さ よ な ら
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 頭を突き抜けるような痛みとともに、唐突に視界がクリアになった。
 ここはどこで、今自分は何をしていたのか。
 直前までの記憶が繋がらず、サンジは辺りに素早く目線を走らせた。
 見知らぬ、天井の広い無機質な部屋だ。
 目の前の状況を把握する前に、ふ、と腕の中に広がる暖かさに目を向けた。
 
 
「え……」
 瞬きをして、サンジは呆然と自分の胸元を見下ろした。
 今更ながらに感じる、ずしりとした重み。
 抱える胸の中には、緑色の頭の男。
 
「―――…?」
 膝をつく自分の腕の中に、その男は体重を預けて横たわっている。
 無意識に男の服に手を滑らせていた自分の指から、ガランと硬い何かが床へ滑り落ちた。
 鈍く光る拳銃。
 黒いボディが、赤い水溜りの中に転がって濡れた。
 
 赤だ。
 滑らかで綺麗な赤い液体が、辺り一面に広がっている。
 その表面を、サンジは目でゆっくりと追った。
 白いリノリウムの床。放射状に広がるその赤色の中心は、サンジの足元のようだ。
 いや正確には。
 
 男の体がゆっくりと横に転がり、その胸元が開いた。
 じわじわと今も溢れるのは、赤。男の胸から床へと、その赤は広がっていく。
 
 閉じた目の、その顔は。
 
 
「ぞろ……?」
 ほとんど音にならない小さな呟きが、ただ息を吐くように流れた。
 静かな床の上、答えてくれる者はいない。
 暖かいと思っていたものは、段々とサンジの服に染みて冷たく形を変えていく。
 
「……っ」
 がたがたと震えだす指先で、サンジは男の服を握りしめた。
 息がうまく吸えない。
 考えるよりも先に、心から何かがあふれ出す。
 
「―――ッゾロ……!」
 叫んだ瞬間、どっと、サンジの頭に記憶が流れ込んできた。
 
 
 
 
 
 
 
『この男』
 腹のボタンが締まりきらない軍服の男が、擦れた声で笑いかけた。
 普段ならば声すら耳に入れたくない男の意味ありげな嫌な笑い方に、しぶしぶ目を向ける。
 暗い部屋の中、歪んだ口元で指し示したモニターの中。
 囚われた一人の男の姿に、サンジは僅かに目を見開いた。
 
『お前を奪いに来た賊のようでな。これから処分をしようと思っているのだが』
 モニターを見つめたままぴくりとも動かないサンジに、男が笑った。
『――どうした、見知った顔か?』
 
 
 自分がどうして生まれ、そして今何故生かされているのか、サンジは知らない。
 自分の存在を抹消したい者たち。自分の存在を証明したい者たち。
 表の世界で繰り広げられる政治的な権力や勢力などには興味もないし、知ろうとも思わなかった。
 自分は生まれた時から人形でしかなく、触れる事のできない遠い世界の事など、何一つ関係ない。
 どこに居ても変わらぬ身ならば、生きていても死んでいても同じ事。
 それに不安も、不満も、それ以上の望みも、何もありはしなかった。
 
 ――あの日、あの男に出会うまでは。
 
 
 胸元に揺れる小さな飾りを、サンジは強く握り締める。
 この胸の中にいつの間にか芽生えてしまった、小さい、けれど確かなもの。
 これだけは殺したくはない。殺させはしない。
 これさえあれば、生きてもいける。そしてこれの為ならば、死んだっていい。
 ――そう思っていたのに。
 
『そろそろ、我々の研究に協力する気になったかね』
 甘ったるい男の言葉が耳に障る。
 
『お前さえ力を貸してくれるあなら、あの男は解放してやろうじゃないか』
 今までまともに聞いた事のなかった男の声を、サンジは静かに受け止めた。
 
 協力する事。それが何を意味するのか、知らないわけじゃない。
 死んでも手放したくないと思っていた、初めてサンジが手にしたもの。
 ――けれどそれと、あの男自身とを秤にかけるなど。
 
 
 サンジはゆっくりと両手を自らの首の後ろに回すと、小さく眉を寄せた。
 プツンと小さな痛みとともに、指で引き剥がしたのは小さなチップ。
 それを男の目の前の机上に転がしてみせる。
 生体パルスを感知して、サンジ自身の意識と意思がある間、自らの手でしか外せないようにプログラムされた、小さなチップ。
 こんな指先程のものにすら、この国の莫大な研究費用が掛けられているのだろう。研究所を出る時に埋め込まれたそれは、サンジにとって唯一の武器でもあった。
 これがあれば、研究所の人間以外にサンジの脳を、『サンジ』というこのこころを奪われる事はないのだから。
 
 男が笑う。
 兵士達に腕を取られて部屋から連れ出される間も、サンジは冷めた目でじっと、光るモニターの先を見つめていた。
 
 
 
 
 
 
 
『そら、デモンストレーションだ。お前に『感情』など生まれていないと、かのお偉い方々に見せ付けてやるがいい』
 
 
 パチン。
 指が鳴り、そこでサンジの意識は目覚めた。
 
 
『こ ろ せ』
 
 
 誰かが耳の奥深くでささやく。
 意味はわからない。でもその三文字の組み合わせが指示する行動は知っている。
 
 サンジは立ったまま、まっすぐ前を見つめてその瞬間を待った。
 
 一面、白い部屋だ。
 天井と床しかないような、無機質な部屋。 
 ガチャリ、音がして、サンジはその一部に視線を向けた。
 
『解放してやるって…なんだ急に、どこだよここは』 
 声とともに、ドアノブが回る。
『いいからそのまま行け?』
 誰かに指示されているようだ。
 扉を開けて入ってきたのは一人の人間。緑色の髪の男が、ふ、とこちらを見た。
 
 
 サンジが動いたのは瞬間だ。
 
 ――渡された銃の扱いは簡単だ。何度も繰り返し覚えた。
 
 男の顔が驚きに変わる。
 
 ――脚はしっかり肩幅に開いて、左手は添える。セイフティを外して、狙いを定める。
 
 男が何かを叫んだ。けれどよくわからない。顔は照準の外なので見えないからだ。
 
 ――心臓の真上に照準を合わせて、思い切り引き金を引く。
 
 瞬間、ぐらり、男の体が傾いで床に倒れた。
 
 ――ヒット。OK。訓練通りだ。打った衝撃で手首が少し痺れている。
 
 
 サンジは構えを解いて、そのままぼんやりと男を見た。
 この後は、一体どうしたらいいのだろう?
 
 
『……?』
 倒れた男が苦しげな顔で、それでも自分に向かって手を伸ばしていた。
 
 ああ、まだころせていない。
 そのばあいは?
 
 しかし命令を待つより先に、ふら、と引き寄せられるように足が勝手にそこへ向かっていた。
 
 視界がぼやける。
 拭った手の平が冷たい。なんだろう、これは。
 
『……っ』
 何かを呟いた男の胸から、広がる赤い色。
 力なく床に膝を着いたサンジの体を、ゆっくりと一度だけ男は抱きしめ。
 
 そして笑った。
 
 
『―――ッ』
 そのぬくもりに、頭のどこかが焼き切れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……ろ、ぞろっ……」
 思い出した数分前までの記憶。
 受け止めきれずに、サンジは壊れた機械の様にただ同じ言葉を繰り返す。
 ぼろぼろと目から溢れるものが、見下ろすゾロの頬を濡らしていく。
 
「やだ、ゾロ…やだよ、や……」
 引き攣れた喉が痛い。
 どんどん暖かさを失っていくその身を掻き抱いて、サンジは抱き込んだその顔に頬を寄せた。
 
「ぞろ、…ぞ……っ」
 冷たい、痛い。
 さっきはあんなに暖かかったのに、今はこんなに。
 
「ぞろぉ……ッ」
 痛い。心臓が痛い。
 サンジはゾロの身をきつく抱きしめながら、自分の左胸を掻き毟った。
 
 
 
 ブツン!
 突然音がして、施設内の電源が落ちた。
 真っ暗になった部屋は予備電源に切り替わり、薄暗い照明が足元だけを照らす。
 ドォン、と鈍い振動が施設を揺らした。
 遠いどこかが、俄かに騒がしい。
 
 サンジはただゾロを抱えて、うずくまっていた。
 何も考えられず、声が枯れてもなお唇は名前を呼び続ける。
 
 
 突然、横の壁が、ぱっと明るくなった。
『さっきの映像は、全世界に向けて配信させてもらったわ』
 女性の声だ。真っ白いモニターに、映る映像。
 大勢の人間に銃を突きつけられて壁に追い込まれているのは、この施設のトップであるあの男。
 サンジの虚ろな目にそれは流れる。
 
『これでわかったでしょう』
 オレンジ色の鮮やかな髪の女性が、男の正面に進み出る。
『彼らには感情がある。兵器じゃないわ…私たちと同じ、人間よ!』
 
 
 
「…ちくしょう」
 
 不意にすぐ側から聞こえた小さな声に、サンジは乾いた目をぎこちなく向けた。
 鳶色の男の目が、サンジをまっすぐ捉えている。
 サンジの腕の中に抱えていた、男の。
 
 呆然と、ぞろ、と唇だけで呟いたサンジに、暖かなものが重なった。
 
 暖かい口付け。
 あたたかい。
 …暖かい!
 
 ゾロがゆっくりとサンジの唇を舐め、そして離れた。
「悪い、今度会う時は、笑顔にさせてやるって、誓ったはずだったのにな」
 
 どっと、サンジの目から再び熱い涙が流れた。
「っ…うわあああああん」
 子供のように泣きじゃくりながら、サンジはゾロの首にしがみついた。
 きつく、縋るように抱きしめれば、苦しさに眉を寄せながらもゾロが同じくらいの強さで抱き返す。 
 
「ナミめ、偽弾に血のり以外、一体何仕込みやがったんだ、こんなに動けなくなるなんて聞いてなかったぞ…」
 まだ指先が痺れてるじゃねぇか、とサンジを強く受け止めながら、ゾロがぼやく。
「でもお前の脳に取付けられた枷をぶち切るには、強い感情のブレが必要だったんだ…悪かった」 
 
 そんなゾロの呟きも、モニターの向こうの歓声も、サンジには何も聞こえていなかった。
 ただ心から溢れ出るままに叫び、目の前のぬくもりをひたすら確かめる。
 
 
 そして赤い命の色に染まった二人は重なり合って、しばらくその場で体温を分け合っていたのだった。
 
 








*END*


 
 
 
 
 
 
 

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 今年のサン誕に書いたお話の続きです。
 こういう、雰囲気だけのなんちゃって近未来好きなんですよね。

 ぎりっぎりの滑り込みゾロ誕!ゾロおめでとう!
 今年のゾロ誕話は両方ともサンジがよく泣いております。
 サンジの、強がって堪える泣き顔が大好きです!!

 
 
 10.11.30