ある営業の風景
-------------------------------------------------------------------------------
 
 
午後の営業課は結構まったりとしている。
 内線と外線のちょっと発信音の違うコールがひっきりなしに掛かってくるものの、主な営業マンが大抵外に出払ってしまうためだ。
「サンジさん」
 今日は午前から早々に2件得意先を梯子して2時過ぎに本社に戻ってきたサンジは、そこで同じ課の社内事務担当のビビに呼び止められた。
「ん?どしたのビビちゃんvアフター5のお誘いなら今日はバッチリだよぅ〜v」
 社員の行動予定表が書いてあるホワイトボードで自分の欄に張られた外出中とかかれたマグネット札を引き剥がしていたサンジは、その一声にクルクルと回転しそうな勢いで軽やかに振り向いた。
ビビは小さく笑って、しかしそのまま眉を困ったように寄せてサンジを見あげた。
 そんな動作もかわいらしいなぁ〜と目をハートにしながら、サンジは両手を組んで次の言葉を待つ。
「あのね、それがさっき内線があって、今日の午後サンジさんに急に回って欲しいところがあるの」
「内線?ドコから?」
「社長から…」
「社長、から……?」
 サンジの笑顔がカチンと固まった。そんなサンジの様子を予想していたビビが申し訳なさそうに苦笑する。
「まさか……」
「ええ、例のお得意様のところなんだけど…3時にアポをとっているらしいの」
「面子は…」
「勿論、ロロノアさんも一緒よッ」
 なぜかその台詞だけグッジョブとでも言いそうにビビの声が力強く、そして目も輝いていたのだが、がっくりとうなだれたサンジの目には入っていなかった。
「直帰していいですから」
 などとあまり救いのない慰めを背中に貰い、サンジは鞄を力なく掴むとよろよろと本社のロビーに向かってフロアを出た。
 そこで先に自分を待ちながらおそらくは眠りこけているであろう緑頭に、せめて飛び蹴りくらわして気を晴らしてやろうと思いながら。
 
 
「お、きたきた。ようこそ〜v」
 古いビルの、一人すれ違うのがいっぱいいっぱいの小さい階段を上った先にある、やはり古ぼけた鉄のドア(看板は随分前に剥がれ落ちたのかうっすらと跡がのこっているだけだ。会社たるもの看板くらいちゃんと掲げるべきではないのかと思うが、心配するだけ馬鹿を見るので決して口には出さない)をサンジが押し開くと、陽気な声が中から飛んできた。
「シツレイシマス」
 一応営業なので定番な挨拶をして中に入る。しかし台詞は棒読みだ。ついでに顔もめちゃめちゃ嫌そうにしかめられているのだが、まぁそんなことはご愛嬌。相手も気にした様子はなく両手を広げて、文字通り本気で広げて迫ってきそうな勢いだったのでサンジは一瞬開けた扉を閉めてしまいたくなった。
しかしすぐ背後にいたゾロに「何やってんだ」と小突かれ、チッと舌打ちしてしぶしぶ部屋に入る。ゾロは無言でその後に続いた。

 まるで探偵ドラマによく出てくるような、雑多に荷物の積み上がった小さな応接室兼事務所だ。
 窓に面した大きなデスクに腰掛けていた真っ赤な髪の男が、腰を上げて近づいてくる。
 この会社の社長だというその男には左眼に熊と格闘でもしたかのような傷があり、顔には無精ひげが散っている。これだけでも一般人には見えない人相なのだが、極めつけに今日は着ているシャツがオレンジに赤いハイビスカスの派手なアロハだった。ますますカタギには見えない。
 デスクの前にあるでかい応接セットの、所々革の禿げた椅子には背の高い男が背を丸めて小型のノートパソコンを広げてカチャカチャと何かを打ち込んでおり、来客にも動じず黙々と作業をする様は真面目とも言えるが、いかんせんそのシャツもアロハだった。
 げんなりした目でそれを見ていたサンジに気づいた赤髪が、うきうきした声で
「あ、気づいた?ベンちゃんとお揃なんだよこのアロハv」
 とか言いつつベンと呼ばれた男の肩を組んでピースする。
 いやそこは気づきたくもねぇよ、と顔を引きつらせるサンジの脇で、ふわぁとゾロがあくびをした。腹立ち紛れに思い切り肘突きをくらわせると「ぐふぉッ」と間抜けな声が上がる。
 社長の奇行に慣れているベンは、突然肩を組まれてもパソコンに向ける視線と手が外れることはない。それどころか「騒がしくて悪ィな、まぁ座れ」と2人を促すあたりこの会社で唯一の常識人だ。
 とは言えいつ来ても社員と呼べるのはこの2人だけで、一体何の会社なのやら胡散臭いことこの上ない。
 社長のミホークと赤髪の、名をシャンクスという男は古くからの知り合いらしいのだが、むしろ何かの出入りのある「事務所」と言われた方がしっくりくる。
「座り心地の悪いソファでごめんねー、あ、サンちゃんコッチ座る?」
 皆が椅子に腰掛けると、すかさず目の前のオヤジが笑顔で自分の膝をパンパンと叩く。
 どこの店だそりゃ、と顔をしかめつつサンジはそれを綺麗に無視して鞄から今回の説明資料を取り出した。
 ゾロの眉だけがピクリと動いたが、それに気づいて面白そうに笑ったのはシャンクスだけだった。
 
 
 サンジ達の会社は、ネット上で広いシェアを持つ大手通販会社である。
 電脳世界のホームセンターと称して、家庭用品から日曜大工道具、娯楽用品に至るまでなんでも取り揃えているのが売りである。
 その影にはこうして商品を卸してくれるよう各ジャンルの会社を回り、商品販売を当社に任せてもらえればどれだけの利益が見込めて、またどういう客層が付くのか等々を説明する営業の努力があるのだ。
 シャンクスの会社は排水回りの部品を扱うという、ジャンルで言えばちょっと特殊な工具用品だ。あまり需要の多さはないものの、逆に言えばネット上で取り扱うところは少なく強みにはなり得る。
 会社の名前は営業のサンジとてさっぱり聞いたことがなく、この事務所の様子を見てわかる通りまともな商品を扱っているのかも疑わしいのだが。
 しかし社長の友人ということで、無下に断る理由など下っ端社員に作れるはずもない。ましてアポも契約を結ぶか否かも全てミホークに直接交渉なのだ。となればサンジ達はただしっかりきっちり手持ちの資料について説明してくるしかない。
 しかし。
 サンジにとって最も頭が痛いのは、変な髪の赤いオヤジでもデキレースのような営業でもなく。相手の指定する営業マンの面子なのである。
 ゾロとサンジ。
 必ずこの2人に指名がかかるのだ。
 
 営業マンというのはよほど大手会社相手じゃない限り1社につき1人で担当するのが普通である。勿論経験が浅いうちは先輩が指導につくが、同期で同じシマを担当するなどということは滅多にない。だから相手の営業手腕など、耳にすることはあっても目にする機会などはない。
 シャンクスはどこからか会社が新しいサービスやシステムを打ち出すのをいち早く聞きつけてはこうして2人を呼びつけて説明させるのが好きらしく、一体何が面白いのかこうして呼び出されるのももう何度目だろうか。
(出張ナントカと間違えてるんじゃねぇだろうな)
 もしくは単に話し相手が欲しいとか。…充分にありえる。
 とりあえず私情と仕事は別ものだ。派遣されたからには仕事はきっちり行うのが主義である。
 気を取り直して、サンジは今回ネット上販売促進の為に新しく導入したシステムの説明を始めた。
 
 
「で、ゾロくんはどう思うの?」
(……きやがった)
 サンジは笑顔のままピクッとこめかみを引きつらせた。
 サンジがあらかた説明を終えて一息ついたあたりで、毎回必ず差し込まれる質問がある。
 それがこれだ。
 シャンクスはどこか面白そうな顔で、サンジの横で座っているゾロの顔を見る。
 ゾロはサンジが説明している間は始終黙ったままだったのだが、そこで初めてパンフレットの1部を指し示した。
 そして重々しく口を開く。
「……このシステム、まだ不完全なんじゃねぇのか」
 それもシャンクスではなく、説明をしていた仲間のサンジに向かって。
「あァ!?」
「えぇっ?サンちゃんてばさっきのあの信頼を誘う言葉は嘘だったのッ」
 途端にどっから取り出したのか白いハンカチを噛み締めて叫ぶシャンクス(絶対に顔は面白がって笑いを堪えているに違いない)を尻目に、サンジは隣の緑頭を思いっきり振り睨みつけた。
 
 いつも、こうなのだ。
 サンジは決して、ここにペアで営業に来るのが嫌な訳ではない。
 相手がこのゾロだから、嫌なのだ。
 
 サンジの営業が笑顔と話術で行われるものだとすれば、ゾロの営業は対極だ。笑顔もなければ媚もない。淡々と無愛想に説明するだけだが、そこに嘘は絶対に含まれないのだ。
 それゆえ信用がおけると客先に定評があることは、サンジも噂で聞いていた。
 だがそれが自分の営業内容にケチをつけるような形になるのには、我慢ならない。
「…なんだと?もう一度言ってみやがれ」
 営業スマイルから一転して低いドスの聞いた声に変わったサンジが、じろりとゾロを見る。
「だから、このシステム2週間前の実地テストでサーバに負担かけ過ぎてダウンしただろ。まだ売り込むのには早いんじゃねぇのか」
 この言葉にぷちっと頭に来たのはサンジである。
 サンジだって別に営業内容に嘘を織り交ぜたりはしないのだ。
「……ああ、確かにダウンしたさ。でもな、あのあとシステム部のウソップたちが寝ずに立て直して、もうちょっとシステム軽く構築し直してくれたんだよ!この前見たらあの自慢の鼻がしおれかかってたぜ!そんで第2回目のテストも実施済みだッ」
「…待て、そんなん聞いてねぇぞ」
「なんで聞いてねぇか教えてやろうか……?」
「あ?」
「てめぇが一昨日まで出張先の九州で迷子になってたからだろうが――ッ!」
 
 サンジの叫びにシャンクスがぶわっはっは、と大きく噴き出した。
 ゾロはまさかそんなことを暴露されるとは思ってもなかったのだろう、心なしか赤らんだ顔でガタンと椅子を立った。
「てめッ、それは迷子じゃねぇ!うっかり営業先の課長と飲んでたら取ってた飛行機に乗り遅れてだな」
 サンジも負けじと立ち上がってゾロの胸倉を掴む。
「だからってどうしてそこで列車に乗っちまうんだよ!大人しく飛行場にいりゃいいじゃねぇか!」
「うるせぇ!コッチだって早く帰ろうと焦ってたんだよ!」
「じゃぁ福岡にいたのに気づいたら熊本ってのはなんだ、ちゃんと行き先見て乗りやがれ!なんで東京から遠ざかってんだよ!」
「行き先なら見た。どこだかわかんなかっただけで」
「だ――ッ!何だそりゃ!偉そうに言うんじゃねぇッ、JRと九州に謝りやがれ!てめぇがそんなだから……」
 
「あーはいはい。お前ら、そこまで!」
 このまま表へ出ろとでも言わんばかりの言い合いを打ち切ったのは、シャンクスの笑い声だった。
「もういい、わかったわかった。お前らホント見てて飽きねぇわ!」
 腹を抱えてひーひー言ってる髭オヤジにようやくここが客先だと思い出して、サンジは舌打ちするとゾロのシャツから手を離した。
「とりあえずさっきのシステムは、不安定だけど期待も大きいってことだな。参入するかどうか考えとくから」
 くつくつとまだ笑いながらシャンクスが取りまとめる。
 これで本日の営業は終了だ。
 サンジは小さく溜息をついた。
 ゾロもしぶしぶ椅子に戻り、サンジともども軽くお辞儀をして持ち帰る資料をまとめ始める。
 ここへ来るといつもこの調子なのだ。
 ゾロと大喧嘩しては、シャンクスの良い見世物になっている。毎回綺麗に説明だけしてさっさと引き上げようと思っているのに、最後に必ず自分に向かってこぼされるゾロの突っ込みが余計な引き金になるのだ。
 やりきれない溜息が再び漏れたサンジに、
「一服するならアッチでやってくれ」
 とベンが部屋の奥の給湯室を指し示した。
「……それじゃ、ちょっとお借りします」
 荷物のまとめ作業はゾロに任せて、サンジはよろよろと席を立った。
 
 
 給湯室には小さなベランダへのガラス戸がついていて、そこにスタンド式の灰皿を目にしたサンジは扉の外に出た。
 灰皿と人間一人が出ればもういっぱいと言った感じの、小さなスペース。
 回りのオフィスビルの隙間からJRの高架線路が見えた。横切る銀色の車体とともに、耳慣れた電車の音が聞こえる。
 頬をなでる風が気持ちいい。
 サンジは胸ポケットから箱を取り出して一本咥えると、ライターを取り出した。そこでガチャっと後の扉が開いた。
 のそりと現れたのはゾロである。
「何でテメェまでコッチ来んだよ、…ッてこの」
 狭いじゃねぇかと不満を言うサンジを無視して、ゾロはぐいぐいと扉越しにサンジの体を押して自らも外に出てきた。体格のごついゾロなので、並ぶと狭いスペースは本当に寿司詰め状態になる。2人の体の隙間には拳一つ分くらいしか入り込める余裕がない。
「てめぇが付いて来いって言ったんじゃねぇか」
「言ってねぇよ!」
「そういう目してた」
「……なんだそりゃ」
 ゾロはふてくされたように唇を尖らせるサンジの手からライターを取ると、口元に掲げた。
「ん」
 サンジは慣れたように、そのままゾロから火を受ける。
 大きく吸い込んでフーッと息を吐くと、白い煙があっという間に風に散っていく。
 煙草を持ったままのサンジの手首を、ごつくて大きなゾロの手が掴んだ。
 そして煙を吐き出したまま突き出されたような形のサンジの唇に、ちゅっと自分のそれを重ねる。
「…ん」
 一呼吸おいて離れたその感触に、口の端っこを少し緩ませてサンジは解放された手で煙草を咥えた。
 サンジにしかわからない、ゾロの『悪かった、ごめん』の合図だ。
 ここの営業に来た帰り、やはりいつも繰り返されるお馴染みの行為である。
 
 サンジは小さな塀から手をぶらぶら出して通りを眺めた。
「どうせ営業に行くならよー、ああいうでっかい会社がいいよな」
 どこか拗ねていた表情は、すっかり元通り緩んでいる。
 それを確認してサンジの目線を追えば、行き着いたのはすぐとなりにそびえ建つ高層ビルだ。
 広いエントランスの植え込み横に、誰しもが耳にしたことがある有名な住宅販売会社の名前が大きな黒曜石の看板に彫られている。
 営業としては大きな会社を任されてみたいと思うのが当たり前なのだろうかとゾロが考えていると、サンジの狙いはどうも違ったらしい。
「だってよ、通ってるうちにかわゆい受付け嬢とお知りあいになれるんだぜ〜v」
 ハートの煙を吐きながらアホっぽく揺れる黄色い頭に目線を移し、ゾロは何とはなしに呟いた。
「俺はテメェとならどこ行ったっていいけどな」
「……」
「オイ、今日は直帰できんだろ。このままお前んちでいいか」
 答えの代わりにすぱすぱと煙を吹き上げるサンジの耳がほんのり色づいていたので、ゾロは満足げに笑みをこぼした。
 
 
 
「あーやっぱこいつらいいなぁ〜」
 肘掛椅子に器用に体育座りをしたアロハシャツの親父が一人、さっきから何やらうきうきしている。
 ベンは小さく溜息をついた。
 指をくわえるようにして見入っているのは窓際のデスクに設置されたパソコンだ。
 そこには今しがたの狭いベランダでの2人の様子がバッチリ映し出されていた。
 音声まではっきりとベンの耳にまで聞こえるそれは、単なる出歯亀を通り越して明らかに盗撮だ。だがシャンクスに言ったところでこれは防犯カメラだと言われるのはわかっているので、ベンは手元のノートパソコンを片付けると黙ってシャンクスの首根っこを摘み上げた。
「こいつらウチに欲しいなぁ、ミホちゃんに言ったらくれるかな」
「無理だろ。もういい加減もどるぞ。まだ就業時間内だ。オラさっさと帰り支度しろ」
「えー俺もサンちゃんと一緒に直帰したい〜」
「今日はこれから役員会議だろーが」
 
 広いと落ち着かないというシャンクスのわがままにより、遊び場兼休憩所として建てられた別室。
 
 サンジもまさか、今営業に行きたいと言っていた隣のハイテクビルの社長室とこのボロビルが専用エレベータと地下通路で繋がっているとは思うまい。
 
 ましてあのビルのトップが、この目の前で可愛いこぶりっこしている髭面のアロハおやじだとは、更に夢でも思うまい。
 
 
 ベンは心の中で2人の不運をそっと悼むと、プチンとパソコンの電源を落としたのだった。




*END*


-------------------------------------------------------------------------------
 営業シリーズ第2弾でした〜。
 電車からみえた小さな古いビルの、人1人出るのがやっとってくらい狭いベランダでサラリーマンが煙草ふかしてるのを見て
 妄想しました。
 あんな狭い場所ならわざわざ2人で出るだけでイチャラブしてるふうに見えてしまふ…!と。私のきかっけこんなんばっかやね。