おくりもの
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 それを見た瞬間。
 目の前がきらきら、きらきら。光が洪水のように溢れた。
 
 
 ゾロは呆然と、それでもチカチカする両目をしっかりと見開いて、その綺麗なものを食い入るように見つめていた。
 
 
 
 
 
 ゾロは先月12歳の誕生日を迎えたばかり。
 学校はとうに冬休みに入っており、毎日朝から近所の道場に通い詰めていた。
 今日も白い胴衣に袴を履き竹刀を背負ったいつものスタイルで道を歩きながら、だんだん暖かくなってきたお日様を頭に浴びていつもの道を歩く。
 しかし心はどうにも落ち着かず、ゾロは昨日の道場でのくいなの顔を思い出していた。
 
 
 今日はクリスマス、という日らしい。
 
 両親を早くに亡くして年老いた親戚の家に身を置いていたせいもあるが、ゾロはその手の行事にはさっぱり関心がない。
 正月くらいはきちんと把握しているが、クリスマスやバレンタインデーなどはクラスの女子がきゃあきゃあ騒いでいるのを何が楽しいのかと眺めているくらいだ。
 それが昨日、いつものように練習を終えて荷物をまとめていたときだ。
 まだ1度も勝てた試しのないくいなが、にこにこと笑いながら近づいてきた。
「ゾロ、明日は何の日か知ってる?」
「あァ?」
 勿論知るわけもない。不審な顔をしたゾロに向かってくいなは呆れたように溜息をつくと目の前に1冊の本を差し出した。
「クリスマスに決まってるでしょ」
 ほら、と渡されたのは子供向けの絵本だった。
 くいなはいつも剣を向け合う時とは全く違う、そこらのクラスの女子と同じようにわくわくした眼差しを向けて笑っていた。
 いや流石にゾロとてクリスマスが何なのかくらいは知ってるのだが、なんとなくこういうときのくいなには逆らい辛いものがある。
「明日は練習を早めに切り上げて、道場でもクリスマスパーティーをやるのよ」
「へぇ」
「朝からツリーの飾り付けとかするんだから、ゾロも手伝ってね」
 そしてくいなはゾロの手元の絵本の、あるページを開いて見せた。
 
 
 ゾロにとっては初めてのクリスマスである。
 別に楽しみだとかそういう感情はなかったが、でもいつもは朝竹刀を引っつかむ勢いで道場に向かっていた道を、今朝は少しゆっくり歩く。
 急いで行くのはまるでクリスマスを楽しみにしているようで、妙に照れくさかったからだ。
 
 少し遠回りをしていこうと、ゾロはたまに自主練習に使っている空き地に寄っていくことにした。 
 家と家との間にぽかりと空いた空間。使いかけの鉄材がそのまま捨て置かれたそこに、破れた鉄柵から身を滑り込ませたその時。
 
 
「ふんぎゃ―――ッ!!」
 
 
 追い詰められた猫のような変な叫びが、空から降ってきた。
「…はァッ!?」
 振り返った瞬間、ゾロの真上の日ざしがかげった。
 ドシン!
 目の前を何かが覆い隠し、重い塊が胸の上に乗っかり落ちてきた。
「!?」
 ぶつかった勢いそのまま、思わずそれを抱きとめた姿勢でゾロはもつれるように背中から地面に転がった。
 ぐしゃぐしゃした布地が顔を覆う。
 それを払いのけるようにゾロは首をのばして、ぷはっと息を吐いた。
 その時。
 
 きらきらっ、と光がゾロの目の前をこぼれた。
 
 
『ゾロ、クリスマスにはね!お空から天使が祝福をくれるんだって!』
『祝福?』
『これよ』
 くいなが指し示した絵本の1ページには、色とりどりの硝子窓の前、真っ白な服を着た金髪の天使が綺麗に微笑んでいた。
 
 
「て、てめッ、取れ!こここコレを!早くッ今すぐッ!!」
 ゾロの目の前、頬にさらさらとあたる金の糸。
 ぱらぱらと散るそれは日の光を受けて、チカチカと目を射す。
 眩しいその光に目をぱちぱちさせて手の中で暴れるそれを抱きしめていたゾロの前に、真っ青なものが現れた。
 白い肌。
 その中から現れた、大きな青い瞳。
 左眼は髪の毛で隠れていたが、やわらかな金髪はそれらを余すところなくゾロに透かした。
「天使……」
 呆然と呟いたゾロの方に、その焦点がふっと合わされた。
 途端にがばっと首ねっこにしがみついてきたのは、おそらく腕だろう。
「なにぼんやりしてやがるッ!取れっていってんだろうが――ッ!」
「取れ…?」
 見ればまあるい金髪頭の向こう、ちょうど肩の下あたりに大きな8本足の…
「これか?このクモ…」
「ぎゃーッとっとと取って放り投げろ!絶対そこで潰したりすんじゃねぇぞ!んなことした日にゃぁ俺がてめぇを生かしちゃおかねぇッ!!」
 ぎゃんぎゃんと耳元で騒ぎ立てる金髪の背中に手を伸ばして、ゾロはひょいとそれをつまんだ。
 ぽいっと草の向こうに放り投げる。
「と、取ったか?ヤツは消えたのか?」
 確認するのが怖いのか、ゾロの首にしがみついたままで金髪が震える声を出している。
 
 
 陽だまりの中に溶け込むような金色。
 首筋に絡む腕は温かく、どこか安心する匂いがした。
 透明で深い色をしたのは、宝石のような青い目。
「すげぇ……」
 それらから目を離せないまま、ゾロは小さく呟いて胸の中にある白い体を抱く腕にぎゅっと力を込めた。
 
 
 昨日くいなが見せてくれたページは、空から舞い降りた金髪の天使が人々の額や頬にキスを与えている絵だった。与えられた人々も、お返しに天使の手にキスをしていた。
 ゾロはそうだ、と思い出した。
 天使が降りてきた時にはキスしなきゃなんねぇ。
 寺や神社に訪れたら手を合わせるのとおんなじだ。
 ぴかっと閃いたその思考は子供ながらに短絡的で、しかも思いっきり明後日の方向を向いていたのだけれど。
 ゾロは思ったら即実行、の子供だったので。
 震える金髪の頭を自分の肩口から離すと、ぐきっと持ち上げて顔を上げさせた。
「ア?」
 胡乱な声を出す天使に向かって、目をつむる。
 
 そしてそのおでこに、キスをした。
 
 
 ぷにゃ。
 
 
 しかしおでこにしては柔らかい感触。
 おや?と目を開けたら、まあるく見開かれた真っ青な目とぶつかった。
「な……なッ!!?」
 かーッとみるみる天使の顔が真っ赤になった。
「てんめぇ何してくれッ……!」
 ぐわっと天使から殺気が脹れあがった。
 かと思った瞬間、ゾロは空き地の端っこまで思い切り蹴り飛ばされていた。
  
 
 凄まじい蹴りだった。
 天地が再び逆転したままどさりと転がりながら、ゾロはその天使を見つめて唸った。
 辛うじて白い布地の下からやはり白い脚が飛び出したところまでは見えたのだが、そこから先はわからない。
 まだまだ修行が足んねェ。
 ううむ、と感心しつつ起き上がったゾロの前で、「ぎゃーッ」っと再び天使が声を上げた。
 今度はなんだと見ていると、しゅうしゅうとまるでやかんからお湯が沸くように、天使の全身から煙が出ている。
「て、てめぇなんだ、どうしたんだ」
 驚いて飛び起きたゾロの前で、天使は頭を抱えて空を仰いだ。
「ちょッ、待てマジか!ありゃタダの伝説じゃなかったのか!こんのクソジジィ――ッ!!」
 頭を抱えて空き地の草原に膝をつき、打ち震えるその体にまとうのはシーツみたいな布一枚。しかも素足。
 傍から見たらどこの病院から脱走してきたのかと疑われそうな姿であったが、あいにく朝早いせいか近所に人の姿はなかった。
 ゾロが見守る中、天使から出る湯気みたいなものはやがておさまり……そしてがくりと金髪がうなだれた。
「オイ…?」
 傍に寄るゾロに、気づいたように天使は顔を上げると
「あー…もしかして君は、レディなのかな?」
 なんて、どこか虚ろな目をして笑った。
「なんだレディって。女ってことか。んな訳あるか」
 片眉をあげて答えたゾロの前で、天使の表情がガラリと凄みを増して変わった。
 
 
「『乙女のキス』の乙女ってのはレディじゃなくて純潔って意味かーッ!」
 
 
 再び空に向かって奇声をあげると、天使はやおらがばっと立ち上がりゾロの胸倉を掴み上げた。
 気づかなかったが、天使はゾロよりもかなり背が高かった。
「テメェのせいで俺ァ人間になっちまったじゃねぇかッ!どーすんだもう帰れねぇじゃんかよッ!ていうか飛べんのかこの体?いや無理だろこのアホ緑に汚されちまった!ていうかまだ天上本部経理担当のナミさんも口説き落とせてねぇし、ビビちゃんの放つキューピッド矢に偶然を装って射られちまおう計画だって未遂だし憧れのロビンお姉さまにだってこれからアタックかける予定だったってのに、のああぁ〜ッ!!」
 
 ぎゃんぎゃん喚き散らす天使の言っている意味は半分以上意味がわからなかったが、とりあえず帰る場所がないってことと、それからその綺麗な青い目が泣きそうにうるんでいたのはわかったので。
 ゾロは天使の両手をふりほどくと、その手のひらをぎゅっと握り返した。
 そしてその青い瞳を真っ直ぐに見返して、言い放った。
 
 
 
「なんだかわからねぇが、責任なら俺が取る!」
 
 
  
 ドーン!と。
 男らしく言い放ったゾロは、くどいようだがまだ12歳。
 これが世に言う一目ぼれであったことにも、まだ気づいちゃいなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ***
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そしてあれから。
 幾度目のクリスマス。
 
 
「おい、起きろ緑苔」
 ぐりぐり、と頬に固い感触があたる。
 ベッドに沈みながらゾロは小さくうめいた。
 これは足の…素足の爪先だろうか。
 動物のようにクンと鼻を利かせて向きを変え、べろりと舐めてやったら「ぎゃっ」と叫びが上がってそれが引っ込んだ。
 すかさずその足首を掴まえて、ふとんの中に引きずりこんだ。
 ばたばたと布団を蹴り上げて暴れるそれを、全身で押さえ込む。
「…このッ」
 文句を言いかけた口を、寝ぼけまなこで探り当ててすかさず塞ぐ。
 少し冷えた口内にゾロの熱い舌が潜り込んだと同時に、抵抗が止んだ。
 
 
「……てめぇってさ」
 しばし無言で熱を奪い合った後、もぞりと布団から顔を出して今も変わらぬ金髪の天使がその青い目でゾロを見上げた。
「なんで毎日こうなんだ」
「あ?何が」
 ゾロも布団から顔を出して、大人しくなった天使の…サンジの体を抱きしめて横になった。
「毎日その…キスしてきたじゃねぇか。あの日からずっと。いっくらテメェがマセガキだったっつてもよ、飽きるだろ、普通」
「あー…」
 ゾロは少し遠い目をして天井を見つめた。
 
 幼い日の自分は、そりゃあ毎日キスをせがんだ。
 サンジの後を追い掛け回して、せがんで、それでも駄目な時は実力行使だった。
 実力と言っても到底かなわないレベルだったので、結局は泣き落としというか、ほぼサンジがほだされる形であったのだが。
 ゾロは金の髪を弄りながら、そのあたたかな感触に鼻先を埋めた。
 一息吸い込んで、そしてゆっくりと吐く。
 
「…てめぇがよ、汚れが落ちたらすぐに空へ帰っちまいそうな気がしてな。洗濯ものみてぇに、俺のキスの効力なんてすぐに浄化されて乾いちまいそうで…」
 言いながら片手を布団の中、サンジの体に滑らせる。
 シャツ1枚しか着ていなかったらしく、すぐにつるりとした素足に触れた。
「…ぁ」
 探り当てた最奥はまだ熱く、昨日のなごりを有してとろりとゾロの指先をくわえ込んだ。
「だからこうして、乾く間もねぇように、毎日俺で汚してやろうってな、そう思ってた」
「んな…アホか…ッて、やめやがれ!朝飯が冷めるだろうが!」
 
 
 何を馬鹿な。と思う。
 そんなことを考えていたなんて初めて知った。
 知らず熱くなる頬を、サンジはゾロの分厚い腕の中でごしごし擦った。
 
 
 本当は、そんなことをしなくたっていくらでも空へ帰る方法はあったのだ。
 それに人間になっても使える能力はいくつか残っていたのだし。
 現にサンジの見かけは、ゾロのそれが同じくらいに成長した今でも一切変わっていない。
 
 
 でもそれを教えたなら、なんで毎日この緑頭のために熱々のオムレツを焼いてやって。
 なんで毎年クリスマスにはケーキとチキンを焼いてお祝いしてやっているのか。
 
 その理由をきっとまともに言うことはできないので。
 
 
 
 サンジは代わりに、執拗に絡みつくゾロの体を思い切りベッドから蹴り落としたのだった。




*END*



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ゾロ誕話の「こごえる〜」という話と、ねっこは一緒です。空から降ってきたプレゼント。
メリークリスマス!