そういえば嘘誕話と、いえなくもない。 |
新入社員が立ち並ぶ4月1日のオフィス。 畏まった新人が順に挨拶する中、ゾロは同期の浮かれた金髪頭がフロアのどこにも見えないことに首を捻った。 「おいウソップ、あのアホ眉毛今日はどうした」 同じく同期で隣に並んでいた仲の良い男を肘で小突くと、ウソップは小さく囁き返した。 「なんだゾロ、もしかして聞いてないのか?サンジしばらく有給取ってたぞ」 「あ?」 そんな事聞いていない。一昨日の夜だって、いつもと同じように笑って。 …そういえば珍しく、躊躇うように一度だけ小さくキスをされた。 「結婚するんだってよ。その準備かもな?」 その言葉にゾロの双眸がカッと見開かれた。 「なんだと……?」 瞬間、ゾロの周りにどす黒い殺気だったオーラが立ちのぼる。 ゾロの後に立っていた後輩が、その威圧にひぇっと小さくのけぞった。 「……あんのぐる眉毛、許さねぇ…ッ」 「……なーんちゃって。…っておいゾロぉ――ッ!?」 茶目っ気に鼻を揺らしてウソップが振り返った時には既に遅し。 立ち並ぶ新入社員をなぎ倒して、怒涛の勢いで駆けていくゾロの後姿は遠く出口に消えていくところだった。 * * * 「クソ眉毛ぇ―――ッ!」 開店前の店のCLOSE看板をふっ飛ばし、道場破りよろしくズバァアン!とレストランの正面扉から突然乱入してきたスーツ姿の男に、厨房にいた全員が何事かと目を剥いた。 本日都内の有名レストラン『バラティエ』は各企業の予約で埋まっており、今朝は早くから従業員総出で仕込みに大忙しだったのだ。 その中に突然踏み込んできた緑頭の男はふーふー唸りながら店内を見回し、奥の方でぽかんとしている金髪を見つけ出すとその殺気立つ双眸で睨みつけ店内中に響く大声で叫んだ。 「おいテメェ!結婚なんて認めねぇからなっ!」 「ハァ!?」 「…チビナス、テメェの知り合いか」 隣に立つオーナーの低い苛立ちの声に、サンジは我に返ると包丁を置き慌てて厨房を飛び出してゾロのスーツを引っ張った。 「てめ、何しに来やがった!!」 「うるせぇッ!」 外に出そうとするサンジの両腕を、逆にゾロががしっと捕まえる。 そして再び大音量。 「てめぇはもう俺のモンだろうが!!」 何いってんの!何言っちゃってんのコイツ!!ていうかもしかしてイっちゃってるの!? 突然の告白にあたふたするサンジに、もはや仕込みどころではなくなって成り行きを見守るコックたち。 「…チビナス……」 厨房の奥からさっきとは違う不穏なオーラをまとった低い声が届いて、サンジは青ざめた顔でぴぃんっと背筋を伸ばした。 しかし振り解きたいのにマリモの握力は万力のごとく、ますます腕がぎりぎりと締め上げられる。 「じ、ジジィ!これはコイツなりのそそそうだエイプリルだよ!エイプリルだよな?ゾロッ!?」 「なんだそりゃ。んな食い物ァ知らねぇ!ていうか俺は本気でテメェに惚れてんだからなッ!?」 「うがああああッこれ以上口を開くなクソアホマリモがあぁ―――ッ!!」 * * * 4月1日の夜、会社の同期内でささやかなウソップの誕生会が開かれた。 その会場となった同じく同期の勤めるレストランには、何故か朝入社式をぶっちぎって姿を消したゾロが沢山の皿を抱えてせっせと手伝いをしていてウソップは首を捻った。 「おつかれさまー」 サンジに声を掛ける女子社員に続いて入店したウソップを見て、突然ゾロがくわっと表情を変えた。 眉間に皺の入った(しかも頬のあたりに喧嘩でもしたような痣ができていてますますコワイ)凶悪な顔つきで近づいてきたかと思うと、ガシッと肩を掴まれそのままずるずると壁際に引きずられ 「…てめぇ、朝はよくもやってくれたな」 泣く子は更に失神するような魔獣の顔でニヤリと笑われて、ウソップは鼻の先まで青くなった。 「な、ななな何かしてさしあげましたかッ」 心当たりなんてあってたまるか。 ビビるウソップに、ゾロはしかし突然ニカッと歯を見せて笑った。 「いや…まぁ、今回ばかりは許してやる。ありがたく思え」 一体何を許してもらえて何をありがたく思えばいいのやら。一向に嬉しくもないウソップをよそに、何故だかゾロは機嫌よく笑っている。 ついでに思い出し笑いがにまにまと気持ち悪い。 鬼の霍乱、というか春故に魔獣の脳みそもどこか緩んでしまったのかもしれない。 口笛まで吹きだしそうな浮かれた魔獣におののきつつ、ウソップはゾロの腕からそーっと抜け出した。 するとコツンと肘が誰かにぶつかった。 「あ、サンジか。悪ぃ…」 しかし振り返った相手のその表情に、ウソップは今度こそ本気で震え上がった。 「悪ィなんて言葉があったら警察いらねぇんだよ……」 声は超低音。 なのに顔は超笑顔。 しかも言ってる言葉の意味は微妙に違います。 サンジは言い捨てると、くるりと背を向け厨房に入っていった。 なんだ今日は厄日なのかと震えながら席に着いたウソップは、目の前に置かれたオムライスに今度は首を傾げた。 誕生日仕様なのかかわいい盛り付けがなされ(それはきっと一緒にいるナミやカヤなど女性陣の為だろうが)黄色い卵の表面にはケチャップの赤い文字で言葉まで書いてある。 『ロ』と『兄』。 いや違う。 この微妙に『祝』に似て非なる文字は。 ぎっしりキノコの詰まったオムライスを涙ながらに頬張りながら「ウソップさん嬉しいのね、泣かないで」なんて幼馴染の優しい声を心の支えにして、ウソップは自分の悲運をこそ呪ったのだった。 * * * オマケ * * * 9時近い、閉店後のレストラン。 朝からよく働いてくれた従業員はねぎらいの意味もこめて早々と返した。 このあとささやかながらウソップという会社の同期の誕生日を仲の良い数人で祝うことになっているが、料理は店の仕込みと同じものを朝から用意してあるのであとはサンジ一人で充分仕上げられる。 店内は先ほどまで新入社員を交えた沢山の会社員たちが楽しげに宴を開いていた。 残ったのは華やかな夢のあと。 会食で使った大量の皿と。 そして正座したマリモが1匹。 店の奥にある居住部分の座敷で目の前に腕組みしたゼフと正面切って睨み合いながらまんじりともしないゾロの隣で、サンジも同じく正座して向かいの祖父の、目は見られないのでいつも大鍋を軽々と振るっている太い腕の辺りを見つめていた。 夢は夢でもこれは悪夢だ。 しかもまだ覚めていない。 「海賊狩り」 しんとした部屋の中、ゼフが重い口を開いた。 そのあだ名に、ゾロの眉が僅かに動く。 それは社内の人間がこっそり呼ぶゾロのあだ名だ。 以前サンジと合わせて休暇を取りたいと上司に申請した時、社内はごたごたで大忙しだった。 社で扱うキャラクターのまがい物、いわゆる海賊版が巷で無節操に売り出されていて、著作権元の海外の企業から責任対応を迫られていたのだ。 その問題が片付いたら休暇なんていくらでもくれてやる、そう叫んだ上司にキレたゾロがその偽商品を流している会社たちを数日のうちにことごとく潰して差し押さえてきたのだ。 一体どういう手を使ったのかは未だ謎のままだが、以来ついたあだ名が『海賊狩り』。 なぜその名をこの老人が知っているのか。 まぁそれはさておいて。 「お前、このチビナスとはどこまでいった」 するどい眼光で威圧してくる老人の前で、ゾロは負けじとその目を見返した。 赤くなったり青くなったりした末に、しゃ、社員旅行で北海道まで行きました、と言いそうになったサンジだが、それをゾロが遮った。 そして背筋を伸ばしたまま凛とした声で、 「最後までだ」 そりゃもうどーんと胸を張ってのたまいやがりました。 「てんめぇ口を開くなとあれほどいっただろうがあああぁぁッ!!」 ぐわっと膝立ちになって襟首を締め上げたサンジをものともせず、ゾロの目はゼフから逸らされない。 ゼフのこめかみが小さく震える。 「……小僧、そいつぁはエイプリルか」 「だからそんな料理はまだ食わせてもらってねぇ」 コイツに。 ちょいと目線をサンジに流した途端、ゼフの気がブワッと膨れ上がった。 咄嗟にサンジを抱えて伏せたゾロの上空を、閃光がないだ。 ばりばりーッっと紙と木枠を粉砕しながら、2人の背後にあった障子が横一文字に切り裂かれた。 「…上等だ、ロロノア」 ゆらりと立ち上がったのはゼフ。 「俺がソイツに代わって、たっぷり食わせてやろうじゃねぇか」 それに合わせてゾロも立ち上がった。しかもいつのまにやら片手には得物が。 オイそれそこの床の間に飾ってあった日本刀じゃねぇか、ていうかテメェは無抵抗の老人相手に武器使用すんのか、いや無抵抗でもないしまともに腕で止められるような蹴りじゃねぇけど。 何から突っ込んでいいやらわからないサンジを置いて、ゾロは好戦的な目でぺろりと口端を舐めた。 「何かを食わせてもらうならコイツからがいいんだが……その勝負、受けてたつ」 「…後悔すんじゃねぇぞ若造が」 どかーっ!ばきーっ! 色々な物をなぎ倒す音が裏庭の方へ移動していく。 それを遠くに聞きながら、サンジは転がったままの畳にぎりぎりと爪を立てた。 いやもうなんなのこの展開。 とりあえず長っ鼻……あんにゃろう、今日という日自体が嘘であればよかったと思うくらい後悔させてやる……! その頃バラティエに向かう途中のウソップの背に、ぞくぞくと悪寒が走ったのは言うまでもない。 |