ご め ん |
チチ、と柔らかな日差しの中で鳥が歌う。 小さな庭先、緑の芝生の上、白い丸テーブルには暖かな二人分の朝食が並ぶ。 「うし、お待たせ」 最後にスープのカップを持って、サンジが庭に降りて来た。 ゾロの目の前の席に座ったところで、二人揃って「いただきます」と挨拶をする。 そしてサンジが話す何気ない話題に耳を傾けながら、ゆったりと朝食を味わう。 ネット配信のニュースで見たんだけどよ、氷山の中から出てきた珍しい成分を含んだ花が。 北の海でこの時期にしか捕れない魚があって、是非一度料理してみてぇんだよな。 この前ドラマに出ていた新人女優、電撃結婚だって。 そうそう、東の地区でまたテロだってよ。 流れるように耳に馴染むサンジの声は気持ちよく、ゾロも時折相槌を打ってはよく笑うその顔を眺める。 これがここ半年、繰り返されて来た穏やかな1日の始まり。 ゾロ自身、目的を忘れてしまう程、ずっとこんな日々が続くのかと思っていた。 「――俺ァ今日で、ここを出る事になった」 チチ、と鳥が鳴く。 カツン、と空になった皿にフォークを置いてサンジの顔を見たゾロを、奥深く澄んだ青い目がじっと見返す。 夢の世界が現実味を帯びる。 繰り返される毎日。 太陽と同じ成分を含んだ人工照明は、明日も同じ時間に朝日を模して、穏やかにこの庭を照らすだろう。 遺伝子操作された鳥は恋の季節を意識する事もなく、年中同じメロディーを歌い。 そして。 サンジは小さく青い目を瞬かせると、へぇ、と呟いた。 「そりゃ随分急だな。今度は何処へ行くんだ」 明日この白いテーブルには、ゾロの代わりにやってきた別の人間がこうしてサンジの作った朝食を食べ、にこやかに笑う彼の声を聞くのだろう。 先ほどまでの何気ない話題と同じ。珍しい出来事の事実を淡々と述べる声に、驚く様など見られない。 そんな事実は百も承知なのに、ゾロは小さな望みをそこに見出そうとしてしまう。 サンジの硝子のように綺麗な瞳が、僅かでも揺らがないか。 自分に対して何かしら興味のようなものを、抱いてはくれないか。 それは自分がサンジに対して、どうにもならない気持ちを抱いてしまった故のエゴに過ぎないのだが。 ゾロは小さく息を吐くとサンジから目を逸らし、胸ポケットにから小さな包みを取り出した。 「これを」 「……?」 手を出したサンジの上で、素っ気無い紙袋の中身がシャラリと音をたてる。 「誕生日なんだろ、今日」 「あー…そういや、そうか」 サンジは袋から滑り出てきたものを持ち上げると、光に透かした。 「へぇ……綺麗だな」 サンジの瞳に似た、深い青色の石が付いたネックレス。 石の価値はわからないが、偶然手元に入ってきた原石を知り合いの手先が器用な奴に加工して貰ったものだ。 サンジはふーん、とその石を色々な角度から眺めながら、ハッと気づいたようにゾロの顔を見た。 「あ、悪い、こういう時はこう言うんだよな」 そしてサンジはふわ、と花が咲くように笑った。 「ありがとう、ゾロ――凄く、嬉しい」 「……ッ」 教育プログラムの賜物なのか。 にこり、とろけるように笑ったその顔は、演技であるなどとは到底思えない出来栄えだ。 いや、正確には演技ではないだろう。 けれど決してその表情は、サンジ自身の想いに合わせて自然に作られたものではない。 受け取る側の人間は、こんなにも心動かされるのに。教えられた通りに「人間の喜怒哀楽」を実践するサンジを考えれば、それは酷く残酷な仕打ちだ。 しかしその怒りをサンジ自身にぶつけても仕方のない事。 生まれた時から持ち合わせていないものを責めた所で、一番傷つくのはサンジだ。 もしかすると「傷つく」事すらわからないかもしれないけれど。 それでも勝手に勘違いをした周りの感情を、ぶつけられて来た事が多々あったのも事実だろう。 ゾロは感情を押し殺すと、サンジに笑い返した。 一軒の大きな屋敷の正門。ぐるりと四方を高い壁に囲まれた中、唯一開いた出入り口がここだ。 外見だけなら軍の厳重装備が敷かれた施設だとは到底思えない、サンジの為だけに建てられた要塞。 研究施設という名の牢獄。 「じゃあ元気でな。風邪引くなよ」 テーブルを片付けた後、見送りに門まで出てきたサンジが初めて会った時と変わらない調子で笑った。 毎日この家まで足を運んで来たゾロなので、身一つで何も持っていない。 いや、この門をくぐる為のIDカード以外、武器は勿論服装に至る全てをチェックされるので何も持ち込めない、のが正しいが。 ゾロは扉の前まで来ると、振り返ってサンジを見た。 きょと、と青い瞳が不思議そうに見返す。 「お前も……元気でな」 ゾロは小さく笑って、サンジに手を伸ばした。 その白い頬に触れかけて、やめる。 代わりにその柔らかな金髪に、すい、と手を差し入れて逃がした。 これでもう二度と会うことはないだろうが、それに対してこうして感傷を抱くのは自分だけなのだろう。 感情のないサンジに、それを求めるのが間違っているのはわかる。 手に入れる事など叶わない花。 自己満足だ、けれどこうして身近で触れ合えた事を、自分は忘れる事なんて出来ないだろう。 「じゃあな」 サンジには絶対出る事の叶わない境界線。屋敷と外の世界とを隔てる、目には見えないそのライン。 自分さえ、一度出てしまえばもう二度と入ることは容易ではないその門の外に向かって、ゾロは腹に大きく呼吸を入れて覚悟を決めると一歩、踏み出した。 「……ゾロ」 ふ、と。背後で声が掛かった。 緩やかな一秒。 その間に、ゾロの両足は境界を跨ぎ外の世界に降り立った。 ガシャ、ガシャ、ガシャン。 滑らかに門扉の上下左右から突き出てきた銀の棒が、振り返ったゾロとサンジの間に一瞬にして再び格子の壁を作る。 「ごめんな」 檻の向こうで、サンジが穏やかな声で笑った。 「……?」 その声の微かな違和感に、ゾロは振り返ったままサンジを見つめた。 銀の柵越しに見えるサンジは、いつもの表情をしていた。 けれど、ぎゅ、と胸元に何かを握りしめている。 その指先から首へと続く金色の細い鎖は…いつの間に身につけたのか、先ほどゾロが送ったプレゼント。 「ゾロ」 嬉しいと言った、先ほどのあの顔でサンジがもう一度笑った。 「俺……お前のこと」 すきだった。 続く言葉に声はなく、唇が数文字を形作る。 綺麗だといつも思っている青い瞳がゆらゆらと輝き、薄く盛り上がった膜からす、と光が溢れ落ちた。 輝きはサンジの白い頬を伝い、首元で握りしめられたままの手の甲に消える。 「……ッ、…!?」 信じられない光景に、驚きに目を見開いたたままゾロは言葉を失った。 「うわ、なんだこれ」 サンジが驚いたように、慌ててもう片方の手で自分の目から流れ出たものを拭う。 しかしそのすぐ脇から現れた白衣を来た男達に手を取られ、止められた。 始終監視カメラによって行動はチェックされているので男達の登場に驚きはしないが、その態度からゾロは悟った。 「拭わずにそのままで。すぐに検査室へ」 サンジを囲みながら、男達はそのまま屋敷へと踵を返す。 「おい、待て…ッ」 遺伝子の病で子供の誕生が難しくなり、人類が減少の一途を辿るこの世界。 子孫を残せるよう遺伝子を掛け合わせプログラムし直し、より安全にそして正確に人類を生産しようという計画の元に生み出された実験体。それがサンジたちだ。 まだ実験が始まって二十年も経って居ない為にその寿命は未知数だったが、知能や身体機能は普通に産まれた人間と変わらない。 けれど決定的に欠けていたもの――それが感情。 心を持って産まれた個体は未だ実例がなかった。 なのに、サンジは今泣いていた。 「……ッ!」 うっかり触れば高圧電流が流れる正門の柵が、ゾロの伸ばした手を阻む。 何時からだ。研究所は、サンジに感情が芽生えていたのを知っていたのだ。 ゾロの急な移動も全て仕組まれていたのだ。 「サンジッ……!」 屋敷の扉をくぐる前、僅かだけゾロを振り返ったサンジが目の奥で小さく笑った、ような気がした。 そして重い扉は閉ざされた。 雑多なゴミだめの様な無法地帯の裏路地。 所々色も剥げて電飾も切れかけのネオン看板を蹴倒し、その地下へと続く細い道を足音も荒く降りて来たゾロを、受付のボンテージ風の服を着た女性は驚く事もなくゆったりと煙管から煙を吐いた。 「いらっしゃい。どの子にする?」 赤く塗られた唇が気だるげに問い、手元の写真をマニキュアの指先が指す。 しかし沢山並んだ女の写真の上にドン!と拳を乗せ、ゾロは凄んだ。 「ネコを出せ」 「…そんなコうちには居ないわ」 ふ、と煙を吹いた女を、ゾロはギラギラとした目で睨んだ。しかし彼女は動じる様子もない。 「オレンジキャットだ…ここに居るだろう。繋げ。魔獣が来たと言えばわかる」 荒い息の男を見て女が小さくため息を付いた時、彼女の手元の内線が鳴った。 「ハイ」 『見てたわ、あげて』 どうやら入り口に設置されていた監視カメラを見ていたらしい。オーナー直々の言葉に、女は煙管を口に咥えたまま腰を浮かせた。 後の壁に掛かっていた鍵から、733と書かれたキープレートをゾロに渡す。 「ごゆっくり」 ゾロは鍵を奪うようにして受け取ると、急いた足取りで店の奥へと向かった。 古くて薄暗い、濃密な空気の中に小さな扉が沢山並んでいる。 所々で小さな嬌声が飛び交う中を抜け、ゾロは目的の部屋を開けた。 ほぼベッドだけの小さな部屋だった。誰も居ない。 ぐるりと首を巡らせたゾロの前で、まるで見ていたかの用にギィ、と音を立ててベッド下の床の一部が開いた。 そこから続く、細い下り階段。 ゾロはその中へと足を踏み入れた。 「あの施設をぶっ潰す」 オレンジキャット――そうコードネームで呼ばれているナミの顔を見るなりいきなり告げたゾロに、彼女は呆れたように口を開けた。 「あんた……」 痛むように頭を押えて、ナミは震える拳を握った。 「それが出来たらこんなに苦労してないのよ!なんで私たちが今まで散々アンタへの協力を申し出たと思ってるの!!」 所謂レジスタンス、ナミは数あるそういう組織の一員だ。 普段綺麗に手入れしている爪を噛みながら、イライラと狭い部屋の中を歩く。 「第一今までまるっきり興味ないみたいな顔しておいて、何で今更」 「気が変わった」 「はぁ?!」 ゾロは元軍上がりの、腕の立が只の傭兵に過ぎない。 雇われればどんな事だってするしその成功率も揺ぎ無いが、けれどこの世界には決して一人では突破できない扉も沢山ある。ただ戦闘能力が高いだけでは、駄目なのだ。 今あるツテの中で、ナミの居る組織と情報力がゾロの目的の扉をこじ開ける力を持っている。そう踏んでの事だった。 二度と触れなくてもいい、そう思っていた。 ナミではないけれど、サンジのあの表情を見たからって、それこそ今更だ。 例え始終監視されていたって、奪うだけのチャンスなら沢山あった。 けれどそうしなかったのは、ゾロのおごりだ。 サンジには自分の気持ちなどわかるはずもない、そう決め付けて、アイツの心を考えようともしなかった。 ああしてマニュアル通りに笑う顔の下で、一体どれだけのものを押し殺していたのだろう。 ゾロは奥歯を噛み締めると、溢れ出そうとする力を拳に乗せて殺した。 腹の底に渦巻くこの感情の大半は、自分自身への怒りだ。 ナミがはぁっとこれ見よがしにため息をついた。 「あの施設で何があったのか話しなさい。いい、隠さずによ。協力するかどうかはその後。……だからそのダダ漏れの殺気、止めなさい!ヘタな早漏より性質悪いわ!」 盛大に切れて、ナミはどかりと椅子に座ると長い脚を組んだ。 ゾロの拙い説明を聞き終わって、ナミは再びため息をついた。 そして真っ直ぐな瞳でゾロを見つめた。 「サンジ君、ね……下手をするとその子、消されるわよ」 「なんだと…ッ」 思わぬ言葉にいきり立つゾロの前で、淡々とナミは告げる。 「軍内部は今、徐々に兵士生産の方向に議案を持って行ってるわ。もしここで彼らに感情の芽生える可能性があるって事が証明されたら、厄介に思う人間が出てくるはずよ――あるいは政府そのものが」 「――どういう事だ」 サンジ達造られた新しい人間は感情が欠落している。 喜怒哀楽が抜けているという事は凶暴性や戦闘衝動などの危険性もないが、その実肝心な生命や繁殖への固執もない。 そして軍は気づいたのだ。 自らの欲求や衝動はないが、言い方を変えればそれは僅かな本能以外に恐怖心も無く、邪魔な懐疑心や情けといったものもない。 つまり教育プログラムさえ施せば、命令に一切の躊躇を覚えない、素晴らしい兵士が出来上がるのではないかと。 「ネックだったのは彼らが通常と同じスピードでしか成長しない事だったらしいけど、ね」 それでも十に満たないうちに戦ってる子供はごまんといるから、この世界では。 どこか遠い目をして言ったナミは、何かを考えるようにした後壁際の机にあった内線を回した。 「コマドリに至急の繋ぎを」 出た相手にそれだけを言って、ナミは連絡を切った。 「……作戦を練るわ。アンタには、こっちの言う事に全て従って貰うからその覚悟でね」 「ああ何でもしてやる――アイツさえ、あの檻から出せるのなら」 言い切ったゾロに、ナミはそこで初めて小さく笑った。 「本気で惚れたのねぇ、アンタ」 「……」 虚を突かれたように目を開いたゾロに、ニヤリと笑う。 「惚れ……」 「うわ、アンタまさかそれも今更なの。嫌だちょっと赤くなるとかそんな気持ち悪い顔見せないでよ!」 ナミにわめかれ、ゾロは渋々部屋の外へ出ると小さく拳を握った。 「待ってろよ、サンジ」 涙なんかじゃなく。今度会う時は本当の笑顔をアイツにくれてやる。 ――そう誓って。 |