アルデンテ
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「4999……5000……と。うっし、終わり!」
 ズシン、と振動を甲板に響かせて何段にも連なるた鉄の重りを置くと、ゾロは大きく息吐いた。
 午前の鍛錬メニューも一通り終わり、火照った体に海風が心地よい。
 船は今日も帆に風をいっぱいに受けて、悠々とグランドラインを進んでいる。
 そろそろ次の島が近いのか、青空にはカモメの姿をよく見かけるようになった。見上げた見張り台の上では、一体どういう体勢をしているのか、ルフィの2本の足が暇そうにブラブラと揺れている。
 裸の上半身にしたたる汗を首に掛けていたタオルでがしがしと大雑把に拭くと、重りを格納庫にしまい、ゾロはキッチンに続く階段を上った。
 丸ガラスからうかがい見えたキッチンの中には、いつもの通りひょこひょこと動く黄色いひよこ頭がひとつ。
「おいコッ……」
「うぉ!こりゃいい具合にアルデンテだぜ」
 水をくれ、と続く台詞は、扉を開けた瞬間飛び出してきたサンジの浮かれた声に吹き飛ばされてしまった。聞きなれない単語に、ゾロはドアノブを掴んだまま片眉を吊り上げる。
「………アルでんでん?なんだそりゃ」
「ん?なんだテメェ昼メシはまだだぞ」
 のっそりと入って来たゾロに気づいたサンジが、煮え立つ鍋からひょいと顔を上げた。
「…違ぇ、水」
「俺ァ今手が離せねぇから、勝手に持ってけ」
 それだけを言い放つと、サンジは火を止めた大鍋をミトンをはめた両手で持ち上げ、中の湯をシンクの上にあけた。一抱えもある圧力釜用の鍋だ。途端にもわっと大量の湯気が立ち昇って、真っ白な蒸気が換気力の弱い狭いキッチンを埋める。
「………」
 一体どれほどの湯を沸かしていたのか。サンジの黄色い頭が湯気の中に埋没する様子を見ながら、ゾロはそのままテーブルを回るとキッチンの隅にある小さなワインラックに手を伸ばした。
 しかしその瞬間。
「テメェ水っつったじゃねぇか!」
「おわっ」
 湯気の中からビュッと鋭い音と共に黒いスーツの脚が飛び出してきた。真横から飛んできた容赦ない回し蹴りを、ゾロはほぼ反射的に腰を落として避ける。短い髪の先を、チリっと靴底がかすめた。
「ったく油断ならねぇ野郎だな」
 マリモにゃワインと水の区別もつかねぇのかよ、とぶつぶつ言いながらサンジは茹であがった大量のパスタをざるに移し変えている。
 チっと舌打をして、ゾロは頭を掻いた。
「どっちも同じだろうが」
「同じじゃねェよ!すぐに昼メシになるから大人しくここで水飲んで光合成してろ」
 ガン!とテーブルにグラスを置かれた。ゾロはむっと顔をしかめたが、渋々どかりと椅子に腰を掛けると、ぐびりと水を流し込んだ。喉を通り抜けてゆく冷たさにほっと一息つく。
 サンジがコンロに火を入れると、すぐに香ばしいバターの匂いが立ち込めてゾロの腹の虫がぐぅと鳴った。いつの間にかもうそんな時間になっていたらしい。それなら大人しくここで待っていた方が良さそうだ。
 フライパンの上でソースに絡めたパスタを、サンジは手際よく皿に盛り付けて行く。
 その手をぼんやりと目で追っていて、ゾロはふと思い出した。
「おい、アルでんでんて何だ」
「ハ?なんだそりゃ。マリモ語か」
 サラダの盛り付けに移ろうとしていたサンジがひょいと軽く目を上げた。
「あぁ?さっきテメェが言ってたんじゃねぇか」
「俺が?いや流石に俺は人間だからマリモの共通語に理解は……あー……もしかしてそりゃ『アルデンテ』のことか?」
 ゾロと会話をしながらもサンジはくるくるとキッチンを動き回り、いつの間にかテーブルの上には昼食が次々とセッティングされていく。
「ああ、それだ」
 頷きつつ目の前に置かれたサラダボールから一枚レタスを拝借しようとすると、すかさず脚が飛んできた。
「つまみ食いしてんじゃねぇ!テメェ暇ならこれでも並べてろ」
「お前が大人しく待っとけっつったんだろ」
「つまみ食いは大人しくねぇ!」
 圧力鍋から取り分けたスープを配りながら、サンジはゾロを睨みつけた。
「へぃへぃ」
 面倒くせぇな、と呟きながらゾロは素直に皿から手を離した。
 この大型犬は作法の面で以外に躾の良い所がある、とサンジがよく感じるのはこういう時だ。何処かのクソゴムとは大違いで可愛いもんだぜ、と不穏な事を思ってにんまりしつつ、でもアッチの方面じゃ『待て』もなんにも言う事聞きゃしねぇな、と考えて、自分の思い出した場面にうっかり赤面する。
 慌てて小さく咳払いをして、サンジは人数分に分けたパスタにクリームソースをかけてゆく。
「『アルデンテ』ってのはな、要は理想的なパスタの茹であがりの硬さの事だ。一般的には耳たぶくらいの柔らかさがベストって言われてる」
「ふぅん」
 やけに大仰に語り始めたコックを目の端に、ゾロはソースがかかっていない皿からぱくりと麺の1本をつまんでみた。
「その茹で加減ってのは最初は難しいんだが…ってコルァ!」
 飛んできた黒いスーツの脚を軽くいなし(なんせ相手の両手はソース鍋とお玉で埋まっているから簡単だ)もぐ、と小麦粉くさいゆで麺を飲み込んだゾロはわずかに首を傾げた。
「硬ぇんじゃねぇのか」
「……あ?」
 ぱか、とコックの口が開いた。それがいつにも増してアホっぽく可愛いらしくて、ゾロはちょっと嬉しくなった。
「なんて仰りましたかクソ緑…?」
「あァ?だから硬ぇだろって」
 自分で聞きなおしたのにはっきりと言い直され、今度こそぐわんとフライパンで頭を叩かれたようなショックで目の前が真っ赤になったのは、サンジだ。
 普段滅多に味の感想も言わない男に、よりにもよって技量の駄目出しをされたのだ。
「耳たぶくらいのやわらかさなんだろ」
 呆然とするサンジにゾロがのっそりと近づく。
 そのまぁるい頭をわしっと掴むと右手で少し長めの襟足を掻き揚げ、はくりと白い耳たぶを口に含む。
「……ふぇっ?」
 突然の展開に動きを止めたままだったサンジの耳元に、ぴちゃりと掠った生暖かい感触。湿った吐息につい変な声を漏らすと、ついでとばかりに犬歯できゅっと噛み締められた。
 鍋とおたまを持った間抜けな体勢で呆然と突っ立ったままのサンジの耳奥に、暖かい息と笑ったようなゾロの低い声が落ちる。
「ほら、こっちのがずっとやわらけぇ」
 まるで子供が胸を張って自分の正義を証明したときのように満足げにやりとするゾロの声に、呆けていたサンジの首筋がじわじわとピンクに染まる。
「……そ、そういう話じゃねぇ―――!!」
 ドカーッ!メキメキ!グワシャーン!
 怒声と騒音、甲板に吹っ飛ぶ扉とウソップの悲鳴、そして青空に舞う緑色の剣士。
 GW号はのどかな日常を乗せ、今日も順調に航海中である。





*END*



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