泡恋 7
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 薄暗い倉庫に膝をついて、積み上げられた備蓄の袋を数えては食料と残りの予定航海日数を照らし合わせ、手元の紙にチェックする。
 一日に一度、それは夕食の片づけが終わった後のサンジの習慣になっていた。
 大豆や小麦、粉物は袋の破損や湿気に目を配り、乾物はルフィに齧られていないかを見て回る。そして食材の状態によって明日一日の献立と配分を考える、大事な時間だ。
 
 けれど気付けば、サンジの鉛筆を握る手はぴたりと止まっていた。
 ぼんやりと目の前の袋を眺めれば、口に咥えた煙草から上る白い煙だけがゆっくりと静かに天井付近を漂っていく。
 扉の外には、かすかに船を叩く雨の音。
 
 
 期限内に鷹の目との決着をつけ、ゾロが戻ってきたなら――その時は告白しよう。
 けれどそれまでは、絶対に言ってはならない。
 普段通りの素振りで、普段通りの振る舞いで接しなければ。
 結果がどちらにせよ、勝負前にヘタにゾロの心を乱すことなどはしたくはないから。
 
 もっともゾロの事だ。サンジ一人の事くらいで動揺するなど、ありえないかも知れないが。
 雨と嵐でうんざりしているクルーの中でただ一人、ゾロだけは毎日淡々と変わらぬペースで男部屋での筋トレを重ねていた。
 食事時の呼びかけに男部屋を覗いても、以前のように寝ていることは少なくなった。昂ぶる気が抑えられないのか、ゾロの周りは濃厚に張り詰めた空気で満ちている。
 真っ直ぐ前を見て腕を振るうその目には、きっと目的の男の姿しか目に入っていない。
 
 
 薄く笑って、サンジはのろのろと立ち上がった。
 自分でもわかっている。こんなことを考えている時点で、ゾロにはもう、自分の想いなど届かないのではないかという、諦めにも似た予感があることを。
 しかしそれよりも今は、無事に航海を乗り越えて目指すことに集中しなくてはならない。
 倉庫の片隅、机代わりに使っている木箱の上に持っていた手提げランプを置く。箱の上には数冊のノート。
 キッチンの戸棚の奥から持ち出してきた、レシピノートだ。 
 サンジは大きく息を吐いて煙草をもみ消すと、気持ちを切り替えて箱の前に座った。
 使い込んだノートのページをめくりながら、目に付いたものを真新しいノートの白いページに写し始める。
 
 一番怖いのは、このまま賭けの期限内に鷹の目が見つからない場合だった。
 ―――この航海中に、この船からサンジが居なくなってしまった場合。
 
 普段から皆に好まれる大皿料理、一人一人の好みのおかず、病人や怪我人が出たときの栄養を補う食事、食材が極限に陥った場合の保存食の作り方・戻し方や、嵩を膨らます為のテクニック。
 今まで書き溜めたレシピ集の中から、またサンジの頭にしか入ってない知識からも、解りやすく別のノートに作り方をまとめていく。
 今後の航海の非常時において、クルーが誰でも作れるように。
 
 いつか自分が、消えてしまってもいいように。
 
 
 
 ゾロとの接触も、サンジは絶ちはじめていた。
 天候と食料を理由に、この航路に入ってからの夜の差し入れは既に途絶えていた。元々サンジの方から勝手に持ち寄っていたような習慣だったし、それについてはゾロも何も言う事はなかった。
 けれどゾロから夜の誘いは来る。生理的欲求だけは、どうしたって現れるのだろう。
 キッチンに他のクルーがいなくなった時や、倉庫や風呂場ですれ違った時など、ふとそれらしい熱を伴って腕を掴まれる。
 それら全てを、疲労を理由にサンジは断った。
 
 この関係を、なかったものにはできない。
 ゾロにとってはサンジによって溜まった熱を放出すること自体が、トレーニングをするように日々の流れに組み込まれた自然な事だったのだろう。
 サンジだってこの感情に気付く前だったならば…賭けの始まる以前の自分だったならば、こんな時は鬱々とした気分を晴らす相手として、ゾロの誘いは願ってもないものだったはずだ。
 だけど今は、ゾロの手を取ることなんて出来ない。
 あの熱を身近で感じたら、あの目を真っ直ぐ見てしまったら、とてもじゃないけれど平常心ではいられない。
 前のように笑って抱かれる自信などなかった。
 ゾロのように強い心でまっすぐ揺ぎ無く立つことなんて、最早今のサンジには無理だった。
 
 
 
 
 突然倉庫の扉が開かれた。
 雨によって足音が聞こえなかったらしい。
 湿った雨風が一瞬入りこんでランプを揺らし、すぐに閉じる。
 サンジは振り返ってそして軽く目を開いた。
 そこには濡れた雫もそのままのゾロが、じっとサンジを見つめていた。
 
「……何の用だ。腹でも減ったのか?」
「……」
 ゾロは何も言わず、真っ直ぐサンジに近づいてくる。その鋭い目線にドキリと心臓が揺らいだ。動揺を隠すようにノートに目を戻すと、書きかけだったページを閉じる。
 無意識に距離を取ろうと腰を浮かせる前に、サンジの腕をゾロが掴んだ。
 シャツ越しに、少し雨に濡れた熱い手の平の温度がじわりと染みる。
「……ッ」
 振り払おうとしたその手を逆に掴まれて、文句を言うはずの口はゾロの唇によって塞がれた。
 
 ぬるりと滑り込んでくる舌。
 咄嗟に蹴り上げようとした脚はゾロに封じられ、そのまま壁に叩き付けられる。
 小さく声を上げたところを、荒々しくねじ込まれた舌により深く蹂躙された。
 
 
(…ああそうか、他に発散するところがねぇもんな)
 うっかりしていた。普段あれだけトレーニングをしても体力の有り余っている男が、部屋に篭りっぱなしで自ら昇華できるはずがなかった。
 ただでさえ勝負前で余計に気が昂ぶっているのだ。
 いつになく性急にシャツを肌蹴られて忍び込んできた手に、慣れた体の方が先にぶるりと反応してしまう。
 熱い指先に撫でられただけで堅く立ち上がった胸の尖りを、小さく笑ってゾロが押し潰した。
「…ちく、しょうッ」
 離された唇の合間に小さくうめいて、サンジはゾロの首に手を回した。噛み付くように唇を重ねて、自分から舌を追いかける。
 押し付けあった腰に、互いのモノが存在を示している。
 もう、逃げることなんてできない。
 雨の匂い。それに紛れて立ち昇る、ゾロの匂い。
 合わさる肌の感触に、眩暈がした。
 
 
 
 
 
 ギイ、ギイ、と強い風にあおられて船が揺れる。暗い外には冷たい雨が降っている。
 船倉の明かりも貴重な燃料だから、非常時以外は点けることはない。わずかしか入れてこなかったサンジの手提げランプもすっかり尽きた真っ暗な部屋で、息を殺して抱き合った。
 顔が見えないのは丁度良かった。ただ目の前のゾロの熱、汗、息遣い、そんなものに全ての意識を埋められた。
 
「ぅ……あッ…!」 
 押し殺そうとした声は、ゾロの手で暴かれては震えた響きで倉庫に散った。
 汗まみれで床に這いつくばって、必死で後ろから押し入ってくるゾロを受け入れる。いつにも増して大きなゾロのものは容赦なく内臓を押し上げて、サンジは息をするのもやっとだった。
 それでもいいところを擦り上げられればそれだけでひどく感じて、喉を反らして喘いだ。
 
 床に着いた自分の腕が、しっとりと濡れている。
 お互い汗まみれで、本当に獣みたいだ。
 ジンジンと熱い頭で笑ったところで、再び目の前にある腕が冷たいもので濡れた。
(……あれ)
 ガクガクと揺さぶられながら、サンジは自分の腕を触った。
 あとからあとから落ちてくるそれに、ようやく自分の頬が濡れていることに気がついた。
 音もなくただ流れる涙を、ぼんやりと触る。
 なんでだろう。
 体はこんなにも気持ちいいのに。こんなにもゾロで埋まっているのに。
 
 なのに熱い体の真中あたりが、ひどく空っぽで。
(なんで、こんなに)
 ――――寂しいんだろう。
 そう感じるのは――なんでだ?
「ふ、あ……ッ!」
 大きく後ろから突き上げられて、ぐちゃぐちゃな思考はまとまらない。
 
 だめだ、いつもの様に笑っていなくちゃ。
 溜まってたものをゾロで発散させるだけの行為だ。気持ちいいじゃないか、こんなにも。
 
「ひぅッ……」
 後ろからぐっと性器を掴まれて、ゾロの歯が反り返ったサンジの肩口に立てられた。 
 熱くなる体に反して、サンジの中だけがどんどん空虚に冷えていく。
 震える指先を、サンジは床に立てた。
 
 
 
 もしも今。
 何もかもをかなぐり捨てて、ゾロだけが欲しいのだと言えたらどんなに楽だろう。
 なんと思われようと、それによって自分がどうなろうと、――この先の航海がどうなろうとも。
 
 ただ一瞬、ゾロを振り向いて、抱き合って。
 好きだ、その一言が言えたなら。
 
 
「ふぁ、アッ……!」
 性器を握るゾロの手が一気に激しさを増して、サンジは腰を震わせて達した。
 次いでサンジの中に放たれる熱い飛沫。
 ゾロの熱い息遣いを背中で感じながら、サンジは自らの手を押さえ込んでぎゅっと握り締めた。
 

 
 
 
*8へ*
 
 
 
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 なんだかまだまだサンジが辛そうですが、話は後半戦突入してますです。次あたりが転機…かも。
 07.07.10