もしかしてパラダイス 2 |
「ナミさ〜〜ん、ロビンちゃーん、愛のデザートお持ちしましたよ〜〜〜」 「サンジくん、その顔で私にそういう事を言うのはやめて」 くるくるっと甲板で華麗なスピンをしかけた体が、ナミからぴしゃっと放たれた一言でよろりと止まる。 「……あい」 しょぼんとしたサンジの前で、デッキチェアで本を読んでいたロビンがくすりと笑った。 まるで可愛いものでも見るような、ゾロの顔によって放たれるその目線にサンジはどぎまぎしつつ曖昧に笑みを返す。 男連中は皆町に降り立った午後、船に残っているのは女性陣のみだ。 愛しの女神からの言葉はショックだが、内心サンジとしてもナミやロビンの格好をしたゾロに向かって言うのは中々厳しいものがあったので助かった。 「じゃあ俺、このまま買出し行って来ますね」 レディだけを船に残していくのは心配だったのだが、ロビンが付き添っているから大丈夫よとサンジを押してくれたのだ。 できればサンジもナミ同様町には降りたくなかったのだが…明日の出航を控えて買出しをしないわけにはゆかず、ましてそれを嫌がる理由なんて、絶対に言えるはずもなく。 サンジはいってらっしゃいと手を振るロビンに見送られて、とぼとぼと船を降りて町に向かった。 眩しい。 サンジは市場の入り口を前にして、目の前に溢れる光景に呆然と立ち尽くしていた。 小さいが船の補給路として重要な役割を担っているこの島の唯一の港町は活気があり、市場となっている中心街はそこに集まる人の数も半端じゃない。 建物の合間に様々な露店が建ち並び、色彩豊かな野菜にフルーツ、新鮮な魚がこれでもかと山盛りになっている。売り手の掛け声、買い物に訪れた船乗りや町の人などの会話が明るく賑やかに飛び交っている。 それら全てに溢れ返るのは、みどり、みどり、みどり―――。 野菜を売る親父やマダムも、どこかの国の商人も、豊満な胸を揺らして通り過ぎるご婦人も、無邪気に走り抜けていく子供らも、みんなみんなゾロの顔だ。 「……ッ」 くらっと眩暈がして、サンジは空を仰いだ。 ゾロの国、ワンダーランド。 どんな悪夢だろうか、これは。 仲良くおしゃべりをしながらすれ違ったレディたちが、呆然と立ち尽くすサンジを見て怪訝な顔をして通りすぎていく。 ひらりと可憐なスカートを翻すその顔もまた、ゾロ。 (うおおおお……) 予想はしていたが、凄まじい。 衝撃だ。どこを見てもゾロの仮装・コスプレのオンパレードだ。 心臓が跳ねる前に悪寒で背筋がぞくぞくする。 きゃっきゃと笑顔全開で走り抜けていくチビっこゾロたちを端目にしながら、サンジはよろよろと歩きだした。 いくら悶えてもしょうがない。修行と思って耐えるしかないのだ。 (さっさと必要な分だけ買いこんで船に戻ろう……) いつもなら気分が弾む買出しなのに、サンジは親の仇のように食材だけを睨みながら街中を歩いた。すれ違う人の顔をうっかり見ないようにだ。 楽しく交渉しながらおしゃべりに花を咲かせるところも、ただ黙々と店主に必要な数を頼んで船まで運ぶ手はずを言うだけにとどめる。 そうして数軒を渡り歩いたとき、ある店のマダムにサンジは呼び止められた。 「兄さん、これ持っておゆきよ」 無口な様子はどこか思いつめているようにも見えたのだろう、ふっくらとしたその手がサンジの手を取り、熟れた苺を数粒握らせた。 「食べると元気がでるよ」 優しい声音に、反射的に顔を上げた。 見ないようにしていたゾロの顔。しかしその笑顔は、サンジの心臓を飛び上がらせも、慄かせもしなかった。 ふんわりと包み込むような眼差しに、サンジの心がほわ、と暖かくなる。 心臓が、今度は緩やかなリズムでとくとくと踊りだす。 さぁっと風が吹いたように、視界が開けた。くすんでいた光景が、鮮やかに新鮮な輝きを持って目に映り始める。 「そ、うか…」 サンジは顔を上げてしっかりと目の前のゾロの顔を見つめた。 「…ありがとう…レディ」 少し戸惑って、けれど素の自分のままにこりと笑えば、ゾロも笑ってサンジを見返した。 町中、どこを見てもゾロ。緑色一色だ。 でもそのひとりひとりが、色んな表情をしている。 豪快に笑っているのもいれば、穏やかに微笑んでいるものもいる。無表情で通り過ぎるものもいれば、目の合ったサンジにニコリと笑いかけるものもいる。 色とりどりの野菜の前で立ち尽くしていたサンジの隣から、ほっそりしたレディの手がサンジの目の前の野菜に伸びた。 顔を上げれば、相手と目線がかち合う。 ふわりと笑いかければ、相手のゾロもはにかむように優しい目線でサンジに微笑み返した。 今目の前にいるゾロは、サンジが気を張って対等でいなければならないゾロじゃない。 ムキになってちょっかいをかけなくても、手を伸ばさなくても、いつでもどこでもすぐ傍にいる。サンジが微笑めば素直に微笑み返してくれる。 奇妙だったけれど、見方を変えればそれはとても……幸せだ。 不思議と満ち足りた穏やかな気持ちで、サンジは今度はしっかりと顔を上げて町を歩き始めた。 * * * 買出しも終わり、夜の帳が降りるころ。 サンジは小さな酒場のカウンターにぼんやりと腰をかけて、目の前でカクテルをシェイクしているマスターをぼんやりと見ていた。 マスターはサンジの視線を気にしているのか、時折チラっと視線を返しては小さく笑った。 サンジも手元のグラスを傾けながらほんわりと笑い返す。 腰から巻いた黒のエプロンに、腕まくりした白のシャツ。声の調子からまだ若そうなマスターだが、そこそこ筋肉のついた太い腕はゾロの顔に違和感のないパーツで、サンジはそこが気に入った。 (ゾロに料理出してもらってるみてぇ……) ほどよく酒が回った頬は赤く、傍から見れば陶然と濡れたその目線はよからぬ思いを湧き起こさせるのに充分だった。 うっとりと笑うサンジに、周りに座っているゾロの中には小さく顔を赤らめて見つめる者もいる。 (……ありえねぇ) それらを見ては一人くすくす笑いながら、それでもサンジの気分は最高だった。 「いいか」 その時一人の男がサンジの隣に立った。 ぽやっと目線を上げれば、勿論自分を見つめるゾロの顔。 条件反射でへらっと笑みを返せば、それを了承と取ったのか男はサンジの隣に腰掛けた。 ざっくり着こなした黒いシャツにジーンズ姿。強い酒を注文しているその姿にサンジは目を奪われた。 男は袖を肘のあたりまでまくっており、そこから浅黒く太い腕が覗いている。逞しく筋張ったその筋肉から見るに、船乗りなのかもしれない。 (あーゾロにはこんな格好も似合うんだなあ……) ぶっきらぼうな物言いも、どことなく剣士っぽくて高得点だ。 頭の中が今お花畑のようにぽわぽわしているサンジは、さっきから口元から幸せな笑いが溢れるのをとめられない。 男はにこにこ笑うサンジを見て、何故かむぅ、と眉間に皺を寄せた。 「……今日は随分楽しそうだな」 「そらそうさ、今日は特別なんだ」 「へぇ」 サンジが笑っても笑い返してくれないゾロとは、中々珍しい。でもそれもどこか剣士っぽくていいな、なんて思いながらそっけない口調の男に、サンジは緩んだ笑顔でへらっと笑いかけた。 「だって今の俺には、他人の顔がぜーんぶ惚れた相手の顔に見えるんだぜ」 向こうのアイツも、そこのマスターも、皆、みんな。 「勿論、てめぇも……」 ふわ、と笑って見上げれば、目の前のゾロの目が小さく見開かれた。 すげぇだろ、と子供のように胸を張って笑えば、コトン、と男がカウンターにグラスを置いた。 「お前には俺が、一体誰に見えるんだ…?」 突然ぐいっと腕を掴まれた。 随分熱いその体温に、うっかりゾロを思い出しそうになる。 目の前には、なぜか真剣なゾロの顔。 きっと目の前の男の表情がそのまま出ているのだろう、自分相手に取り乱しているようなその顔に、サンジはぷっと吹き出した。 「それがさ、笑い話だぜ。同じ船の仲間でさぁ……なんとこれが、男なんだよ」 ぺろっと無意識に乾いた唇を湿して男を見上げれば、ぐっと、心なしか男の手に力がこもった。 「……そいつは、誰だ……?」 見知らぬ相手に言ってもわかるわけもないが、それでもサンジはへへ、と照れたように男を見上げた。 その目を見ながら、今はここにいない男自身に告げるような気持ちで。 「緑色の髪したバカな野郎でよ。でも今日はどこもかしこも緑だらけに見えて、俺は今すげぇ幸せなんだ」 ガタン、と男が椅子を立った。 捕まれていた腕が急に引っ張り上げられて、男の真正面に体ごと向かされる。 「なにしやが…ッ」 反射的に振り上げた足。そこらの野郎なら一発で吹っ飛ぶそれを、しかし男は片手で容易く押さえた。 男の目が、怒ったように底光りする。 ゾクリと戦慄するような気配を滲ませて、男が笑った。 「その話、詳しく聞かせてもらおうじゃねぇか……クソコック?」 目の前で低く唸るような声に、サンジの背筋がぶわっと逆立った。 聞きなれた、腰にくるような本気のトーン。 何よりその目の奥に潜む光を、その気配を見間違えるわけがない。 「な…なん、…おまッ」 酔いもどこへやら、サンジは真っ赤な顔でぱくぱくと口を開けてパニック状態だ。 掴まれた腕を振り解いて逃げ出そうとした体を、腰に回った太い腕がホールドする。 そのままぐいっとゾロのジーンズの上に引き寄せられて、サンジは目を丸くした。 「うるせぇ」 まだほとんど言葉にできてないのに! ぞんざいに吐き捨てたゾロの口がサンジの口を塞いで、そこから後は声にならなかった。 緩められた黒いシャツの胸元から紛れもないゾロの斜め印が垣間見えて、サンジは今度こそ卒倒する思いだった。 * * * 「ロビン、解っててあの実渡したんでしょう?」 女二人で好き勝手に打ち解けた夕食を取りながら、ナミはようやくもとの表情を見られるようになったロビンを見上げた。 ナミやロビンの顔を見てドギマギと戸惑った様子のサンジは、本人は隠してるつもりだったろうがあからさまに挙動不審だった。 自分たちの顔が誰に見えてるかなんて、勿論聞くまでもないだろう。 「まさか航海士さんにまで効果が出るとは思わなかったけど」 うふふ、と笑いながら各所に咲いた白い手が上手に紅茶を入れていく。 カップを受け取りながら、ナミは小さく溜息をついた。 「アンタも結構たち悪いわね〜」 そうかしら?とロビンは悪びれる様子もない。 けれど今日一日、ロビンのお陰で「ルフィと二人きりで船上デート」まがいのことをさせてもらったのは、彼女なりのお詫びだったのだと思う。 「誕生日プレゼントに、喜んでくれると思ったのだけれど…」 数日前、船上でサンジの誕生パーティーをした。 クルーの幾人かはプレゼントを用意していて、ロビンはナミに誘われるまま一緒にサンジを抱きしめて頬にキスしたのだけれど、他人に物を贈るという行為にとても関心を示していた。 けれど他人にプレゼントなんてものを上げたことがないロビンは、その礼儀についてウソップにあれこれ聞いていた。 確か相手を喜ばし、かつ驚かせてやるのが最上なんだぞと豪語されていたのを覚えている。 「天然なのが、さらに怖いところよね……」 * * * お天道様が眩しい。 サンジは額に手を添えると、真っ青な空の下で行き交う人々に目を細めた。 賑やかな町並みは、もう鮮やかなみどり色に埋め尽くされてはいない。 変わりに隣に立つのは、万年青々と変わらない緑頭。 サンジは宿屋から出てきたゾロをギロっと睨んだ。 「大体その服はなんなんだよ……」 いつものジジシャツ姿なら、絶対こんなことにはならなかったのに。 後悔なんてしてないけれど、してやられた悔しさばかりが残っている。 「あ?なんか誕生日プレゼントがどうのってロビンに巻き上げられたんだよ」 「なんでロビンちゃんが」 俺が知るかよと言い捨てて、くああ、と眠たげに背伸びする男の尻をサンジは蹴飛ばした。けれど与えたダメージは倍返しで、サンジはうぐっと動きを止めた。 ちょっと足を振り上げるだけでも辛い。それは勿論、昨晩から明け方までずっとあらぬ場所を散々酷使したせいで。 うう…と羞恥に唇を噛んでいたら、ゾロがしたり顔で「おんぶしてやろうか?」と聞いてきたので、引きつる筋肉を我慢してもう一度蹴飛ばしてやった。 「おそーい!」 「ごめんよナミさ〜〜ん!」 出航時間を大幅に遅れて戻ってきた自分たちを、出迎えた女性陣たちの顔は微妙なものだった。 実の効果は切れたので皆元の顔に見えるのだが、その表情がどうにも何かを含んだように楽しげなのだ。 遅刻して雷が落ちないのも珍しく、ゾロも怪訝な顔をしている。 全員揃ったクルーを見回して、ルフィが笑う。「ようし出航!」――その掛け声でまた新しい一日が始まるのだ。 けれど、今日の船長の台詞はそれではなかった。 「お前等今日はあれしないのか?」 きょとんとした顔の船長の、言葉の意味がわからない。 持ち場に着きかけてたクルーの不審な顔を見渡して、ルフィは堂々と胸を張った。 「だって昨日、時々皆してナミの顔になってただろ」 「な……ッ!?」 あれどーやんだ?今日はしねーのか?とけろっとした顔で爆弾発言をしたルフィに、顔をっ赤に染めたナミがルフィの首を締め上げた。 「何で昨日言わないのよ!!しかも時々ってどういうこと!?」 ガクガク揺さぶられるルフィと、その様子をあらあらとかひゅーとか言いながら楽しげに笑う仲間たち。 ああナミさん……嬉しいような悲しいような複雑な気持ちでそれを見守っていたサンジの隣で、ゾロがのっそりと言い放った。 「なに言ってんだ、全部クソコックの顔だったじゃねぇか」 しれっとした顔でとんでもない発言をしたゾロに、あらあらとかひえぇとか今度は目を丸くする仲間たちの前で、ぐわっと顔を真っ赤にしたサンジがその襟首を締め上げた。 「てっめぇ、言葉が足りねぇんだよ!!」 「お互いさまじゃねぇか」 ニヤリ、と笑い返したゾロに、やっぱり自分に向ける笑顔はこうでないと面白くない。 なんて思ったことは、きっとずっとサンジの秘密だ。 言ってやるものか、ちくしょう。 * END * -------------------------------------------------------------------------- 07.03.13 サン誕企画「ちふれ」様に投稿したお話でした。 以下はその時にいただいたコメントです。 -------------------------------------------------------------------------- |