慟哭 |
ゾロは走っていた。 雲は低く、雨は容赦なくゾロの顔を、全身を叩き打つ。 風も強さを増し、アクアラグナの予兆に町全体がまるで息を潜めているように固く沈黙を守っている。 高い建物の間、今は人影のないレンガの舗道を荒い息を飲み込んで駆け抜ける。 双眸は怒りに燃え、強く強く前を見据えている。 流れる血は体温を奪い、傷ついた筋肉はずしりと重い。 それでも手足を振り上げ、あらん限りの力でゾロは走った。 真っ直ぐ、この町唯一の駅に向かって。 (馬鹿野郎が……!) あのとき確かに胸の中で暖めた白い体は、夢のようにするりとゾロの前から消えた。 『夢が、あるんだ』 そういって、サンジは笑った。 それは初めてサンジ自身が漏らした、本当の笑顔。 どこか幼いその表情に、ゾロは一瞬目を奪われて息をのんだ。 なのに。 『俺の願いは、仲間全員が無事にこの島を脱出すること』 『その為には、たとえ世界が…』 (…笑いやがった、あの野郎…!!) ギリ、と食いしばった歯の奥が軋む。 それは昔のあの、どこか寂しい影を含んだ作り物の笑顔。 二度とそんな顔をさせてなるものかと、固く心に誓ったのに。 サンジ自身の中の、未だゾロが手を伸ばしても届かない闇の部分。 (俺はまだ、触れることもできねェ) 触れさせてもらえない。 誓いなんてそんなもの、ただの自分のエゴにしかすぎないのだと思い知らされた。 ゾロの伸ばした手を、サンジは1度も掴んではいないのだから。 (……チクショウ…!) ゾロの胸のなかに渦巻く激しい炎は、自分に対する怒りだ。 この島で一体何があったのか。 何があいつを再び暗い闇に落としたのか。 何一つわからないまま。 あと20分で海列車がこの町を発つ。 二度と戻ることのない、最後の列車だ。 (絶対に、行かせねェ……!) いつもそうだ。 あの野郎は笑いながら、自分一人で何もかも背負い込んでいる。 見えない心の奥で血を流している。 (行かせる…もんかよ…ッ!!) ヴォ――……ッ 汽笛の音。 雨に紛れて聞こえたそれに、ゾロははっと顔を上げた。 駅の尖塔はもうすぐそこに見えている。 そこに掲げられた時計は10時50分。 まだ出発の時間ではないはずだ。 しかし嫌な予感に、ゾロは最後の力を振り絞った。 路地を抜け、広場を抜け、構内に続く階段を転がるように駆け下りる。 そして。 息を弾ませて降り立ったホーム。 がらんとしたそこからは、荒々しく逆巻く暗い海が見えるのみ。 列車は、出発した後だった。 その姿は寄せて返す波に揉まれて、既に見えはしない。 予定より早く…そう説明する職員の声も、ドクドクと耳の奥でこだまする己の血流の音で聞こえない。 あざ笑うかのように狂い踊る海を、ゾロは斬り殺さんばかりに見つめていた。 「………ッ!!」 ダンッ! ゾロは拳を近くの柱に叩きつけた。 壁面のレンガが衝撃で割れ、ゾロの手にも血が流れる。 しかしぎゅうと白くなるまで握り固めた拳は既に痛みも感じない。 高く打ち寄せた波が構内にも容赦なく入り込んで足を濡らす。 掴めなかった。 その手を。 また、届かなかった。 怒り。 悔しさ。 後悔。 絶望。 ――――あたたかな笑顔。 脳裏に閃いたその顔に、 震えるような激しい感情がない交ぜになって、ゾロの胸を突き上げる。 「絶対に、掴まえに行くからな―――――……!!」 吠えるように海に向かって放ったゾロの叫びを、高い波が飲み込んでいった。 |