泡恋 12
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「ッ!?」
 鼓膜をつんざくような轟音と振動で船の壁がビリビリと震えた。
 一瞬機能の麻痺した耳が、遠くかすかに甲高い悲鳴を捉えてサンジはハッと顔を上げた。
 
「……ナミさん!」
 途端に強風に煽られた船が一際大きく傾ぐ。すぐさまゾロが、起き上がってバランスを崩したサンジの体を床に引き倒して覆い被さった。
 その頭上を机代わりにしていた空樽と僅かな灯りを灯していたカンテラが勢いよく飛んで、反対側の壁にぶつかって激しい音を立てて砕ける。
 灯りが消え、あたりは不意に暗闇になった。
 
「……ッ」
 すぐさまズボンを引き上げてゾロの胸を押しのけたサンジを、ゾロの腕が引き戻した。
「…に、しやがるッ!離せ!!」
 ナミさんに、皆に何かあったのかもしれない。
 嵐で船が流されたなら、サンジもゾロもこんな所でぐずぐずしているわけにはいかない。早く持ち場につかなければならないのに。
 サンジの腕を掴むゾロの手にぐっと力が入った。
「――…、っ」
 ゾロが何かを言った。
 しかし再び轟いた大きな雷鳴にその言葉は潰される。
 小さな明り取りから一瞬だけ青白く照らされた室内に、サンジを真っ直ぐ見つめるゾロの顔が浮かび上がった。
 暗闇だったというのに、ゾロの目は真っ直ぐにサンジの目を捉えていた。
 その真剣な表情に少したじろいだが、直ぐに我に返ってサンジは怒鳴り返した。
「聞こえねぇよ!後で聞くから今は離せ!」
 ゾロの手を振り切ってその体の下から抜け出す。
 先ほどまでの無茶のせいか腰から脚にかけてが痺れて覚束なかったが、そんなこと構っていられない。
 もつれるように出口に向かったサンジの体を、再びゾロが捉えた。
「この――ッ」
 怒りに足を振り上げたサンジの頭を、突然ゾロの腕が抱え込んだ。
 小さな頭がすっぽりと太い腕に囲われ、筋肉のついた分厚い胸元に抱きしめられる。
「な――」
 右の耳をゾロの手の平が塞いだ。
 雷鳴が遠のき、塞がれた世界は急に熱くくぐもったゾロの脈打つリズムだけになる。
 驚くサンジの左の髪を、ゾロが掻き分けた。鼻先を潜らせるようにして、その耳元にゾロの唇がひたりと寄せられる。
 敏感な耳の中の産毛を、ゾロの息が揺らす。熱い吐息にゾクリと反射のように背筋が震えた。
 何かを叫ぶようにゾロが大きく息を吸い込んだ。
 
 
「ぐ、――ッ!?」
 しかしサンジの耳元に落ちたのは言葉ではなかった。
 突然呻いたゾロが上体を折ってサンジを放す。
 再び嵐の音の中に放り出されたサンジは目を見開いた。
 
 薄く銀色に光るものが、ゾロの首に巻きついている。その先を辿った床一面に、うねうねと生き物の様に脈打つ長い髪。
「な……」
 ずるり、床板から白く細い体を半分だけ突き出して、銀色の波間で彼女は赤い唇を三日月に歪めた。
 
「――、…やめろ!!」
 咄嗟に彼女の名前を呼ぼうとして、名前など知らなかったことに気付く。
 その僅かな逡巡を読んだゾロが、目線を強めてサンジを睨んだ。
「…っテメェ、あいつを知ってやがるんだな?」
 しかし何者だと聞かれても、答えられるわけもない。
 
「てめぇがおかしくなったのは、アイツのせいか」
 そう呟くなり素早く抜刀したゾロが首に巻きつく髪を断ち切った。そしてそのまま切っ先を彼女に向けて床を蹴る。
「――ッ!」
 しかしすぐさま伸びてきた髪が再びゾロの喉元に巻きつきそれを阻んだ。両手足にも太い髪の束が絡みつき、ゾロの手から落ちた刀がドスンと重力のまま床板に突き刺さった。
 
「待ってくれ!ゾロは関係ないだろう!?」
 ゾロの首にぎりぎりと食い込む髪を押さえて、サンジは彼女を見上げた。
「例え賭けがどうであっても、コイツには関係ねぇことだ…!!」
「賭けだと……?」
 ゾロがぐっと四肢に力を入れた。焦るサンジの前で絞られた腕が軋み、首に巻きついたものが赤黒く喉を押し潰してますますゾロの息を塞ぐ。
「テメェは…――んな、だから……ッ」
 構わず切れ切れに吐き捨てると、ゾロは隣で膝を付くサンジの両腕をがしっと掴んだ。
「――駄目よ!!」
 焦ったような彼女の叫びがして、振り乱した髪が一斉にゾロに襲い掛かった。
 
 しかしそれより一瞬早く、サンジを強く引き寄せたゾロが自らの口をサンジに押し付けた。
 驚くサンジの唇をこじ開けて、熱いゾロの舌が潜り込んでくる。
 口移しで滑り込んできた熱い吐息。
 絡み合わさった唇が、舌先が。ゆっくりと形を描いた。
 
 『―――』
 
 舌を絡ませ、直接乗せられた言葉。
 その意味に目を見開いたサンジの前で、強さを失わない目でゾロが笑った。
 
 サンジの目の端から、堪えきれずに熱い雫が溢れて流れた。
 
 
 
「――っああああああああああ!!!」
 突如一際大きな雷鳴が轟き、狂ったような彼女の叫びが嵐のように倉庫中をうねった。
 
 

 
 
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 07.10.25