It’s show time! 2
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 翌朝。
 鍋に包丁にお玉に着替えに…と色々手荷物を抱えたサンジと、腹巻と刀以外何も身につけていないまま欠伸したゾロはナミに引き連れられるまま、あのケースが建ち並ぶ街の一角に来ていた。
「ここが寝泊りできる施設も兼ねたケースよ。当分好きに使っていいわ」
 一つ部屋の中に、対面式のキッチンと、テーブルにベッドが二台置かれている小さな家だった。
 透明になった壁はそれらが設置されている手前の三面だけで、キッチンの横にある扉から続く、普通の壁に仕切られて隠された奥のスペースにはバスとトイレがあるらしい。
「ん?あれってポイント計る虫だよな、なんであんなとこに」
 ぐるりと家の中を見渡したサンジが、天井を見上げたところで首を捻った。
 他のケースでは表玄関の脇に座っているあのカタツムリが、何故か屋根の上、天井の丁度中央あたりでこっくり船を漕いでいる。
「下からのアングルって微妙にキモイな…」
 う〜と唸って顔を背けたサンジに、ナミが説明する。
「今回あの虫はいわゆる中継カメラみたいな役割もしてくれるんですって。バトルの映像が離れたとこからも見られるようになってるのよ」
 ナミは家の正面にある小さなスペースを指差した。船から材料を持ち寄って、フランキーとウソップが今そこに特設リングを建設している。
「バトルはこの家の前にある広場だけでやって頂戴。勿論、この家を含めて辺りの島の建造物を壊しでもしたら…わかってるわね?」
 笑顔で凄むナミに、サンジはハーイと手を挙げて了解を唱え、ゾロは苦い顔をした。
 示された場所は広場と言ってもケースとケースの間が他よりほんの少し広いくらいで、島の住人達が長時間観戦できるようなスペースはない。
「あーだからカメラ付きの虫での中継が必要なのか」
「そういうことよ」
「…でもなんで俺達なんだ」
 ゾロが合点がいかないと言った顔で呟く。確かに麦わらのクルーには戦闘要員が他にもいるのだ。
「そうだよナミさん、なんで夜までこんなマリモと一緒にいる必要が…ッ!?」
「それに関しては色々あるけど…まず第一に、戦い慣れしてるのが一番の理由よ。これは場慣れって意味ではなくて、お互いの「取っ組み合い」に慣れてるからよ」
 確かに船では寄ると触ると喧嘩に発展しているゾロとサンジは、他のどのクルーより断然互いを相手に戦っている回数が多いだろう。
「いい?これはあくまでショーであって、本気バトルじゃないんだからね。まずそのへんをよく理解して頂戴。八百長でも特殊ルールでもいいから、とにかくあんた達はバトルを盛り上げる方法を考えなさい!泊り込んでもらうのもその為よ」
「でもやっぱり、食事の時くらいは船に戻って…」
「船の方は私とロビンでやるから心配しなくていいわ。バトルはエルバフの血を引くここの住人達にとっては結構な楽しみらしいから、とにかくガンガン喧嘩してとっととポイント稼いじゃって!期待してるわサンジくん」
「まっ任せてナミしゃん!」
 ぎゅっと手を取られてメロっとなったサンジの横で、ゾロが億劫そうに首を掻いた。
「で、そのバトルとやらはいつまでやってりゃいいんだ。一晩中か」
「そうね…一回の長さはこれから話し合うとして、とりあえずあの虫は夜は寝ちゃうそうだから、ショーは日が暮れる頃には終わりにしていいわ」
 それから、とナミは玄関に戻りかけた足を止めた。
「夜や食事の時間、ショーをやらない時はこの部屋の窓にあるブラインドを下ろせる仕組みだから、プライベートな時間は普通の家と変わりなく過ごせるはずよ」
「よかった、流石に一日中行動を見られてたら落ち着かないよ」
 ホっとしたサンジが荷物をキッチンに運び入れると、家の外でリングが出来たとの叫びがあった。
「今行くわ!ゾロ手伝って、サンジくんも荷物置いたら外へ来てね、打ち合わせするから」
「は〜い」
 二人が出て行った家の中、サンジはまだあまり使われた形跡のないキッチンの床に鞄を置いた。
 中から包丁と今晩の食材、簡単な調味料を出してシンクの横に置くと、最後に一番底に入れてあった一抱えほどの銀色のボウルを取り出した。
 中には不透明なビニールで覆われた包みが木片でプレスされ、上にいくつかの重石が乗っている。
 サンジはキッチンを見回すと、シンク下の収納扉を空けた。そしてガランと何も入っていない棚の一番右端、例えパッと開けられてもあまり目につかなそうな場所にそっとそれを置いた。
 
 
 がやがやと外が賑やかだ。サンジが家から出ると、広場にはレスリングのリングを3倍くらいにしたような特設ステージが出来上がっていた。
 脇に設置されたテント内の机にはナミが座り、その前にずらりと列を作った島の住人達。小さな紙をナミと交換しては、何やら小さな貝殻のようなものを傍に立つ人型になったチョッパーが抱える箱に入れて立ち去っていく。
「あのアマ……」
「なんだ、どうなったんだ」
 苦い顔をしたゾロの横に近づけば、あれを見ろというようにステージ脇をしゃくった。
 ウソップかフランキーが作ったに違いない、ドドン、と引き伸ばされたゾロとサンジの写真が派手な飾り文句と共に掲げられていた。簡単な略暦、そしてその横にある数字は…。
「ナミのやつ、しっかり稼ぐ気だな」
「おいおいちょっとまて、なんで俺のがオッズ高ぇんだ」
「そりゃテメェがへなちょこだからだろ。見かけ通り」
「くゎっちーん。…よしてめぇ、あがれ」
「上等だ」
 リングを指したサンジに、刀を置いたゾロがゴキリと肩を鳴らす。
「ちょっとあんたら待ちなさい!まだ賭け終わってない人いるんだからッ」
 ナミの声が響く中、高らかにゴングが鳴り響いた。
 
 
 * * *
 
 
 コトコトと静かな空間に鍋が小さく音を立てている。
 外はとっぷりと暮れ、ケースの中に設置された小さなキッチンでサンジは二人分の夕食を作っていた。
 明るい家の中の様子を漏らさぬように透明な壁にはブラインド代わりの布が落とされ、天井も同じく外から布で覆われている。天井の作業だけはあのカタツムリがやってくれたのだが、屋根の中央にだけあの虫サイズの丸い穴の開いている奇妙な布で、始終下からのキモいアングルであの虫を眺めてなければならないのが納得いかない。
 もっとも夜は虫も寝ているそうなので、サンジはとりわけ天井を見ないように意識の外から追い出して作業に徹した。
 ゾロは先に一風呂浴びると、先ほど奥のスペースに消えていったばかりだ。
 サンジは鍋の火を止めると、そっと足元の収納扉を開けた。隅の暗がりにあるボウルを手繰り寄せ、じっと見つめる。
「……」
 明後日はサンジの誕生日。……いよいよだ。
 サンジは冷たいボウルの淵を、ぎゅっと握った。
 
 このボウルの中に入っているのは『味噌』だ。
 
 去年の秋口に仕込み、キッチンの床下収納庫に寝かせて発酵させ始めて以来実に半年、ほとんど封を開けていない。
『味噌味が好きだ』
 そんな情報をゾロの口から直接得たのは、去年夏くらいのことだった。中々自分の好みを口にしないゾロを巧みに誘導してようやく得られたその味は、知ってはいるもののサンジ自身も口にした記憶がほとんどないものだった。
 今は遠く離れてしまったイーストの海、特にゾロの育った村ではメインとなる味付けだったらしい。味噌は製法が難しく、また風土の違うグランドラインに出てからは滅多に出会わない調味料だった。
『お前の味付けが好みじゃねぇって訳じゃねぇ。…深く考えんな』
 珍しくフォローするように付け足したゾロに、材料の調達の仕様の無さに途方に暮れてしまっていたサンジは小さく頷くしかなかった。
 初めて聞くことが出来た、ゾロの好きなもの。
 それを提供できないコックとしての自分が不甲斐なかった。そしてなにより――サンジ自身として悔しかった。
 
 それから程なくして、出合ったのは偶然だった。補給の為に数時間だけ立ち寄った島の、農家の年老いたレディはその昔イーストから愛しい男と共にグランドラインに駆け落ちして来たのだと笑った。
 味噌を手に入れるにはどうすればいいか問いかけたサンジに、作ればいいのだと彼女は言った。
 味噌の作り方、そして発酵に必要とされる特殊な「KOUJI」なる粉を分けて貰えた時は、その皺くちゃになったレディの顔が女神のごとく輝いて見えたものだ。
 だがしかし味噌作りは簡単なものではなかった。
 大豆をペースト状にしたものに「KOUJI」を混ぜて練り合わせ、風通しの良い暗い場所で寝かせること半年。
『――半年!?』
 それを最初に聞いた時は愕然とした。
 レディに会ったのは丁度何ゾロの誕生日の一月前で、これはゾロにとってとても良いプレゼントになるのでは!と一気にテンションが上がっていたので尚更ショックも大きかったのだ。
 発酵させて作るとは聞いていたものの、まさか半年もかかるとは。
 そして指折り数え、サンジは決心した。
 ゾロの誕生日には間に合わなかったが、半年後、サンジの誕生日になら。
 
 その時に、出来上がったこの味噌をゾロに食べさせてやろう。
 自分の誕生日。誰かに何かを貰うよりも、ゾロの喜ぶ顔が見たい、だなんて。
(――そんな日が来るなんて、この世は不思議で満ちてるぜ、全く)
 サンジは赤くなる顔を抑えるように、慌てて頬を擦るとボウルを元の場所に戻した。
 その時からどんな嵐の日も、敵襲があった日も、食料が乏しい日も、夜中にキッチンに忍び込むデカイ鼠の目からも、ひっそり自分への誕生日プレゼントならぬ、ご褒美代わりにする為にその味噌を大事に守り続けてきたのだ。
 数ヶ月前に一度様子を見て以来、発酵の邪魔をしないよう固く封は閉じたままだ。果たして本当に味噌が出来上がっているかもわからない――けれど。
 誕生日を前に、不安と期待でここ最近サンジは胸の底がソワソワしっぱなしだった。
 上陸したうえに部屋に篭る形となったが、こうして手元に持ってきておいてよかった。この分だと明後日もこうして、ゾロと一緒にさり気無く食事が出来そうだ。
 船だと他の仲間の目もあって、見張りでもない限り中々ゾロだけに料理を出すというのは難しい。自分の誕生日パーティなどやれば、益々そんな暇などない。
(明後日、夕食にでもこっそり出してやろう)
 ゾロがその味に気づいたら、偶々前の島で見つけたから買っておいたんだと言えばいい。
 味噌をずっと探していたのは勿論、ましてわざわざゾロの為だけに半年も仕込んでいたなんて知られたくもないから、あくまでさりげなく、だ。
 ガチャ、と風呂場の扉が開く音がする。思わずにんまり出てしまっていた笑いを引き締めて、サンジは慌てて腰を上げた。
 
 
 * * *
 
 
「ホラホラどうしたよ?ハンデに刀1本取ってくっか?」
 革靴の先でリングをコツコツ叩きながら挑発すれば、ゾロは小馬鹿にしたように笑った。
「お前こそ這い蹲って、スーツ泥塗れになっても文句言うなよ?」
 ちなみに昨日の朝一番の試合はサンジの勝ちだった。けれど午後の試合ではゾロが勝った。
 最初にいい配当を出して島の住人を喜ばせるとかそんな思惑がナミにはあったようだが、実際戦い始めると回りが見えなくなる二人である。すぐに八百長紛いの作戦なんて頭から抜け落ちた。
 ゾロとサンジ、本気で勝敗をつけようとしてもそれは難しい。だからバトルには特別に勝敗を決するルールが設けられている。
 先に5発当てた方が勝ち、頭の上の風船を割られた方の負け、…といった具合に、ナミがルールを決め、ウソップやフランキーが審判をしている。
 今日の午後一番の試合ルールは単純明快だ。「リングの外に出された方の負け」。
 ゾロの攻撃を、サンジは持ち前の身軽さを持ってギリギリの所でかわして凌ぐ。対してゾロの方はウェイトがある分、サンジの攻撃を受け止めても寸での所で吹き飛ばされるのを防いでいた。
 今回の場合、一度でもゾロに捕まって放り投げられでもしたらサンジの方が分が悪そうだ。なんとか距離を保ちつつ蹴りを放つサンジの前で、ゾロが力を溜めるように拳を固めた。
 サンジが宙に飛んだ瞬間を狙ってのその予備動作に、繰り出される攻撃を察してはっとする。サンジの背後には自分達に割り当てられたあの家。
「チョコマカと…逃げてんじゃねぇ!」
「……ッ!!」
 広範囲を薙ぎ払う、刀無しの飛ぶ斬撃。ゴッと真空の気がサンジを襲う。
 体を捻って避けるのは簡単だ。だが、サンジは空中で体勢を変えると咄嗟にその斬撃に向かって足を繰り出していた。
 靴底を通し、足の裏にジュッと鉄鍋に触れたような熱い衝撃が走る。
「ッ!」
 そのままサンジはバランスを崩してリングの外に背中から落ちた。と同時に軌道を逸らされた斬撃が背後の家にぶち当たっての側面をこそぎ取る。
 中継を見ていたのだろう、遠くの家々から沸く歓声、審判の声、そしてナミの悲鳴。
「ッのバカ!家は壊すなってあれほど言ったでしょ!!」
 サンジは背後の家を見遣ってちらりとキッチンの無事を確認すると、パンパンとスーツの汚れを払いながら立ち上がった。
 リングから渋い顔して自分を見下ろすゾロを睨む。
「そうだバーカ。俺が逸らしてやったからいいようなものの、家壊したら弁償代で折角溜めたポイントがパーだぞ」
 歩こうとして一歩踏み込んだ右足がビリッと痛み、サンジは小さく舌打ちした。
 見咎めたゾロが小さく眉を寄せるのにもう一度舌打ちして、サンジはわざと乱暴に歩いてナミの元に向かった。
 
 
 
 
  * 3へ *
 
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