泡恋 9
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「サンジ、最近目、どうかした?」
 
 最初に気付いたのはチョッパーだった。
 何気ないその一言に、夕食後キッチンに残って作業をしていた仲間の視線がサンジに集まる。
 煮詰まってきた航海で、一番気遣うべきはクルーの体調。
 体力面でも精神面でも常に目を光らせていたチョッパーの洞察力にサンジは内心ギクリとしたが、あえて軽く笑うと小さな船医を振り返った。
「あー…なんかドライアイ?なのかな、たまに痛むんだよ」
「ちょっと見せて」
 サンジは片付けの手を止めると手を拭いて大人しくキッチンの椅子に座った。下手に隠せばそれこそやぶへびだ。
 小さなライトを片手に目を覗き込むチョッパーの様子に内心冷や汗が滲んだが、何でもない振りを装って診察を受けた。
 
「…ちょっと目が充血してるね、一応目薬を渡しておくよ。また辛い時は言って」
「ああ…サンキュ」
 薬を受け取って、サンジは小さくほっと息を吐いた。
「たいした事じゃなくてよかったわ。今サンジくんに何かあったら、困っちゃうもの」
 机の端でペンを走らせていたナミが笑う。サンジも笑いながら、そっと戸棚に仕舞ってあるノートの存在を思い出した。
 夜毎書き溜めていたレシピノートは、もうすぐ完成する。
 
 雨に閉じ込められた小さな船。荒い波に揉まれた危険な航海。
 もしサンジがこの場からいなくなってしまったら……それでも、明るいクルーたちならきっと乗り越えてくれるだろう。
 
(ごめんね、ナミさん)
 細いその横顔を見ながら、サンジは心の中でそっと謝った。
 最後まで諦めはしない。
 しない――――…けれど。
 
「サンジ」
 ふいに力強いルフィの声が響いて、サンジはギクリと肩を揺らした。
「……なんだ?」
 ゆっくりと振り返れば、真っ直ぐな視線がサンジを捉える。
「大丈夫か?」
 何もかも見通す黒い瞳。
 その目の強さにひるみそうになる気持ちを叱咤して、サンジはルフィに向き合った。
「ああ、大丈夫だ」
「なら、いいんだ」
 ルフィはそう言うと目線を緩め、明るくシシッと笑った。
 
 サンジも笑う。
 けれど拭えない後ろめたさのような黒い塊が、胸の奥に重く沈んで離れなかった。
 
 
 
 ――それは一日のうちの、ほんのささいな出来事にすぎなかった。
 けれどその様子を、ただ一人厳しい目で見ているものがいることに、サンジは気づけなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日はいつになく風の強い晩だった。
 雨足は弱まらず、荒い波が小刻みに船倉を揺らす。
 
「……――グ、はッ!?」
 ダン!!
 と突然正面から勢いよく倉庫の壁に叩き付けられてサンジは息を詰まらせた。
 その隙に後ろから両手を捻り上げられて、痛みに顔を歪ませる。
 いつも現れる時間よりも幾分早い時刻だった為に油断していた。
 あと少しで書きあがるレシピノートに夢中で、背後から忍び寄る気配に気付けなかったこともある。
 
「――っに、しやがる!!」
 動けない体に首だけを捻って背後のゾロを怒鳴りつければ、シンと低い声が返される。
「何してやがる、はこっちの台詞だ」
 
 淡いカンテラの灯りに浮かび上がる、足元に散らばったノート。
「あれは何のつもりだ」
 背後のゾロの冷たく燃えるような気配。
 ぐっと手首に力を込めるが、固く押さえ込まれた拘束はぴくりとも揺るがない。
 サンジは内心舌打ちすると、ふうっと力を抜いて笑った。
「レシピノートだよ。書き溜めとくのもコックの大事な仕事だ。早くヤりてぇんだろうが、俺の仕事時間くらい我慢して待っとくのがマナーだろう」
 しょうがねぇ野郎だと笑えば、再び強い力で体が壁に押し付けられた。
 
「茶化すな」
「――ッ」
 痛みに眉をしかめれば、ゾロが小さく唸る。
「一体陰でこそこそ、何やってやがる」
「……っテメェには関係ねぇだろう」
 ふつふつと湧き出てくる怒りを乗せて、サンジも負けじと言い返す。
 
「俺の事に気ぃ回してる余裕があるんなら、テメェは少しでもその腕、刀と一緒に磨いとくべきじゃねぇの?」
 今誰の為に船が苦労して進んでると思ってるんだ? 
 言ってやれば、ギリッと手首を握るゾロの手に力がこもった。
 
 口を歪めてサンジは笑う。
「俺とテメェで関係があるとしたら、……コレだけだろう?」
 するり、右足を背後のゾロの太腿に擦り寄せてやれば、ゾロの気配が変わった。
 その単純さに、サンジは唇の端をちらりと舐めて笑みを深める。
 
「わかったらその無駄に息巻いてる息子、とっとと納めてオヤスミ?」
 
 

 
 
 *10へ*

 
 
 
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 あーなんか半端なところで…次もがんばります!
 
 07.09.25