
「迷わねぇからいいじゃねえか」
「そういうことは迷子癖治してから言いやがれ」
 サンジはそれからふつりと黙り込んで、ゾロの顔を見た。
 ゾロもそれに返すように、真っ直ぐにサンジの顔を見返す。
 
 サンジの眼球は真っ青な色をしている。くすんだ空の青さとは違う、もっと深い色だ。
 その青い瞳が静かに沈んで行くこの世界の中でゾロだけを映すこの瞬間、ゾロの胸の奥は妙にざわざわとする。
 うまく言葉にはできないけれど、このまま何かが終わってしまいそうな、この両腕にしっかりと閉じ込めておかないとすぐに砕けてしまうような、そんな不安にも似た衝動にサンジに向かって伸ばしかける手をいつも押し留める。
 夕闇とともに溶けてしまうこのとりとめもない感覚は、はっきりと形を掴むためにはいつも時間が足りない。もしもサンジと2人、この黄昏の時間にずっと居られるのならば少しは何かが解りそうな気もするのに。
 もっともそれ以前に、交わした視線から相手の感情を丸ごと読み取る機能を、どうして付けてはくれなかったのだろうかとゾロは知りもしない製作者を恨む。
 サンジがこうしてじっとゾロの顔を見つめる理由も、ゾロにはわからないのだ。その青い瞳にゾロを真っ直ぐ映しているサンジには、わかっているのだろうか。
 網膜に互いの顔だけを刻み付けるようにして微動だにしない2人の後ろで、ゆっくりと日が傾いて行く。
「…じゃぁ……また明日な、ゾロ」
 サンジがニッと笑う。ゾロもそれに不敵に笑い返すと、両手でサンジの肩を抱いた。
 キュウゥン……とモーターの落ちる音。
 サンジの青い瞳が光を失い、ゆっくりと閉じられる。そしてガクンと体の力が抜けた。
 ソロは意識を閉じたサンジの体を担ぎ上げると、先ほど指し示された方角の空を睨んだ。
 やがて太陽が完全に地平線の彼方に消え辺りを濃紺の夜空が占める頃、ピーッとまるでその空を割るように真っ直ぐ、天上に細くて白い光が伸びてきた。
 遮るものなど何もない、所々に鉄骨のむき出しになった廃墟が転がっているだけのこの荒野の上空を、隅から隅まで横切る真っ白い光。星々よりも一層明るい、青白いレーザー光線のようなその光。
 どこから来てどこにたどり着くのか、それはまだわからない。
 ゾロはサンジの体をしっかりと抱え、星の瞬く荒野に一歩、足を踏み出した。
 
 
 ゾロとサンジが気づいたのはいつだったか。自分の踏みしめる大地が目の前に広がっていることを認識したその時には既に、この世界には2人だけだった。
 
 何故ここにいるのか、何をしていたのか、またしようとしていたのか。
 記憶というものはお互い何もかも落っことしてしまった後だった。
 わかるのは自分達が人間ではない、誰かの手で作られた機械であるということ。
 いくつもの廃墟、ぼろぼろに朽ちた建造物、砂に埋もれたかつて道だったものを越えて、乾いた大地を2人で歩いてはしばらくは人影を探した。
 しかし何処まで歩いても2人以外に動くものもなく、かつて生き物の住む土地だったという痕跡を覆い隠すように乾いた砂塵が舞うばかりであった。
 
 サンジの指した方向に消えていく光の先を真っ直ぐ見据えて、ゾロはしっかりとした足並みで砂漠を歩く。背中に落ちるサンジの髪が、ゾロの歩調に合わせてゆらゆらと揺れた。
 真上には間違うこともない真っ直ぐな道標。闇夜を切り裂くそれだけが、乾いたこの世界で唯一生きている意志のようだった。
 2人は今、この光が指す先を目指して旅をしている。
 意味も目的も何一つ持っていなかった2人には、それでもどこかへ行かねばならないと何かが体の奥を叩くのを感じていた。その場で動きを止めても、いつか機能が停まるのをただ待つしかない。
 それならば、この手に掴むべきものを。
 初めて自分達の意志で目指してみようと決めたものがあの光だった。
 光の始まりと終わり、どちらへ向かいたいかはサンジに決めさせた。サンジは迷いなく一点を指し示し、ゾロの初めて見る顔で笑っていた。
 
 サンジは太陽エネルギーで日中稼動するタイプのロボットだった。
 それに対してゾロは日中エネルギーを充電して夜間に稼動するタイプ。よって昼間はサンジがゾロを背負い、夜はゾロがサンジを背負って歩く。
 2人が顔を合わせて言葉を交わすのは夕暮れと明け方、片方が起きだしもう片方が眠りに落ちるまでの、ほんの僅かな時間のみであった。
 機械なので空腹を感じることもなければ、相手の体を運ぶのに疲れも感じない。
 朝日の気配が空の端ににじんでくるまで、ゾロはサンジを抱えてひたすらに歩いた。
 ちなみに起きた時に毎回方向を聞くのはゾロに方向感覚が備わっていないからである。
 壊れたのか元々ないのかはわからないが、サンジの歩いた道を一晩かけて逆戻りしたのが発覚して以来の決め事だった。
 サンジが起きてゾロが眠る時も然り。目指していた方向を伝えると、方向を割り出す機能がついているサンジは毎回ゾロの歩いてきた方向が合っているかを確かめては「よくできまちたねマリモちゃん〜」などとふざけたように頭を撫でてきて、喧嘩に発展することもしばしばだった。
 
 夕暮れと朝焼けに見つめる青い瞳、金髪と笑顔、広い大地と空の道は果てしなく続き。
 
 これが永遠というものかと。
 
 こんな毎日がずっと続くのだろうと、ゾロは漠然と思っていた。
 
 
 
 ***
 
 
 元来寝汚いゾロであったが、いつからかサンジの起動が少しずつ遅くなってきた
 時間が来るとすうっと規則正しく目を開けていたサンジだが、夜が明けるぎりぎりにゾロに揺さぶられて慌てて目を覚ます、そんな時期が続いた。
 
「やべぇな、マリモウィルスが染みてきたな」
 そう言って乱れた金髪を撫でつけるサンジを、ゾロは目を細めて見つめた。
 音もなく差し込む朝の光が、サンジの輪郭を金色に染めている。
 暗い夜を歩き通した朝も、真っ暗に沈んでいた意識を取り戻す夕も、目覚めた時に目に入るサンジの周りはいつもきらきらと輝いていて、ゾロの世界は光に満ちているようだった。
 
 そうして2人の旅は続いていた。
 幾百の夜を越え、また陽の昇る朝を迎え。
 そして再び同じ朝。
 
 
「……おい、クソ眉毛」
 星の灯りも弱まり始め、上空を真っ直ぐ横切っていた光も空の端から溶けるように淡く消えて行く。
 ゾロは背から下ろしたサンジの頬を軽く叩いた。
 しかし叩いても揺さぶっても瞼は落ちたままで反応がない。
 地平線がうっすらと輝き始める。そろそろゾロはスリープモードに入ってしまう時間だ。
 疲れているのだろうか。まぁこんなこともあるのだろう。
 ゾロはしばらく辺りを見渡すと、近くの砂に突き立っていた大きく半壊したブロック塀にまでサンジを引きずって行った。そして足元に転がっていた石で塀にガリガリと、目指していた方向を矢印で記す。ちょっと小首を捻って考えた後、その脇に『こっちだぞクソマユゲ』と書き添えた。
 そしてそれを背もたれにすると、手の中のサンジを抱え直した。伏せられた睫毛まで金色の、その白い顔をそっと撫でて砂が入らないようにフードを被せる。
 そして眠りに落ちた。
 
 
 
 歌が、聞こえた気がした。
 やわらかく包み込むように響く、目の奥で輝く金色。
 
 ゾロの意識は一気に覚醒した。
 
 
 空にはちかちかと零れ落ちてきそうな程の星が瞬いている。
 遠くに今日の終わりを告げる真っ赤な西日が、ゆっくり、ゆっくり沈んで行くところだった。
 手の中を見れば半分白い砂に埋もれたフード。その砂を払い落として布をめくれば、現れる白い肌。サンジはぴくりとも動かない。
 ゾロは辺りを見回した。
 背後のブロックには、昨晩自分の書き残した文字。
 
「……」
 
 ゾロは静かに起き上がると、サンジを背負った。
 やがて空を横切る真っ白い光。
 
 その一点を目指してゾロは歩き出した。





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