Calling 1
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 漁と貿易でそこそこの賑わいをみせる、海に囲まれた小さな島。
 穏やかなその町の外れ。
 レストランの裏手の丘を上ったところに、一つの石碑が建っている。
 石には拙い文字でいくつかの文字が刻んであり、ところどころが苔むして蔦に覆われている。
 そこからは一望できるのは真っ青な海。
 
 それはいつでもきらきら、きらきら。
 眩むような光で目を焼いた。
 
 
 
Calling
 
 
 
 サンジには友達がいた。
 少し前に町に越してきた、まるで草原のように緑色の頭をした男の子で、名をゾロと言った。
 紺色の胴衣を着ていつも片手に竹刀を持ち、目つきは悪くていつもあちこち泥だらけ。
 年の近い子供の中で、サンジの蹴りを受けて倒れなかった初めての相手でもある。
 ともに10歳。
 初めて会ったその日は互いにガンを飛ばしあい町中の子供が見守る中で大喧嘩をやらかした。
 はじめサンジが放った蹴りを、胸の前に構えた竹刀でゾロが受け止める。
 コイツはやるな、とお互いにその瞬間思ったに違いない。
 しかし互いに同じくらいの力であったために決着は中々つかず、日も暮れてへとへとになった頃呆れた顔で迎えにきたゼフによって勝負は持ち越しになった。
 ゼフは薄汚れた2人を摘まみあげレストランに持ち帰り、「すぐ飯にする。その汚ねぇツラなんとかしろ」と風呂に放りこんだ。
 勝負つかずで釈然としないままに、しぶしぶ2人で泥だらけの体を流した。
 風呂から出た後ゾロはきちんとしたテーブルに座らされ、慣れていないのかどこか借りてきた猫の子のようにきょろきょろと辺りを見 回していたが、目の前に並べられた料理の数々に途端に目を輝かせた。
「チビナスの友達だそうだな。さっき家に連絡は入れておいた。いっぱい食え」
 こんなヤツ友達じゃねぇよ!
 ゼフに向かってそう言おうとしたサンジは、しかし隣でパンッ!と勢いよく手を合わせて
「いただきます!」
 と大きな声で挨拶したゾロの、とたんにすさまじい勢いで料理を平らげ始めた姿にぽかんと呆気にとられて言葉を忘れた。
 そして
「うめぇなコレ!すげぇな!」
 そういってにっかり笑ったゾロのその顔に、なんだかもうどうでもよくなった。
「すげぇだろ、ジジィの料理。……俺も、いつかこういうの、作れるようになるんだ」
 小さく呟いたサンジの言葉に、ゾロは一瞬箸を止めると
「すげぇな」
 そう言ってもう一度笑った。
 
 それからはお互いを分かり合える1番の親友になった。
 毎日町中を駆け回り、野山で遊び、そしてくだらないことで沢山喧嘩もした。
 サンジはゼフのレストランで少しずつ厨房で下拵えを手伝えるようになってきて、ゾロは町にある道場で剣の型を教えてもらい強さへの道を見つけ出しはじめていた。
 サンジは午前中の手伝いが済むと大きなバスケットに賄いの食事を詰めて、レストランの裏手の丘を駆け上がる。
 一面に真っ青な海の見える草っ原。一番上に大きな石がある。
 そこには既に午前の練習を終えたゾロの背中があった。胴衣からはみ出た素足を石の上でぷらぷらさせて、海を見ている。
 草を踏むサンジの足音に気づいたゾロは振り返り、にっかり笑った。
 草原の緑にも負けないゾロの髪が、後の海の光に重なってきらきらと眩しかった。
 並んで座り、お昼を食べる。
 時にはわくわくした目で互いの夢を話したりもした。
 
 そうしてゾロと過ごした時間はあっという間に過ぎていき。
 
 それは突然にやってきた。
 
 
「サンジ」
 ある日いつもの丘で、ゾロは見たこともないほど怖い、真剣な顔をしてサンジを見つめた。
「…ゾロ?どうし……」
「俺、引っ越すことになった。もっと大きな島に…行くんだ」
 ゾロの言葉に、サンジは青い目を見開いた。
 
 考えもしていなかったゾロとの別れ。
 サンジは突き落とされそうに揺らいだ自分の体を、ぐっとシャツの裾を握り締めて耐えた。
 冷たい何かで胃や心臓のあたりをぎゅっとつかまれたように、苦しい。
 外はこんなに明るくて綺麗なのに、何もかもがまるで作り物のように温度を失った。
 サンジは黙ってゾロを見つめて、次の言葉をまった。
 
「だからサンジ…兄弟の契りを交わそう」
 いつになく目つきも鋭く真剣な面持ちで、ゾロは懐から小さなナイフを取り出した。
 
 今思えばかなり間違った情報だ。
 酒場の大人にでもからかい半分吹き込まれたのだろう。
 でもその時のサンジは黙ってゾロの目を見て、一緒にどきどき胸を高鳴らせていた。
「これで俺たちは、どこにいても、いつでも一緒だ」
 家から持ってきたのか1本の果物ナイフを手に、ゾロはその場にしゃがみこんだ。サンジもならって、ゾロの正面に座る。
 それをゾロはまず、自分の右手首から数十センチ下、少し右あたりにヒタリと当てた。
 少し力を加えると、ピッと走る赤い筋。すぐに真っ赤な血がゾロの手首を流れた。
「我慢してろよ」
 次に小さく頷くサンジのこちらは左手首を掴むと、ゾロは血を流す自分の右手と位置を比べて、少し左にナイフを当てた。
 チリっとした小さな痛み。
 溢れる血の色は、周りの景色のどこにも溶け合わないような、鮮やかな赤をしていた。
 
 ゾロの右手とサンジの左手。
 手を取り合うと、指を組み合わせて手の平を合わせ、ぎゅっと握る。
 手首の傷がぴたりと合わさった。
 互いの血が混ざり合い、互いに肘の辺りまで滴り落ちる。
 
 サンジは静かに目を閉じた。
 風の音、日の暖かさ。
 遠く遠く、聞こえる海のリズム。
 その中に響いてくるのは、心臓の音。
 左手が熱く、脈打っているようだ。
 
 ああ、これはゾロの音だ。
 
 ゾロの心臓の音が、自分の心臓の音と溶け合って、1つになる。
 
 これでゾロと、いつでも、どこにいても、一緒なんだ。
 そう思うと閉じたまぶたの裏をやわらかい光がくすぐって、サンジは知らず涙をこぼしていた。
 
 
 
 
 
 青い屋根に金の風見鶏がくるくると回る、サンジの暮らすレストラン。
「あれを目印に、帰ってくるからな!!」
 真っ赤に腫らした目をそれでも頑張って開いて、ゾロはサンジに向かって大声で叫んだ。
「うん…ッ、…うん!」
 サンジもぼろぼろ溢れる涙を拭いながら、必死で手を振った。
「…待ってるからな!」
 ゾロを乗せた大きな船はゆっくりと小さくなり、やがて眩しい海の彼方へ消えて行った。
 
 
 
 
 それからのサンジは胸にぽっかりと穴があいたように、無気力な日々を送った。
 白い包帯の巻かれる左手首。
 傷が消えかける度にその跡を再び自分で傷つけたせいで、それはしばらく外されることはなかった。
 痛みよりも傷が消えることの方が哀しかったからだ。
 自ら傷つけたそこから溢れる血を舐めて。
 そしてゾロを思う。
 この血の中にゾロがいる。
 ゾロの中にもこの血が流れている。
 
 そう思うとひどく嬉しくて、そして益々涙が溢れてきて止まらなかった。
 そんなときに舐める血は、ひどく、ひどく。
 
 
 甘かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ***
 
 
 
 
 
 
 
 
 サンジは目の前に広がる海を見ていた。
 きらきらと目に跳ねる輝き。
 右から左へ、少し弧を描くように揺れるその青い水平線を黙って眺める。
 口元から流れる煙草の煙が、時折視界の端に映っては消える。
 
 
 海。
 
 
 草の上にコックスーツのままあぐらをかき、古びた石碑の頭を小さく撫でるようにしてもたれて。
 サンジは無心に、ただ見ていた。
 少し潮の香る風が金髪をさらう。
 
 
「…ナー……オーナー!」
 その時耳に、男の声が聞こえた。
 丘を上がってくる白い帽子姿を認めて、サンジはゆっくりと振り返った。
「おう」
 
 左手首の傷は、うっすらとピンクに盛り上がったまま今もこの手首にある。
 風にはためくシャツの裾から無意識にその場所を押さえて、サンジは立ち上がった。
 
 
 
 
 
 あれから実に、8年の歳月が経っていた。





*2へ*



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まだ序章。ちょっと前から構想だけはあった話なのですが、シリアスです。
といっても最後はいつものごとくですが。そんなに長い話にはならないので、しばしお付き合いくださればと。

05.12.22