Call Me |
サンジがふら、と店を出たのは既に23時が回っていた。 シンと深い夜の空気が満ちる住宅街を、ふらり、ふらりと覚束ない足取りで歩く。 明日は寒くなると言っていたせいか、コートを羽織っているだけではシンシンと寒い。 先ほどまで暖かな空気の中に居たせいもあり、サンジは一度ぶるっと背を震わせた。 ゼフが切り盛りするレストランバラティエでは、閉店後から先ほどまで、古参のコック数人を交えて宴会が行われていた。 毎年今日というこの日、何かと理由をつけては必ず祝ってくれる顔ぶれに、サンジはふっと唇の端を緩ませた。 何でレディ以外に囲まれなきゃならないんだと、照れ隠しに叫ぶのも毎年の事だ。 この年になってまでと恥ずかしくもあるが、逆に昔よりも素直に嬉しいと受け止める事ができるようにもなった。 うれしい。 あたたかい。 そんな気持ちを抱えたまま、ふわふわと夜道を歩く。 とてもいい気持ちだった。 幾分酒を飲みすぎたせいもあるだろう。サンジの様子を後半見咎めたゼフが、しかめっ面して『テメェは明日半日出てこなくていい』と言っていた気がする。 足手まといだとか難癖つけないと素直に労えないのはお互い様だ。 けれど年を重ねる毎に、そうした内面を解りあえるようになるものお互い様で。 はぁっと吐く息も白い。 星が遠くでひっそりと綺麗だ。 ああ、あれはオリオン。 指先は冷たいのに、酒が回っているのか、顔だけはぽかぽかと熱い。 レストランの裏手が自宅になっているが、サンジは店からそのまま外へ出てきた。 歩いて5分の所にある公園。 いつも直ぐ着くのに、今日は全然辿り着かない。 なんでかな、と思いながら電柱にぶつかった。 「お、あった」 ぶつかった先に、ようやく目的の公園が見えた。 まるで灯台のように、暖かな光を宿す電話BOX。 体当たりで扉を開け、その受話器を掴む。 その勢いで体勢が崩れ、サンジはドサッと床に尻餅を着いた。 「……お前、何やってんだ」 後ろから誰かがやってきて、呆れたように呟くとそんなサンジの脇に手を入れて立たせた。 ちっと舌打ちする。 おそらくはサンジの様子を心配してついてきたカルネだろう。毎年毎年、まったく。 「いつまでもガキ扱いすんじゃねぇ…っ」 その手を解くと、サンジは電話器にしがみ付くように、今ではレア物になりつつあるテレカをポケットから出すとその口に突っ込んだ。 が、上手く入らない。手が定まらず、ぐにぐにとテレカが曲がる。 「っんだクソ!」 ガン!とBOXに蹴りをくれれば、後のカルネが盛大なため息をついて、テレカを挿入してくれた。 「ん、さんきゅ」 はぁ、と熱い息を零してサンジは指先でボタンを押した。 番号なんて覚えちゃいないが、数字の配列と順番を、指先だけで覚えている。 トゥルルルル… トゥルルルル… 慣れ親しんだコール音。 いつものリズム。 嬉しい時、悲しい時、そして特別な日に。 サンジのただ1つの秘め事。 そろそろ10回、フツリと電話の回線が切り替わる―― 『ハイ』 その手前で、不意に響いた少し緩やかな女性の声に、サンジは小さく瞬きした。 いつものあの、不器用な男の声とは違う、声。 掛け間違えたかな、と一瞬思ったその可能性は、すぐに打ち消された。 『ロロノアですが、どちら様です?』 「……っ」 サンジは目を見開いて声を詰まらせた。 さっきまでの楽しい気分がすうっと冷めていく。 それどころか、ぎゅうっと胸が搾られるように、痛い。 『……もしもし?』 不審がる女性の声。 ガチャン! サンジは叩きつけるように受話器を持っていない右手で直接電話を切るレバーを押した。 ピピー、ピピー… テレカの鳴き声だけが響く。 「……っ」 いつかこんな日が来るんじゃないか、そんな覚悟はしていた。 ゾロに、彼女が出来る、そんな未来。 あの小さな部屋に、二人で寝るには小さな布団に、それでも構わないからと笑って、一緒に朝を迎える様な相手が。 そしていつかは、一緒に歩いて行く相手が。 できる日が、来るだろうと。 「ふ…っ…」 笑おうとしたのに、口から漏れたのは無様な泣き声だった。 ずるずる、とサンジはしゃがみこんで膝を抱えた。 好き、だった。 惨めたらしく、いつまでも。…――今でも、好き、だった。 ああ、認める。 俺は確かに好きだったんだ。 どんなにそれを解ったところで、もう遅いけれど。 「ゾロ……っ」 握った受話器に額を押し当てて、サンジは声を震わせて泣いた。 「……酔っ払いが」 くー、くー 男の胸に顔を押し付けたまま寝息を立てるサンジの鼻は赤い。 泣きはらした目元も、頬も、ぐしゃぐしゃだ。 男のコートの胸元に顔を埋めながら、サンジがぐずっと鼻を鳴らした。 あやす様に抱きしめた背をポンポンと撫でれば、寒いのか、男のコートから除いた胸元にスリ、と鼻先を寄せる。 また一筋流れた涙を拭うように、ぎゅ、とその頭を自分の胸に押し当てた。 電話器に突き刺さったままだったテレカを、男は再び機械に吸い込ませた。 片手で番号を押し、サンジのせいで垂直にぶら下がったままだった受話器を手繰り寄せる。 『ハイ、ロロノアです』 ほどなくして響いた女性の声に、男は静かにため息をついた。 「勝手に電話に出るなって言っただろう」 『――あんた!今どこに居るのよ』 「どこだっていいだろ」 『折角顔見に来てやったお姉様に対してアンタ…』 「俺んとこ宿代わりにして出張経費ガメてる癖に」 よく言うぜ、と言いかけ、ふ、と唇だけで小さく笑った。 「…いやでも、今回は感謝してる」 今日は戻らねぇから、好きに使っていいぜ。ありがとう。 そう言って。 ゾロは届かぬ夢の中で自分の名を呼ぶサンジに、そっと唇を落とした。 END |