How To Cool!
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 島影は遥か遠くの幻。照りつける太陽。頭上にそして目の前にただ広がる青、青、青。どこまでも真っ直ぐに空と海を分けている水平線。
 GM号羊の船首をまだ見ぬ未知の島に向けて、ざっぷざっぷと白波を掻き分け今日も順調に進んでいる。
 ……のだが。
「あっちー……」
 日差しを避けるように階段下の小さな影にうずくまっていたウソップが、自慢の鼻のように全身をだらりと長く伸ばしてのたまった。
 首にぶら下げている『ウソップ工場謹製、小型涼風送装置』平たく言えばちっちゃな拳サイズの扇風機が、ウィーンと蚊の鳴くような声をあげて細々と前髪を揺らしている。
 じりじりと焼け付くような日差しの中、甲板の木の床はまるで調理中の鉄板のように陽炎が立ち昇っているのが見える程だ。
「ほんと、今日はまた一段と暑いわねー……」
 ナミも、いつも表情を崩さないロビンすらも気だるげにパラソルの下で視線を遠くにさ迷わせている。
 海域は夏島、それも熱帯にログポースは指針を向けているらしく、ここ数日の気候はうなぎ昇りだ。
 しかも無風。
 こんな日はとてもじゃないが蒸し風呂状態の船室にはこもっていられない。
 メリー号には暖房はあるものの、冷房という気の利いた設備はないのである。唯一の冷房器具は冷蔵庫くらいなものだ。少しでも風の通りが良くなるようにと、キッチンや格納庫の扉も開け放たれているのだが、結局は皆直射日光が当たれども少しでも空気の流れのある甲板に出てきているのだ。
 かといってここはどこまでも広い海の上。船上には陽射しを遮る物など何も無く、甲板は直射日光を受けてまるでフライパンのように陽炎を立ち昇らせていた。
「サンジぃ〜〜水ぅ〜」
 さすがにルフィもいつもの特等席であるメリー号の船首から降り、キッチンの扉の前でのびている。しかしキッチンの主の姿はそこには無く、床に大きく『無断で水飲んだら夕飯抜き!』と張り紙が置いてあるのみ。ルフィはその紙をもぐもぐと今にも食いつくしてしまいそうな程噛み締めながら、だらだらと転がっていた。
 というのもつい先ほど広い海上で限りある真水を、ルフィが1滴残らず飲み尽くしてしまったからなのである。この暑いさなか男連中が交代で汲み上げを行ったがろ過にはまだ時間がかかる。ただでさえ広い海上では食料以前に飲み水の確保が最重要であるというのに。だから急遽、食料に合わせて水までもコックの許可が無い限り無断で持ち出すことは禁止となったのだ。
「サンジぃ〜〜何処だ――?」
 ずりずりとイモムシのように胸だけで這いながら、キッチンを探し回ったルフィがだらしなくベロをだしながら外に這い出す。
 ナミですらもうその呟きに突っ込みを入れる気力すらない。
 
 と、バタン!と音を立てて男部屋の扉が開いた。クルーの目線が自然と甲板に注がれる。
 甲板にすばやく上がった男は妙にキチンと扉を閉めて、そこからスタスタと早足で後方甲板に向かって歩き出した。
「ゾロ、あんたそんな所にいたの。頭沸かない?」
 ナミの一声に、ぐったりと伸びていた一同が同様の感想を持った眼差しを向ける。現にゾロは見ていて暑さが増すくらいびっしょりと汗をかいている。締め切った男部屋などきっとサウナに等しい。
「問題ねェ。何でもねぇ」
「あんたそれが何でもないって顔?」
 顔中から汗を滴らせ、何故か緊張した面持ちのまま目線を泳がせるゾロに、ナミが不審の目を向けた。
 とその時。
 バターンッ!!
 もの凄い音と共に男部屋の扉が勢い良く吹っ飛んだ。
 真っ青な空をバックに2m程宙を舞った扉は、そのまま綺麗に弧を描いてズン、ガコン、という重い音をさせて甲板に落っこちる。というか甲板にめり込んだ挙句に端っこにヒビが入って倒れた。
「〜〜〜〜ッ!」
 愛しのメリーに新たに(文字通り)刻まれた輝かしい航海の日々の産物に、ウソップが涙と共に声にならない叫びを上げる。しかし日陰から出ること叶わずに、力尽きて倒れた。
 そして男部屋の奥からゆらりと現われたのは。
「何処行きやがったクソ剣士ィ〜〜?」
 地を這うような背後からの声に、ゾロの顔がひくりと引きつる。
 ごごご、と地鳴りのような目に見えない黒いオーラを背負いながら中から現われたのは、サンジ。黒いジャケットこそ脱いでいるものの、長袖シャツから覗く肌はやはり汗だくで、そして何故か顔が赤い。
 ゆらりと甲板に立ち上がったその姿の背後には、陽炎とは別のものが立ち昇っているのがクルー全員の目に確かに見えた。
ドスン、ドスン、と一歩ずつ床板を踏み抜かんばかりに震える足音。メリーの悲鳴にウゾップが再び意識を覚醒させるが、そこに魔人の姿を見つけてそっと諦めの涙と共に再び床に頬擦りした。
「……ゾロ」
「……」
 じとりとしたナミの視線に、ゾロは遥か遠くの海原を見ながら今日は良く晴れてるな、と答えた。
「ん?なんだおまえら暑いのか?だらしねえなぁ〜〜」
 サンジがふと回りのクルーに気づいて、何が面白いのけたけたと笑いだした。時折ヒック、と喉を鳴らす。
「……どうしたんだサンジ、ついに暑さでおかしく……」
 ウソップの言葉に、キッチンの上空のみかん畑がもぞもぞと動いた。
「……何だこの匂い…すごい酒くさいぞ…」
 這い出しながら顔を覗かせたのはチョッパーである。全身毛皮でしかもこれ以上薄着の出来ないトナカイは特に暑さの影響を受けており、一番日陰の多いみかんの木の下の特等席にいることをナミより許可されていたのだ。もっとも見ているだけで暑苦しいからクルー全員の目から隔離されていた、との理由もあるのだが。
「凄いなお前、さすがトナカイ……」
「チョッパーじゃなくても良く見ればわかるでしょ」
 ぐったりとつぶやくウソップにナミもぞんざいに答える。そう、サンジの白いシャツは所々赤紫のしみができているし、目も虚ろで肌は上気し完全に酔っ払っている。
「男部屋には酒なんかなかったはずだけど…?」
「なんでもねぇ、ただの喧嘩だ」
「……盗品を摘発されたってわけね」
 それでもみ合ってるうちにサンジくんが自棄になって飲んじゃったのかしら、それともお口に無理やりツっ込んじゃったの?にっこりと笑いながら、どこか卑猥にも聞こえる台詞を吐きながらナミがゆらりと席を立つ。そして拳が振り上がり、ガン!と大きな音がしてゾロが頭を抱えた。
「全くあんた達は!貴重な食料を無駄にするんじゃないわよっ!!」
「んナミすわ〜んvそんなマリモほっといて僕とイイコトしましょう〜v」
「ゾロといくらでもしてなさい」
「つれないナミさんもステキだぁーv」
「サンジみず〜〜〜!」
 くるくる回転し始めたサンジの胴に、ビヨンと伸びてきたゴムの手がくるくるっと巻きついた。
「くっつくなウゼェ!お前ら熱いならもっと頭使え!少しでも涼しくなるように努力しろ!あ、ナミさとロビンちゅわんは別にしなくてもいいんだよ〜〜v」
 はいはい、と適当にナミが手を振ると、サンジはおもむろに手を振り上げた。
「よぉーし、お前ら、このサンジ様がとっときの『寒くなる光景』を見せてやろう〜」
「寒くなる……?」
 その単語にクルーの目が皆サンジに集まった。気休めでも涼の感じられるものに縋りたいのである。
 サンジはおぼつかない足取りで階段を上り、ふらふらとキッチンに消えた。
 中からゴンとか「うおっ」「うひゃっ」とか変な笑い声が聞こえることしばし。サンジは再びよたよたと、でも顔に満面の笑みを張り付かせてゾロの元まで来ると、
「クソ剣士、しょーぶだぜッ!!」
 ばっと細長い袋を握り締めた左手を突き出した。
 完全に目が据わっている。ゾロはなんでいつまでもこんな場所に突っ立って成り行きを見守ってしまったのかと激しく後悔したが、既に遅い。青い目が獲物を見つけた時のようにニタッと細められた。
「いいかぁ〜?ルールは簡単!いっくら脳のねぇマリモでもわかりまちゅよ〜」
「あんだとッ…」
 熱い甲板では導火線にも火が着きやすい。しかしゾロが反撃する間もなく、サンジが開いた口に何かを突っ込んだ。反射でぱくりとそれを咥えたゾロは、次のサンジの行動に目を見開いた。
「これを互いに端っこから食っていって、途中で折ったり相手から逃げたりした方が負けなー」
 ゾロの口からぴよんと飛び出しているのは長いパスタである。サンジはその反対側の端っこをあーん、パクリと咥えた。
 その様子を見た途端、ゾロが咥えていた麺をばきり噛み砕いた。
「っだ――!!テメェ言ってる端から折ってんじゃねぇよッ!」
「何する気だこンのアホコックが!」
「勝負だっつってんだろうが!わかったぞ!テメェ乾麺が嫌だってんだな!腹壊すからか?見かけによらずデリケートなことじゃねぇか!まぁ常にハラマキしてるしな。ようし待ってやがれよ!?」
 うひゃひゃ、と訳のわからない笑いを振りまきながら、再びサンジはよたよたとキッチンに入って行った。
 呆然と、半分は暑さでまじめに取り合ってる余裕がないクルーは黙って事の成り行きを見守るしかない。
 やがてゴトゴト、ジャー、という音やら「ぅわちィッ」などの叫びがキッチンから聞こえてきて、そして今度は真っ白な皿に数本の麺を乗せてダダダッとサンジが階段を駆け下りてきた。
「まさか……」
 嫌な汗が滲んできたゾロに、
「今度こそいいなァ?」
 ニィ、と笑ったサンジが、指でつまんだ茹でたてのパスタの一本をゾロの口に突っ込んだ。
「勝負!」
 言うなりサンジが片端をぱくりと咥えた。
 すでにどんなルールで何の勝負なのか。ただ呆然と成り行きを見守る観衆に突っ込むすべは無い。
 ゾロが呆然と立ったままなので、サンジはゾロの腹のあたりから垂れ下がったパスタを手を使わずに口だけで器用にかじっていく。
「んッ……」
 走り回ったせいかはふはふと荒い呼吸をしながら、手でゾロの腹巻をぎゅっと握り小首を傾げてサンジが唇を動かす。上気した頬に首筋をツゥと流れていく汗。赤くなった目尻から、潤んだ青い目と視線が絡んだ。
 身動きもせずただ呆然と口の端からパスタをたらすゾロに、サンジの顔がどんどん近づく。そしてふにゃっと唇に触れた熱い感触に、ついにゾロはブチィッ!とキレた。
 鼻息も荒くがばっとサンジを抱きしめると、半開きになったその口に自らの舌をねじ込む。
「んぅッ!」
 驚きに身をたじろがせるサンジを捕まえて、上から下から斜めから散々その中を蹂躙した。
 サンジもそのままゾロの侵入を受け入れ、しばし無言の甲板に中にちゅ、とかクチャ、だとか湿った音が響いた。
 やがてちゅぽんッと音がしそうなくらいの勢いでゾロから離れたサンジが、
「ど――だお前らッ!寒くなったかっ!?」
 はぁっ、はぁっ、と肩で荒い息をして振り返った。真っ赤に染まった顔は、しかしながら一仕事しましたよと言わんばかりに輝いている。
 勿論答えるクルーはいない。むしろ答えたくないと言うように死んだ目を2人に向ける。
「あれ?不評?」
「……い、いや、サンジ……サムいっつーか、濃くて暑いっていうか……」
 胡乱な目線でぐるり甲板を見渡したサンジと目線があってしまった為に、ポツリと言葉を漏らすウソップ。
「なんだヨ、ゾロとじゃ効果なしか?ん〜……じゃ次はお前な長ッパナ!」
「んなっ、なんで俺なんだ!俺にはカヤという者がッ」
「ビジュアル的に一番サムそうだからに決まってんだろうが!エエ?文句あんなら今すぐオロしてやらァ!」
「なななんで逆ギレすんだよ!」
 じりじりと間合いを詰めてきたサンジに、だらりと伸びていたウソップが慌てて飛び起きて退路を探す。
 しかし悲しいかな背後は階段、右手は風呂場へ続く壁である。
「るせぇ、ハナに拒否権があると思うなよ!?大人しく俺と……」
 そこまで言って、不意にサンジの体がぐらついた。そしてそのままばった――ん!と甲板にひっくり返る。
「うわ――ッ!サンジぃぃ!?」
 慌ててチョッパーがみかん畑から飛び出してくる。ウソップは己の貞操が守られたことをあらゆるものに感謝した。小型扇風機がうぃーんと穏やかに回る。
「す、凄い熱だ!熱射病だよ」
「当たり前よ……喧嘩した上酒飲んで、血の巡りが良くなった所でキッチンを往復、際めつけに炎天下の甲板でわざわざ酸欠になるまでディープキスなんてして……そりゃ沸騰もするわよ」
 医者―ッ!と騒ぎ出すチョッパーに、ナミはうんざりと目を閉じた。傍らに似たような症状で呆然と立ち尽くす緑頭が見えたが、知ったことじゃない。
 頭痛いわ、と額に手をやったところで隣から「今日も平和ね」とのほほんとしたロビンの声が聞こえた。




*END*



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